モデル業という煌びやかな世界と
華やかさとは無縁の過酷な現実

越後谷円さん(32)
 職業:医療事務
出身地:函館
現住所:東京
 函館→東京
 

 
 
陸上、バスケ、バレーと、学生時代を通じてスポーツばかりしていたという越後谷円さん。卒業後は、芸能やモデルなど煌びやかな世界に憧れて、上京。身長170センチという恵まれたスタイルを活かしてモデルとして活動していました。しかし、華やかな世界の裏では、精神的にも肉体的にも過酷な現実が待っていたといいます。現在は医療事務として働き、「今が一番楽しいかもしれない!」と語る越後谷さんに、学生時代のお話や上京後の苦悩、モデルの世界の厳しさなどを伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年10月30日 

 
 

 
 

 
 

女子校運動部での厳しすぎる上下関係

 
 

━━中学校は深堀中学校ですかね。中学時代、特に思い出深い出来事などありますか?
越後谷:もう、中学から高校まではずっとバスケばっかりしてました。本当、バスケしかやってなかった気がします。
 
━━中学生ってすごく多感な時期で、ファッションとか恋愛とか色んなことに興味が出てくる頃だと思うんですが、もうバスケ一筋だったと。
越後谷:そうですねー。周りには派手な子たちもたくさんいたんですけど、そういう子たちが、バスケしてるのをすごく応援してくれたんですよね。一緒に遊んではいたんだけど、「円は、未成年がしちゃいけないことはするな!」みたいな感じで。実際には、みんな未成年なんですけど(笑)。
 
━━そういう環境だと「一緒に酒飲もうぜ!」みたいな誘いがあったりしそうなものですけどね。
越後谷:悪の誘惑は全然なくて、すごくクリーンに遊んでました(笑)。おかげで中学でも、函館選抜に呼んでもらってました。
 
━━本当に一生懸命バスケしてたんですね。
越後谷:ですねー!
 
━━高校はどちらへ?
越後谷:大妻です。
 
━━大妻高校を選んだ理由は何だったんですか?
越後谷:特待の話がきたんですよね。バスケで。
 
━━おぉ! すごいですね! 大妻ってバスケに力を入れてたんでしたっけ?
越後谷:そうですね。当時は、かなり強かったですよ。
 
━━僕は選抜にも、特待にもまったく縁がなかったんですけど、特待ってどういうシステムになってるんですか?
越後谷:大妻の場合は、特待にもA、B、Cってランクがあって、Aは授業料も入学金も全部免除、 Bは授業料か学費か忘れたけど、どっちかだけが免除、Cはたしか入学金だけが免除って感じでした。
 
━━その中で、越後谷さんは?
越後谷:A特待だったんですよ! だけど、学校側が断っちゃったんですよね。
 
━━えーっ!? どういうことですか?
越後谷:詳しくはよくわからないんですけど、私がいつも一緒にいた友達が、まぁちょっとヤンチャな子が多くて。そういう子たちと一緒にいたせいか、「生活態度があまり良くないから行かせられません」みたいな感じで、特待を断っちゃったみたいなんですよね。
 
━━えー、そんなことあるんですね。だけど、結局、大妻に行ったんですか?
越後谷:「それでも来てくれませんか?」みたいな話が、大妻のバスケの先生からあったので行くことにしました。他に行きたい高校もなかったので。

 
 
 

━━複雑な思いはあったと思いますが、そうまでして行った大妻高校はどうでした?
越後谷:楽しかったですね! 女子校だし!
 
━━女子校の雰囲気ってどんな感じなんですか?
越後谷:大妻の場合、大きく分けて3つの人種がいるんですよね。当時は〝ギャル〟〝ヤンキー〟〝スポーツ部門〟って感じでした。
 
━━へー! 勉強ばかりやってる優等生タイプの人とかいないんですか?
越後谷:う~ん。けっこうみんな派手でしたねぇ。年代的にギャル全盛期だったので!
 
━━なるほど、その3ジャンルの中で、越後谷さんはどこに?
越後谷:バリバリのスポーツ部門ですね。バスケ部に入ったんですけど、先輩が恐すぎて、遊ぶ余裕なんか全然なかったです。もう、自衛隊か宝塚かっていうくらい厳しくて。先輩を見つけたら必ずあいさつをしなきゃいけないんですよ、しかもバスケ部の先輩だけじゃなくて、運動部全部の先輩の顔を覚えなきゃいけないっていう…(笑)。
 
━━それ、すごい話ですね。物理的に無理でしょ…。
越後谷:バスケ部だけじゃなくて、テニス部、バレーボール、ソフトボール、体操部とか、運動部の2、3年生の顔を全部覚えなきゃいけないんですよ(笑)。各学年6クラスあったから、運動部の先輩だけでも100人近くいたかな?
 
━━受験よりも大変そう(笑)。逆に、新入生が入ってきたら、自分もあいさつされる立場になるわけですよね? 「あんた、私に挨拶ないじゃん!」みたいな。
越後谷:ですね(笑)。でも、私はあまり年下と絡まないタイプだったから、そういうのはなかったですね。バスケ部も1年で辞めちゃったし。
 
━━あら、そうなんですね。それはやっぱり上下関係がネックで?
越後谷:同級生で普通に受験してバスケ部に入ったのが私だけだったんですよね。周りはみんな特待生で、春休みから部活に参加してたんだけど私は受験してたので、まずついていけないってのがありました。あとは、勝つ事だけに一生懸命って雰囲気も、あんまり楽しくなくて。先輩厳しいし。
 
━━部活を辞めちゃえば、先輩たちとの上下関係みたいなのは解消されるんですか?
越後谷:いやいや、ずっと続くんですよね、その社会は。それが染み付いてるから、たぶん先輩に会ったら、未だに緊張しますね。
 
━━トラウマに近い感じじゃないですか。では、バスケ辞めてからは、どんな高校生活を?
越後谷:それから、バレー部に入ったんですよ。バスケ部と同じ体育館で練習してたから、周りからは「やるねぇ!」とか「いい度胸だね!」って言われてました(笑)。
 
━━確かに、それはいい度胸! でも、なんでまたバレー部に?
越後谷:私、ジャンプするのが好きで。
 
━━ん? どういうことですか?
越後谷:ジャンプするのが好きなんですよ! よくジャンプしてたから、結構飛べるんですよね!
 
━━ちょっと、変わった理由ですね(笑)。
越後谷:その頃、もう170センチあったし、バレー部には特待生とかいなかったから、やっていけるかなぁと思って。ちょうどワールドカップとかやってて、バレーが盛り上がってたのもあって。
なんかもう、エネルギーがあり余ってたんですよね。だから、バスケ辞めた時に先生が心配してくれて。エネルギーがあり余って、間違った方向に発散されても困るからってことで、体操部に連れて行かれて、マネージャーやらされてみたり。ソフト部からも声かかったんですけど「嫌だ」って断って。
 
━━ソフト部じゃ、ジャンプできないし。
越後谷:そうそう、ジャンプできないしって(笑)。
 

第3回へ続く