公務員という〝安定した仕事〟を辞め
〝世界に野球を広める活動〟に尽力する元野球少年

太田裕己さん(33)
 職業:財団職員
出身地:函館
現住所:東京
 函館→札幌→アメリカ→東京

 
 
元プロ野球選手の王貞治氏が理事長を務める『世界少年野球推進財団』に所属し、世界に野球を広める活動をしている太田裕己さん。お父さんが気象庁に勤めていた関係で、函館、倶知安、江差、紋別と、幼少期から道内各地を転々とし、函館中部高校から札幌大学に進学しました。卒業後は札幌で養護学校の教員をしていた太田さんですが、25歳の時に公務員という〝安定した仕事〟を辞めて、東京へ。「給料よりも経験が大切だと思った」と話す太田さんに、財団職員という仕事や、数々の転校経験によって養われた性格、地元の友人との間に感じる感覚的なギャップなどについて伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年1月22日

 
 

 
 
 
 
 

東京にいながら海での時間を大切にする暮らし

 
 
━━太田さんは、世界少年野球推進財団の仕事を始めるために上京したわけですよね。それまでは、東京に対する憧れとか、反対に北海道に対する執着みたいなものはありました?
太田:東京に行きたいって気持ちは、まったくなかったですね。札幌の街が好きだったので。ただ、転校を繰り返してたお陰か、どこ行っても順応できるんだろうなという感覚はあったので、東京に対する不安とかもなかったです。
 
━━いつかは函館に帰りたいって気持ちはありました?
太田:んー、ないかなー。札幌にいた頃は特に。自分の中で函館は、何かあってリセットしたい時に行く場所なんですよね。あとは、まぁ現実的に仕事も少ないでしょうし。ずーっと函館にいちゃうのは違うかなって思ってました。僕的には。
 
━━今、暮らしている東京に対する印象はいかがですか?
太田:東京好きですよ。やっぱり何でも早いし。今だったら、情報の差ってあんまりないように見えるけど、やっぱりあると思うんですよね。例えば、エンターテイメントひとつ取っても、肌で触れられる回数が全然違うし。やっぱり、東京に住んでるからこそ触れられるものってのが未だにあるので。刺激やチャンスは多い街だなと思います。
あとは、やっぱりいろんな人がいますよね、東京には。札幌もそれなりにいろんな人がいるけど、東京には様々な場所から出てきてる人が多いし、そこにも違いは感じます。
 
━━反対に「東京はしんどいな」って思うこともあります?
太田:通勤ですかね(笑)。満員電車。最初は全然慣れなくて、1年くらいは苦労しました。仕事前に汗だくになるし、「やだー」と思って(笑)。ひどい時には足の踏み場もないどころか、ぎゅうぎゅう過ぎて足が浮きますからね(笑)。今は慣れましたけど。
 
 

 

 
 
 
━━18歳で函館を離れて15年ほど経ちますが、外に出たからこそ感じる函館の印象とかはありますか?
太田:函館の人って、地元が好きな人が多いなぁと思います。自分も大好きで、そこにはすごく共感できるし、好きになるだけの環境もあるなとは思うんですけど。
反対に函館のことが嫌だなと思う部分もあって。地元のことが好きな人が多い分、地域のコミュニティーが強くて、外からの人とか文化があまり受け入れられないのかなって感じることはあります。
例えば、ずっと函館に住んでる友達と話した時に、「アメリカでこんなことがあって」とか「札幌の暮らしはどうで」とかって話は、あんまり共感されないことがあって。環境が違うから、当たり前といえば当たり前なんですけど、興味すら持ってもらえないこともありますね。そういう考え方とか感覚の部分でも、閉鎖的な印象を受けることはあります。今はそんなことはないですけど、大学生の頃とかは特に。まぁ、自分が外に出たことで調子に乗ってたって部分もあるんでしょうけど。
 
━━感覚のギャップを感じてしまうことがあると。次々と新しい物事に出会いたいと思っている太田さんとしては、物足りなさを感じるわけですね。
太田:そうですね。やっぱり〝暮らしたい場所〟ってよりは、落ち着くために〝帰りたい場所〟という感じですね。
 
━━なるほど。では、仕事や暮らし方を含めて、今後の展望などあれば聞かせてください。
太田:IN&OUTのインタビュー読んでて、「その質問ムズカシイなー」と思ってたんですよ(笑)。仕事の部分では「世界に野球を広めたい」って、大袈裟じゃなくそう思ってて。そのためには何をしなきゃいけないんだろうとか、今いる環境で何ができるんだろうって考えながらやってるんですけど。
ただまぁ、「何があるかわかんないよな」ってのは常に思ってます。
 
━━「何があるかわかんない」ってのは、例えば仕事がなくなったりとかそういうことですか?
太田:そうですねー。そうなった時に、対応できるよう常にフラットな自分でいたいなとは思ってます。だから、10年後、20年後に何をやってるかとかってのはわからないですね。
あとは、まだ結婚もしてないけど、もし子どもが生まれたとしたら、東京で子育てするのはちょっと嫌だなとも思います。子どもがひとりで電車に乗ってるのとか見ると、切なくなっちゃって
 
━━じゃあ将来に、子どもができたら田舎暮らしがいいなーと?
太田:そう思いますね。環境的には、やっぱり北海道とかいいなって思いますね。あと、環境面でいうと、サーフィンができる場所にいたいなという気持ちもあります。
 
━━サーフィンは長いんですか? どういう経緯で始められたんでしょう?
太田:2011年の秋くらいからですね。彼女にフラれたのを機に始めました(笑)。
 
━━珍しいきっかけですね(笑)。
太田:彼女にフラれたことで、すごく落ち込んで、もう何やったらいいかわかんないような状態で(笑)。とりあえず、何かやりたいと思って始めたのがサーフィンだったんです。
昔から海が好きだったし、「海っていえばサーフィンだろ!」みたいなノリだったんですけど。あと、安易な考えだけど、サーフィンやったらちょっとモテるかなって(笑)。それで、友達に連れてってもらったんですけど、初めて立てた時の衝撃がもう凄くて。「うわ、空飛んでるみたい!」って(笑)。それでハマっちゃったんですよね。
この年になると、新しいことを始めて、試行錯誤ながらできるようになるって経験、あまりないじゃないですか。それが楽しかったんですよね。コレできるようになったから、次はコレにチャレンジしようみたいな。
あとはもう、単純に、海に入ってたらリラックスできるし、リフレッシュできるし、結果として、仕事でも良いパフォーマンスを発揮できるしって感じで。
 
━━サーフィンは趣味であり、公私のバランスを取るための大切な時間でもあるんですね。実際、始めてみてモテましたか(笑)?
太田:モテないですね(笑)。モテないし、サーフィンやってると、海でいろんな人と出会えると思ってたんですけど、みんな一生懸命やってるから、あまり話す機会とかもないんですよね(笑)。
 
━━思ってたのと、ちょっと違った感じですか?
太田:全然違いました(笑)。でも、モテるとかそういうのは、もはやどうでも良くて、これからも純粋に生活の一部として続けていきたいですね。

 
 
 

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