移住、出会い、そしてカフェ開業へ
本人さえ予測できなかった激動の未来

山田伸広 さん(44)
 職業:カフェ店主
出身地:埼玉県
現住所:函館市
埼玉→神奈川→東京→函館

 

 
大沼で養豚場を営むお兄さんの一言で移住を決め、いくつもの運命的な出会いを経て、函館に来てからわずか4カ月足らずでカフェ『Transistor CAFE』をオープンさせた山田伸広さん。一見すると、何もかもが順風満帆に進んでいるように見ますが、新天地での開業に至るまでには移住者ならではの様々な苦悩があったといいます。
関東で生まれ育ち、人気カフェの店長を辞めてまで函館にやってきた山田さんに、古民家を改装して作られた『Transistor CAFE』がオープンするまでのドラマチックな物語や、夢破れて生きる希望を失っていた過去と、「不特定多数のお客さんではなく、個人個人に喜んでもらいたい」という店づくりの理念などについて伺いました。

 
取材・文章・撮影:阿部 光平、イラスト:阿部 麻美 公開日:2018年3月7日

 
 

 
 
 
 

 
ミュージシャンの道を断たれ、夢も希望もないホームレス生活へ
 

 
━━Transistor CAFEができるまでの経緯だけでも、かなりドラマチックでしたが、小さい頃のお話も少し聞かせてください。
山田:生まれは埼玉県で、小4くらいで神奈川に引っ越したんです。小さいときは、とにかくジャッキー・チェンが好きで、カンフーにハマってましたね。蛇拳とか酔拳とかじゃ飽き足らず、自分で◯◯拳みたいなのを勝手に作って、型とか、奥義とかを考えてました(笑)。
 
━━あぁ、わかるー。そういう遊びしますよね、男の子って!
山田:昔は映画館で同時上映っていう2本の映画をセットで上映するのがあったんですよ。そこでジャッキー・チェンの映画と一緒に、ジャパンアクションクラブっていうスタントチームに所属していた頃の真田広之さんが出演している『吠えろ鉄拳』って映画が上映されていて、それを観てアクションにハマっていったんです。
 
━━はい、はい。
山田:それで、自分にもできると錯覚したのか、勉強机の上から一回転して飛び降りたりとかしてて。そのまま首から落ちたりしてたんですけど(笑)。
 
━━全然できなかったんですね(笑)。
山田:えぇ。で、ある日、小学校の定期検診で、先生から「首が曲がってますね」って。
 
━━え、机から落ちた影響で?
山田:はい(笑)。それで、アクションの道は諦めました。
 
━━ネタじゃないですか! 笑っていいのかわからないけど、おもしろいなぁ。
山田:(笑)。
 
 

 
 
━━先ほど、音響の専門学校に通っていたというお話がありましたが、もともとは音楽の道を志してたんですか?
山田:これも兄の影響なんですけど、中学のときにフォークギターを弾いていたのを見て、自分もやりたいなって思って。それで、アルバイトをして、高校生のときにようやくギターを買って、そこからバンドをやり始めたんです。その頃は、もうミュージシャンになるって決めていました。
 
━━音響の仕事ではなく、プレイヤーの方を目指してたんですね。
山田:はい。ミュージシャンになるなら機材系も知ってなきゃいけないと思って、そうすれば自分でプロデュースもできると思って音響の学校に行ったんです。すごく浅い考えなんですけど。
それで、専門学校でもバンドをやってたんですけど、当時はギターだけじゃなくボーカルもやっていて、今度は歌の方に目覚めちゃったんですよ。それで、自分で歌詞を書くようになっていったんです。
 
━━それは、専門学校を卒業後も続けてたんですか?
山田:ずっとやってましたね。本気だったので。
 
━━じゃあ、卒業後もアルバイトとかをしながら、バンド活動を?
山田:はい。それで、学生の頃からバイトはほぼ飲食店だったんですよ。だから、音楽をやる傍らには、ずっと飲食があったんです。
 
━━なるほど。ミュージシャンになるという夢は、どういう結末を迎えたんですか?
山田: 27 歳か 28 歳のときに、ようやくデビューってとこまでいったんですよ。マネージメントしてくれる人がいて、もう曲もレコーディングして、あとはどこのレコード会社から出すかって話をしてたんですけど、その話が急になくなってしまって。
 
━━やっと世に出られると思っていた矢先に。
山田:そうなんです。それまで、 10 年くらいアルバイトしながら音楽をやってたんですけど、その話がなくなってしまったときに「もう無理だ」と思って。
 
━━心が折れてしまったんですね。
山田:そのときは、めちゃくちゃ落ち込んで、「もう、音楽があるからいけないんだ」とか思って、楽器とか機材を全部売り払ったんです。自分の周りから音楽を排除すれば諦められると思って。
もう自暴自棄になって、アルバイトも辞めて、当時はまだ実家にいたんですけど、何も言わずに家を出たんです。「生きてる意味すらない」くらいに思っちゃって。
 
━━失踪…。
山田:ですね。それで、2年くらいかな、家族とも音信不通だった時期があるんですよ。
 
 

 
 
━━何をしてたんですか、その音信不通だった期間は。
山田:なんかもう、廃人みたいな生活をしてましたね。東京でホームレスです。
 
━━ホームレス!?
山田:実家を出たけど住むところもないじゃないですか。で、もう自分は生きていてもしょうがないって思っていて。だから、自分の持ってるお金がなくなれば生きていくこともできないし、全部使ってやろうと思って、そういう自暴自棄な暮らしをしてました。
 
━━音楽をやめるために楽器を全部手放して、次は生きるのをやめるためにお金も手放そうと。
山田:そうです。だから最初は、新宿の1泊2万円くらいするホテルに泊まって、そこでぼーっとして。で、やがて金がなくなってきて、パンのひとつすら買えなくなっていきますよね。それで公園に行って、寝転がって、「ああ、このまま死んでいくんだろうな」って、無気力な感じだったんですけど、そのときは冬で、あまりの寒さに本当に死ぬかもしれないと思ったら、急に「生きたい」という気持ちが芽生えてきたんです。
 
━━何かに希望を見出したとかではなく?
山田:そうですね。極限の状態になって、とにかく「生きたい」って。そこから、それまで衰弱してたのが嘘のようにエネルギーが漲ってきて、次の日から住み込みの仕事を探して、なんでもいいから働こうって思ったんです。一回死んだと思ってやり直そうって。
だから、今でも何が幸せかと言われたら、「生きてること」って思いますね。それ以外にないです。何をするとかではなく、夢がどうこうってことでもなく、とにかく生きることが自分には必要なことなんです。結果的には、その後に飲食業界に就職したというのが今に繋がってはいるんですけど。
 
━━そこから本格的に飲食の道へ進んでいったと。
山田:そうですね、最初に勤めたお店で飲食のイロハを教わりました。接客から、経営の目線まで。だけど、本当にハードで、仕事して、あとは帰って寝るだけみたいな生活をしていました。
 
━━それでも、投げ出すようなことはせず?
山田:「楽しまないともったいない」って感じたんですよ。もちろん、辛いときは辛いんですけど、それを人に愚痴っても仕方ないし、他人の愚痴とかを聞いていても、そこから何が生まれるんだろうって考えるようになったんです。
だから、仕事がどんなにキツかろうが、それをどうやって楽しむかってことだけを考えていました。
 
━━自分が置かれた立場をいかに楽しむかということだけを。
山田:そうですね。気づけば、そういう性格に変わっていたって感じですね。
 
━━函館に来るまでは、ずっと同じお店で仕事をされていたんですか?
山田:いや、最初に就職したお店は 10 年で辞めました。そこは、単価の高いレストランで、一度来たお客さんが次に来るのって、半年後とか1年後とかだったりするんですよ。
 
━━高級なお店は、特別な日に行くって人が多いですもんね。
山田:それをもっと身近なものにしたくて、カフェに興味を持つようになって転職したんです。カフェって、もっと頻繁にお客さんと接する機会があるじゃないですか。そっちの方がいいなと思って。
 
━━今もカフェをやられている原点は、同じなんでしょうか?
山田:そうですね。自分の勝手な意見ですけど、カフェは飲食店の中で最強だと思うんですよ。
 
━━最強? どんなところがですか?
山田:カフェは食事もできるし、お茶だけでもいいし、仕事をしていてもいいし、一杯飲みに行くでもいいし、寝ちゃっても別にいい。要するになんでもありなんですよ。だけど、レストランに行ってお茶だけってわけにはいかないし、バーもお酒ありきじゃないですか。
だから、なんでもありのカフェって空間は、すごく可能性があるなと思って。その分、難しさも一段階上なんですけど。
 
━━「こればかりやっていればいい」ってわけじゃないんですね。
山田:そうなんですよ。東京で働いていたカフェの会社は、変わった場所にばかり出店してたんですよね。いわゆる飲食店ですから、立地が大切だとされているんですけど、それを無視するんです。
 
━━何を決め手に場所を選ぶんですか?
山田:物件が空いたからとか、安く借りられるとか、いろんな理由があるんですけど、どこであろうと売り上げを立てられるお店を作るんです。要は地域に根付いたカフェを作るっていうのが方針なんですけど、それにとても共感してたんですよ。まさに、自分がやりたいこともそれだって。
そういうお店で働いてきたので、どこでお店をやるとしても、自分でできるっていう自信はありました。
 
━━立地に頼らなくても、その地域に愛される店づくりができるだろうと。
山田:はい。だから、函館でカフェをやるってなったときも、ここでやるならどうするかっていう風に考えたら、「それって今まで自分がやってきたことじゃん!」って思えて。だから、今もそういうお店づくりを心がけています。
 
 
第4回へ