モデル業という煌びやかな世界と
華やかさとは無縁の過酷な現実

越後谷円さん(32)
 職業:医療事務
出身地:函館
現住所:東京
 函館→東京
 

 
 
陸上、バスケ、バレーと、学生時代を通じてスポーツばかりしていたという越後谷円さん。卒業後は、芸能やモデルなど煌びやかな世界に憧れて、上京。身長170センチという恵まれたスタイルを活かしてモデルとして活動していました。しかし、華やかな世界の裏では、精神的にも肉体的にも過酷な現実が待っていたといいます。現在は医療事務として働き、「今が一番楽しいかもしれない!」と語る越後谷さんに、学生時代のお話や上京後の苦悩、モデルの世界の厳しさなどを伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年10月30日 

 
 
 

 
 
 

 
 

華やかなモデルの世界と厳しい現実世界

 
 

━━高校を出てからの進路はどういう方向に?
越後谷:本当は、スポーツで進学したかったんですよね。もっと頭がよければ体育の先生とかになりたかったんですけど。
 
━━実際には?
越後谷:親には東京へ行きたいって言ったんだけど、「行かせられない」って言われて。なんせ、高校が私立でたんまり学費がかかってたから(笑)。
 
━━東京に行きたいと思った理由は何だったんですか?
越後谷:その頃から、ちょっとモデルとか芸能に関わる仕事をしたいなって思ってて。それなら、東京だなと。今だったら札幌とかにもモデル事務所とかあるけど、当時は北海道でモデルの仕事とかできると思ってなかったし、函館でやりたいこともなかったので。
 
━━モデルを目指そうと思ったのは、どういうきっかけだったのでしょう?
越後谷:若いからこその勢いというか、華やかな世界への憧れというか。スポーツしかやってきてないし、色気もないって中で、華やかな世界に憧れたのかもしれません。
 
━━地方の高校生だったら、誰もが一度は華やかな世界に憧れるものだと思います。では、進学でも就職でもなく、とりあえず身一つで東京に行った感じですか。
越後谷:いや、仕事と家は決めて行きました。上野にある金融関係の会社で、函館で集団面接を受けて、採用になったんです。日暮里にある寮に入って、18歳でいきなりOLですよね(笑)。
 
━━スポーツ少女から一転、東京のOLですか。北海道から出てきた18歳の女の子にとって、東京での生活はいかがでしたか?
越後谷:もう、異世界ですよ(笑)。わからないことばっかりで。まず電車の乗り方もわからなかったし、東京に来てすぐに研修で大阪に行かされたんですけど、もちろん新幹線の乗り方なんてわかるわけないし。大変でした。
 
━━休みの日はどのように過ごしてました?
越後谷:出かけてましたよね、もう修学旅行みたいな感じで。渋谷行って、買い物したり。
 
━━そういう部分では楽しめてた感じですか?
越後谷:う~ん、それほどって感じですね。わからないことが多すぎて、ホームシックにもなっちゃったし。この給料でどういう生活ができるんだろうとか、不安もたくさんあって。東京は旅行だけで充分かなって思っちゃいました。
 
━━親のありがたみを身をもって体感する瞬間ですよね。
越後谷:そうですね。今までいかに甘えてたのかを痛感しました。
 
━━肝心のモデル業の方はいかがでしたか?
越後谷:東京がすごいなって思うのは、街を歩いてると本当にスカウトの人がいるんですよね。それで、いくつか声をかけてもらった事務所の中からひとつを選んで、そこに所属することになりました。
 
━━おぉ、順調な滑り出しですね!
越後谷:でも普通にOLの仕事をしちゃってるから、スケジュールが合わなくて、間もなく辞めちゃったんですよ。
 
━━そっか。さすがに最初からモデル一本で食べていくのは難しいですもんね。
越後谷:ですね。でも、モデルになりたくて東京に来たので、上京して2年目くらいで仕事を辞めたんです。それで、モデル業に専念しようと思って。一度ファッションショーの仕事をさせてもらった時にお世話になったウォーキングの先生がいて、そこの事務所に入ったんです。
 
━━思い切った決断ですね。それからの活動は?
越後谷:モデルとして、ファッションショーとかヘアーショーとかに出させてもらってました。

 
 
 

━━憧れのモデルさんになった感想はどうでした?
越後谷:キツかったですね(笑)。そもそもモデル人口ってかなり多いし、スタイルいい子もいっぱいいるし、その中でどれだけ自分をストイックに作っていけるかってとこで。みんな体調管理とかしっかりやってたし、「もっと細く、もっと細く」って感じで、体壊しておかしくなっちゃってた子もいたし。私も、常に立ち眩みしてましたね(笑)。
 
━━スタイルを保つために食事を控えてたってことですかね? そもそも、モデルさんって痩せてれば痩せてるほど評価されるものなんですか?
越後谷:食事は控えてましたねー。細さに関しては、痩せ方にもよるんですけど、どんなに背が高くても洋服は「SSサイズ」を着れるのが基本とされてました。普通、170センチ~180センチだったら、Mサイズとか着る感じですけど、モデルは「SSサイズ」みたいな。大変ですよ(笑)。
 
━━それは、過酷ですねぇ。普通の子はケーキバイキングとか行ってるのに、こっちはスルメかじってるみたいな(笑)。
越後谷:本当、そう! まぁ、私は結構自分に甘い方でしたけどね(笑)。
 
━━実際、モデルでご飯食べていくってどうなんですか?
越後谷:そりゃあ、大変ですよ(笑)。やっぱり、アルバイトとかもしなきゃならないですし。モデル仲間の子には、朝5時からパン屋さんで働いている子とかもいましたね。
 
━━やっぱり食べていけるのは、ほんの一部なんですね。そこの事務所には長く在籍してたんですか?
越後谷:そうですね。長くいて、最終的には、社長から会社の代表になってくれって言われて(笑)。それで何年かはモデルをしながら、会社の代表をやってました。
 
━━それは、モデル兼社長ってことですか?
越後谷:ですね。下の子の面倒みたりとか、現場へ挨拶に行ったりとかしてました。
 
━━大変そうだけど、かっこいいですね。モデル兼社長って。やってみて、社長業はいかがでしたか?
越後谷:もう、むちゃくちゃ大変でした(笑)。モデル一本の方がずっと楽でしたよ。私には向いてなかったと思います。「みんなまとめて、ついて来い!」みたいに、リーダーシップを発揮するタイプではないので。結局、しばらくは続けてたんですけど、3年前に辞めることにしました。モチベーションが続かなくなっちゃって。
 
━━当時は何にモチベーションを見出していたんですか?
越後谷:所属する子達の活躍の場を広げることとかですね。そうやって人に情熱を注ぐというよりは、やっぱり自分主体のことをやりたくて。
 
━━経営者ではなく、モデルとして独り立ちしたいという思いですか?
越後谷:いや、モデルとしてというよりも、ひとりの人間として、しっかり自立したかったというか。それで、通信で医療事務と調剤事務の勉強をして、今は病院の受付や薬に関する業務や、薬剤師の手伝いなどの仕事をしています。
 
━━大きな岐路ですね。そもそも医療関係の仕事をしたいという気持ちはあったんでしょうか?
越後谷:ありました。あとは、今まで勉強したことあんまなかったから、真面目に勉強して、働いてみたいなと(笑)。先を見据えての判断でした。安定の道ですね(笑)。
 
━━実際に医療関係の仕事を始めてみた感想はいかがですか?
越後谷:すごく楽しいです! 今までで一番楽しいかも!
 
━━どんなところに楽しさや、やりがいを感じていますか?
越後谷:やっぱり、患者さんと接してる時ですね。手助けしてあげられてるっていうのが、直接的に実感できるので。
 
━━最初はモデルを目指して東京に出てきたわけですが、モデル業と距離を置いてみた時に、函館に帰ろうかなという思いはありました?
越後谷:それはなかったですね。東京で何も得ないまま、帰るのは嫌だったので。手ぶらでは帰れないなぁという気持ちでした。今の資格があれば函館に帰っても働けるなぁとは考えますけど。
 

第4回へ続く