編集者という仕事に憧れ
「もう函館には帰らない」という覚悟で東京へ

木村衣里さん(26)
 職業:WEB編集者
出身地:函館(久根別)
現住所:東京
久根別→函館→札幌→東京

 
東京のWEB編集プロダクションで働く木村衣里さん。札幌で生命保険の営業職をしていた時期に〝編集者〟という仕事と出会い、自らも転職を決意。元町にある実家のパン屋さん(ぼんぱん)で2年間の手伝いを経て、現在は東京でWEB編集者として活躍しています。「函館は大好きだけど、もう帰ることはないと思う」と話す木村さんに、家業を手伝う中で知った両親の苦労や、西部地区で働いていたからこそ感じる観光地・函館の至らなさ、変化の激しいWEB業界で働く編集者としての展望などを伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年2月19日

 
 

 
 
 
 
 

実家の手伝いで知った両親の苦労と愛情
 

━━高校卒業後は、予定通り就職されたんですか?
木村:いや、実際には札幌の短大に進学しました。高校の時に突然「海外に行きたい!」って気持ちが芽生えてきて、親に相談したんです。そしたら、「海外に行って、英語が喋れるようになったとしても、あんた高卒なんだよ! 英語力を活かせる仕事なんて限られてるし、それだったらまず進学したら?」って言われて。私は私で、「そっかぁ。じゃあ、進学するかー」と。
なんか、さっきから自主性のない話ばっかりですいません(笑)。
 
━━いえいえ、そういう部分に共感する人は少なくないと思います(笑)。それから、札幌へ。
木村:ですね。そのときは、割と内向的というか保守的だったので、本当は函館を出るのも恐くて。だけど、市内の大学にはそういう環境がなかったから、札幌に行こうってことになったんですけど。
 
━━実際、札幌に出てみた印象はいかがでした?
木村:「自分はこれまでなんて狭い世界で生きてたんだ!」ってことを痛感しましたね。あのままだったら、函館という狭い世界しか知らないまま、外の世界の楽しさも知らずに死んでいくことになったのかもしれないって思うと、恐くなりました。自分からどんどん外に出てみようって思うようになったのも、それからです。
 
━━札幌に行った時に一番衝撃を受けたことって何ですか?
木村:なんだろう? 都会だし、人も多いし、訛ってないし。いろいろありましたけど、雑誌で見たものを、すぐ買いに行けるというのは衝撃的でしたね。
あと、同級生がみんな「大人!」って思いました。見た目とか、遊び方とか。おしゃれだし、落ち着いてるし。函館の人とは違うなーって。
 
━━そういった環境の中で、木村さん自身も札幌寄りの感覚になっていくような実感はありましたか?
木村:うーん。やっぱりずっと地元に残っている友達と会うと、「函館の人だなー」って思うことはありましたね。だけど、そう思うのがすごく〝悪いこと〟のように感じて、そんな自分が「すごく嫌な奴だな」とも思っていました。
ただ、今になれば「住む場所によって感覚が違うのは当然だな」と思います。環境も接する人も変わるし、考え方とか服装、雰囲気まで変わるのも無理はないなって。それに対してギャップを感じるのは良いことでも、悪いことでもなく、当然のことだと思うようになりました。
 
━━環境が人に与える影響は大きいですからね。大学を卒業した後は、海外へ?
木村:いえ、生命保険会社の営業職に就きました。その頃には、高校生の時と同じく「働かなきゃ!」っていう気持ちが強くなっていて。姉2人は高卒で働いていたのに、自分だけは進学させてもらって、親に学費も負担してもらっていたので、「早く自立しなきゃ!」と。親に頼らず自分のお金だけで生きていける仕事を考えて、就職先を決めました。
 
━━その期間中に、雑誌の取材に参加して、編集者を志すようになったと。
木村:はい、保険会社には丸二年勤めましたね。その後は、函館に戻って実家のパン屋さんを手伝っていました。
 
 

 
 
 
 

━━編集の仕事に憧れて会社を辞めた木村さんが、一度実家に戻った理由は何だったのでしょうか?
木村:お金を貯めようと思ったんです。札幌にいたときは、それなりの収入があったんですけど、どうしても貯められなくて。色々な物がすぐ買えちゃう環境だし、当時は今よりも良い化粧品を使ってたりして(笑)。「このままではいかん!」と思って、2年間という期限を決めて、実家に帰ることにしました。
 
━━お金を使わない環境に身を置いて、実家の仕事を手伝いながら、上京のための資金を貯めようと。
木村:そうですね。あとは、自分が東京に行っちゃうと三姉妹全員が北海道を出ちゃうから親も寂しがるだろうなーと思って。だから、「最後に親孝行を!」という気持ちもありましたね。
 
━━「最後に」というのは?
木村:東京に出たら、もう函館には戻って来ないと思っていたので。
 
━━それだけ固い決意だったわけですね。スタッフとして実家の仕事に関わるのって、どんな感覚なんですか?
木村:働いてみて、まず親を心から尊敬するようになりました。パンって単価が安いので、100円のパンを一個売って利益が何十円あるかないかっていう商売なんですよ。で、働いてると、日々の売り上げがわかるじゃないですか。それを見て、「毎月この売り上げ? これで三人の子どもを育てたの?」って驚かされるばかりで。パン屋さんで子ども三人を育てるのって、すごいことだなって思いましたね。
しかも、うちの父は脱サラしてパン屋さんになってるんですよ。サラリーマンを続けてた方が収入も多いし安定してたし、厚生年金とかもらえるから老後も安心じゃないですか。それを捨ててパン屋さんを始めて、子どもを育て、ようやく三人姉妹が実家を出て、ここから老後の資金を貯めるって感じなのかと。そういうことを目の当たりにすると、両親の人生はパン屋を通じて全部私たち三人に注がれてたんだなって思って。もう頭が上がりませんよね。思い出すと泣けてくるんですけど
 
━━そういう実情を知ると、親の有り難みが一層身に沁みますね。改めて親に対する感謝の気持ちを強くした2年間だったにも関わらず、そこに留まろうという気にはならなかったのでしょうか?
木村:矛盾してるかもしれないですが、親としては尊敬してるけど人間的には合わないと思ってて(笑)。 考えがぶつかるんですよ。お母さんは女性らしく感情的に怒るタイプで、反対にお父さんは職人気質ですごく頑固なタイプなんです。そういうところを昔から見ていて、「クラスメイトだったら絶対仲良くなれない!」って思ってました(笑)。だから、尊敬はしてるけど、一緒にいると衝突しちゃうんです。
本当は近くにいて支えてあげられるのが一番の親孝行だとは思うんですけど、たぶんうちの三姉妹はみんなそういう形が苦手なんです。素直じゃないし、強情っぱりなので。だったら外からたまに贈り物をしたりとか、節目節目で帰って、その時に手厚く親孝行する方がいい親子関係が保てるなーっていうのもあって。だから、東京に行く気持ちは揺るがなかったです。
 
━━ちなみに、今ってどれくらいのペースで函館に帰ってるんですか?
木村:去年、上京してから初めて帰りました。1年半ぶりですかね。札幌で営業をやってた時は、成績が良ければ長期連休をもらえたのでその度に帰ってたんですけど。でも、久々に帰ったら、やっぱりたまには帰らなきゃなって思いましたね。親も歳だし、衰えも感じて、とてもショックだったので。これからは、帰れる時は帰りたいなって思っています。自分で飛行機代も払えるようになったし(笑)。

 
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