モデル業という煌びやかな世界と
華やかさとは無縁の過酷な現実

越後谷円さん(32)
 職業:医療事務
出身地:函館
現住所:東京
 函館→東京
 

 
 
陸上、バスケ、バレーと、学生時代を通じてスポーツばかりしていたという越後谷円さん。卒業後は、芸能やモデルなど煌びやかな世界に憧れて、上京。身長170センチという恵まれたスタイルを活かしてモデルとして活動していました。しかし、華やかな世界の裏では、精神的にも肉体的にも過酷な現実が待っていたといいます。現在は医療事務として働き、「今が一番楽しいかもしれない!」と語る越後谷さんに、学生時代のお話や上京後の苦悩、モデルの世界の厳しさなどを伺いました。


取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年10月30日 

 
 

 
 
 
 
 
 

親に言われて始めたバスケットボール

 
 

━━はじめに幼少期のお話から聞かせてください。生まれた時は、どこに住んでいましたか?

越後谷:たぶん、日吉町だと思います。ちょっと定かじゃないんですが(笑)。でも、幼稚園は湯の浜でしたね。
 
━━日吉に住んでて、湯の浜まで通っていたと。
越後谷:たぶん、そうだと思います。記憶が曖昧ですいません(笑)。小学4年生までは確実に日吉にいました。
 
━━日吉小学校のことで何か記憶に残っていることはありますか?
越後谷:その頃は、陸上をやってましたね。100メートルと800メートルだったかな。
 
━━陸上は自分の意思で始めたんですか?
越後谷:いや、親に勧められてって感じですね。あと、お姉ちゃんが陸上をやってた影響もあったと思います。
 
━━自分としては嫌々やってた感じでしょうか?
越後谷:そんなこともないですけど、とにかく親が「スポーツやれ!」ってうるさかったんですよね。勉強のことは何も言われなかったけど、水泳とか、スキーとかやらされてました。いきなりプールに連れて行かれて「泳げ!」とか、雪山の上に連れて行かれて「滑れ!」みたいな(笑)。
 
━━かなりスパルタなお父さんですね(笑)。お父さんは、自分でも熱心にスポーツをされてたんですか?
私が3歳とか4歳くらいの時までは、スイミングスクールの先生をやってましたね。
 
━━なるほど。だから、自分の娘にもスポーツの素晴らしさを伝えたかったんですね。
越後谷:そうかもしれませんね。スパルタでしたけど(笑)。
 
 
 

━━5年生からは、どちらの小学校に?
越後谷:深堀小です。
 
━━学校が変わった感想はいかがでした?
越後谷:最初は、みんな「転校生だー!」って感じで珍しがって構ってくれたんですけど、熱が冷めると一気にアウェイな感じになりましたね(笑)。みんな、もともと仲の良かったグループに戻って行って、私は行き場がないみたいな(笑)。
 
━━僕も転校の経験があるので、その感じよくわかります。どういうポジションで立ち回ればいいかわからないというか(笑)。深堀でも陸上は続けていたんですか?
越後谷:転校してからはバスケをしてました。
 
━━今度は自分の意思で?
越後谷:いや、今度はお母さんの意思ですね(笑)。友達の父さんが教えてて、それでやらされたというか。
 
━━なるほど。そういうパターンってよくありそうですね。当時から背は高かったんでしょうか? ちなみに今って身長は何センチくらいあるんですか?
越後谷:今は170センチです。当時から大きい方でしたけど、一番大きいとかではなかったですね。
 
━━親に勧められて始めたということですが、実際にやってみたバスケはどうでした?
越後谷:それが、すごく楽しかったんですよね! かなり一生懸命やってて、選抜にも呼んでもらってました。
 

第2回へ続く