旦那の故郷へ前向きな移住
慣れない街で暮らし、そして母になるということ

蒲生由紀子 さん(31)
 職業:ハットリメイク
出身地:青森
現住所:函館
 青森→東京→函館
 

 
 
 青森県にある人口約2000人の小さな村に生まれ、大学進学を機に東京へ。そこで出会った函館出身の彼と結婚し、現在は函館で暮らす蒲生由紀子さん。2015年5月には第一子を出産し、環境も状況もあらゆる面で新しい生活が始まっています。函館にやってきてまだ一年にも満たない蒲生さんが、慣れない土地での苦労や発見、そして旦那さんとの馴れ初めなどを語ってくれました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年6月18日

 
 

 
 
 
 
 
 

1学年14人の小学校から、東京の服飾大学へ

 
 

 
━━現在は函館在住ということですが、そもそものご出身はどちらですか?
蒲生:青森県東津軽郡の平舘村というところです。当時で人口が2000人ほどの小さな村でした。今は、近隣の村と合併して外ケ浜町という名前になっています。
 
━━小さな村ということは、やはり子どもの数も少なかったのでしょうか?
蒲生:そうですね。一応、村には小学校と中学校がひとつずつあったんですけど、1学年1クラスという感じでしたね。私のクラスは14人。他には2人だけという学年もありました。

━━そういう学校だと、部活動などはどのように行われているのでしょう? サッカー部や野球部のように、一定の人数が必要となる部活は成立しないような気がするのですが。
蒲生:そうですね。男子は野球部、女子はミニバスしかありませんでした。他の選択肢はなしですね(笑)。3年生か4年生で、小学校が合併した時に、ようやく吹奏楽部とかができたんです。私は、運動がまったくダメだったので、迷うことなく吹奏楽部に入部しました。

━━確かにミニバスしかないというのは、運動が苦手な女子にとっては、かなり辛い状況ですよね…。村に高校がないということは、進学する生徒は中学校卒業のタイミングで、みんな村を出ることになるんですか?
蒲生:青森市内までは車で1時間くらいの距離なので、村から通う人もいました。一応、電車もありましたし。あとは、青森市内で下宿する人もいましたね。

━━なるほど。村ではどんなことをして遊んでいたか覚えていますか? また、現在もそこで生活している同級生はどれくらいいるのでしょう?
蒲生:外で遊んでいたことしか覚えてないですね。運動が苦手なりに(笑)。海も山も近い環境だったので、基本的に外が遊び場でした。
今、どれくらいの同級生が残っているかはわかりませんが、私の知っている限りではひとりだけですね。村で唯一のペンションを経営しています。

━━蒲生さん自身も、中学卒業後は青森市内の高校に進学されたのですか?
蒲生:ちょうど中学卒業のタイミングで、青森市内へ引っ越すことになり、そこからは自転車で高校まで通っていました。

━━村から市へ出てきて、過ごし方は変化しましたか?
蒲生:そうですね。初めて村以外の友達ができたので、楽しかったです。前から音楽が好きだったんですけど、高校に入って初めて話が合う友達と出会いました。
高校では、市内に出てきてから知り合った人たちと、全員が女子のバンドを組んだりしてましたね。3年間、バンドばかりでした。

━━当時は卒業後の進路をどのように考えていましたか? そこまで情熱を傾けていたからには「バンドで食っていこう」という気持ちもあったのでしょうか?
蒲生:そういうのは全然ありませんでした。バンドは卒業と同時に解散したんですが、全員が東京に行ったので、変わらず仲はよかったです。

━━なぜ、仙台でも大阪でもなく、東京に行くことを決めたのでしょう?
蒲生:母親が30歳まで東京で暮らしていて、その話をよく聞いていたのと、兄も高校を出てから東京で暮らしていたので、なんとなく自分も東京に行くものだと思ってました。具体的に何かに憧れていたというわけではなかったですね。

━━東京へは進学で? それとも就職ですか?
蒲生:進学です。当時は音楽と服に興味があったので、4年間で服飾の勉強ができる杉野服飾大学という学校へ進みました。服に興味を持ったのも、母が毎月買っていたファッション誌の影響だと思います。

 
 
 

 

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