富樫雅行
さん(36)
職業:建築家
出身地:愛媛
現住所:東京
愛媛→千葉→旭川→サロマ→函館
函館で建築家として独立し、新築やリノベーション物件を手がけている富樫雅行さん。生まれ育った街を離れて、函館の西部地区にやってきた背景には、街並みが好きだというのと同時に、それが失われつつあるという危機感があったといいます。
景観を守りつつ、街をアップデートしていきたいという富樫さんに、家を建てるだけでなく、そこに住む人の生活を土台から考えるという建築理念や、建物が持つ〝外との関係を構築する〟という役割、『箱バル不動産』メンバーのひとりとして考える西部地区の未来などについて伺いました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年12月28日
人間関係を含めた〝生活の土台〟から考える建築設計
━━独立するにあたって、こちらの家を購入したとのことですが、弥生町という場所にもこだわりがあったんですか?
富樫:場所は、西部地区ということだけは決めていました。当然、元町のあたりは高くて予算にも合わないので、となると谷地頭か青柳方面、弥生町や弁天町とかのディープウエストといわれる地域しかなくて。
━━まずは西部地区というのが大前提だったんですね。富樫さんは、西部地区のどういった部分に惹かれたのでしょうか?
富樫:街並みというか、景色が美しいのが一番ですね。普通に歩いていても、一日一回は必ずどこかで「あ、きれいだな~」って思うんですよ。こっちからのこの眺めもいいなとか、四季によっても違うし、常に新しい発見があります。そんな街ってなかなかないと思うんですよね。
海もあるし、山もあるし、景観と建物との調和も好きだし、人も好きだし、そうですね。全部好きですね(笑)。
━━以前、『tombolo』の苧坂淳さんと、奥さんの苧坂香生里さんにインタビューした際に、お二人が富樫さんの「西部地区を出たら、日本中どこに行っても同じ景色だ」という言葉を聞いて、函館で暮らしていく決意を固めたというお話を伺ったんですけど、そういった感覚を持たれているんですか?
富樫:その感覚はありますね。僕は愛媛で生まれて、千葉で育ったんですけど、日本って、都市があって、田畑があって、また街があってという、その連続しかないんですよね。その中にあるのも、ロードサイドショップとか、大型スーパーとか、どこにいても同じ風景ばかりですし。函館も、そんな風景が広がってきていて、それだったら何の違いもないだろうと、僕は思っているんです。
━━そういった中で、西部地区の特殊性っていうのを、どこに見出しているんですか?
富樫:景色っていうのもあるんですけど、こんな山の裾野にぎゅっと凝縮した街って、あまりないのかなって。なんか、最近は〝島〟みたいな感じに思っています。大門からこっちは本当に島になって、独立しちゃえばいいのにって(笑)。
あとは、この街自体が、市民のみんなで作ったような街じゃないですか。公会堂だって、豪商の相馬哲平さんが寄付して建て直したものだし、函館公園だって市民のみんなでお金出し合って作ったものだったりとか。なんかこう、手作り感がありますよね。それでいて、昔の建物は洗練されているという。
逆に今の建物は、何やってるんだっていうくらい変なのしかできていなくて、そのギャップが建築家として寂しかったというか、街を見ていて辛かったんですよね。「なぜ誰もやらないんだ」って気持ちから、「それだったら僕がやろう」と思うようになりました。
━━「なぜ誰もやらないんだ」というのは、古くて素晴らしい建物があるにも関わらず、それを放ったらかしにして、新たにプレカットで作られるような家が次々と建っていく状況に歯がゆさを感じていたということですか?
富樫:そうです。建築家も、建築のビルダーもいっぱいいて、もちろん頑張ってる人もいたのかもしれないですけど、先頭きって誰かがやってるわけでもなかったので。
僕は、人がやらないことをやるのが好きだから、「それだったら僕がやるよ」ってところがスタート地点ですね。もし、誰かがやっていたら、僕はやってなかったかもしれないです。今とは違う、デザインを売りにした建築家になってたかもしれないですし。
━━さっきのお話にあった、家を街に合うように設計するという考え方も、街の景観を守りたいという気持ちが土台になっているんですかね。しかも、単に景観を守るだけでなく、そこに自分なりのアプローチを加えて、街をアップデートさせていこうと。
富樫:もちろん、そういう意識はあります。
━━そう考えたときに、思い描く理想形というのはあるんですか?
富樫:理想形というのは、まだないですけど、やっぱり地域の人に愛される建物を作りたいっていう気持ちはありますね。
「なんであんな建物を作ったの?」という話って、けっこうあるんですよね。やるからには、「いやぁ、良い建物ができたね」って言われたいし、地域から嫌われるような建物は絶対に作りたくないなと思っています。
━━建物が街に及ぼす影響って大きいと思うんですけど、街をアップデートしたいと考えたとき、建築が担う役割はどういったものだと思われますか?
富樫:今、一般的にみんなが建てている家って、中からしか考えられていないんですよ。リビングをどうしようとか、寝るところはどうしようとか、ウォークインクローゼットがあってとか。そういうところしか考えていなくて、外側は二の次だったりするんですよ。
それって、外との繋がりを考えていない造りじゃないですか。だから人が内に籠るのかなと思っていて。
━━なるほど。生活のしやすさにばかり意識が向いていて、建物が持つ外との繋がりという役割がおざなりになっていると。
富樫:えぇ。家を建てるのって、まずは土地選びから始まるんですけど、僕は施主の方が買おうと思っている土地を調べ尽くすようにしています。こういう歴史があって、こういう人たちが昔は生活していて、今はこういうご近所さんがいるってところまで。その上で、どんな家がいいのかを考えるようにしています。
隣の家との距離感とかもあるんですけど、完全に閉じちゃうと、やっぱり辺鄙な家になっちゃうんですよ。だけど、外の景色との繋がりも考えながらやっていけば、街との繋がりがどんどんできていくような家ができるかなって思っていて。さっき話した和洋折衷の家も、建てる前からご近所さんとの付き合いを積極的にしています。
━━確かに、近所付き合いって長く続くものですからね。
富樫:そうなんですよ。だから、今回は土地を購入する前にあいさつへ行って、「こういうご近所さんがいるなら買いたい」ってことになったんですよね。最初の段階から、ご近所さんと付き合いをしていったので、餅まきをやったときも、すごくたくさんの人が集まりました。
━━建築家として富樫さんがやってることは、単純にデザインや設計を提案するだけではなく、街の景観や地域の人間関係までを考えながら、ひとつの建物を完成させていくということなんですね。普通、建築家ってそこまでするんですか?
富樫:うーん、そういう人もいるとは思いますけどね。自分だったら、家が完成して、住み始めたはいいけど、周囲との関係が上手くいかないと、常にカーテンを閉めてるような状態になりかねないですし。そんな生活は嫌だなと。だから、環境作りまで考えたいなとは思っています。
━━それはもう、家を建てるというよりも、その人の生活を土台から一緒に考えるような、そんな仕事なんですね。
富樫:ですねぇ。まぁ完璧にはできないないので、たまにご近所さんと揉めることもありますけど、なるべくそういうのは起きないように、その後も気持ち良く暮らせるような家を作りたいという意識は持っています。
富樫:場所は、西部地区ということだけは決めていました。当然、元町のあたりは高くて予算にも合わないので、となると谷地頭か青柳方面、弥生町や弁天町とかのディープウエストといわれる地域しかなくて。
━━まずは西部地区というのが大前提だったんですね。富樫さんは、西部地区のどういった部分に惹かれたのでしょうか?
富樫:街並みというか、景色が美しいのが一番ですね。普通に歩いていても、一日一回は必ずどこかで「あ、きれいだな~」って思うんですよ。こっちからのこの眺めもいいなとか、四季によっても違うし、常に新しい発見があります。そんな街ってなかなかないと思うんですよね。
海もあるし、山もあるし、景観と建物との調和も好きだし、人も好きだし、そうですね。全部好きですね(笑)。
━━以前、『tombolo』の苧坂淳さんと、奥さんの苧坂香生里さんにインタビューした際に、お二人が富樫さんの「西部地区を出たら、日本中どこに行っても同じ景色だ」という言葉を聞いて、函館で暮らしていく決意を固めたというお話を伺ったんですけど、そういった感覚を持たれているんですか?
富樫:その感覚はありますね。僕は愛媛で生まれて、千葉で育ったんですけど、日本って、都市があって、田畑があって、また街があってという、その連続しかないんですよね。その中にあるのも、ロードサイドショップとか、大型スーパーとか、どこにいても同じ風景ばかりですし。函館も、そんな風景が広がってきていて、それだったら何の違いもないだろうと、僕は思っているんです。
━━そういった中で、西部地区の特殊性っていうのを、どこに見出しているんですか?
富樫:景色っていうのもあるんですけど、こんな山の裾野にぎゅっと凝縮した街って、あまりないのかなって。なんか、最近は〝島〟みたいな感じに思っています。大門からこっちは本当に島になって、独立しちゃえばいいのにって(笑)。
あとは、この街自体が、市民のみんなで作ったような街じゃないですか。公会堂だって、豪商の相馬哲平さんが寄付して建て直したものだし、函館公園だって市民のみんなでお金出し合って作ったものだったりとか。なんかこう、手作り感がありますよね。それでいて、昔の建物は洗練されているという。
逆に今の建物は、何やってるんだっていうくらい変なのしかできていなくて、そのギャップが建築家として寂しかったというか、街を見ていて辛かったんですよね。「なぜ誰もやらないんだ」って気持ちから、「それだったら僕がやろう」と思うようになりました。
━━「なぜ誰もやらないんだ」というのは、古くて素晴らしい建物があるにも関わらず、それを放ったらかしにして、新たにプレカットで作られるような家が次々と建っていく状況に歯がゆさを感じていたということですか?
富樫:そうです。建築家も、建築のビルダーもいっぱいいて、もちろん頑張ってる人もいたのかもしれないですけど、先頭きって誰かがやってるわけでもなかったので。
僕は、人がやらないことをやるのが好きだから、「それだったら僕がやるよ」ってところがスタート地点ですね。もし、誰かがやっていたら、僕はやってなかったかもしれないです。今とは違う、デザインを売りにした建築家になってたかもしれないですし。
━━さっきのお話にあった、家を街に合うように設計するという考え方も、街の景観を守りたいという気持ちが土台になっているんですかね。しかも、単に景観を守るだけでなく、そこに自分なりのアプローチを加えて、街をアップデートさせていこうと。
富樫:もちろん、そういう意識はあります。
━━そう考えたときに、思い描く理想形というのはあるんですか?
富樫:理想形というのは、まだないですけど、やっぱり地域の人に愛される建物を作りたいっていう気持ちはありますね。
「なんであんな建物を作ったの?」という話って、けっこうあるんですよね。やるからには、「いやぁ、良い建物ができたね」って言われたいし、地域から嫌われるような建物は絶対に作りたくないなと思っています。
━━建物が街に及ぼす影響って大きいと思うんですけど、街をアップデートしたいと考えたとき、建築が担う役割はどういったものだと思われますか?
富樫:今、一般的にみんなが建てている家って、中からしか考えられていないんですよ。リビングをどうしようとか、寝るところはどうしようとか、ウォークインクローゼットがあってとか。そういうところしか考えていなくて、外側は二の次だったりするんですよ。
それって、外との繋がりを考えていない造りじゃないですか。だから人が内に籠るのかなと思っていて。
━━なるほど。生活のしやすさにばかり意識が向いていて、建物が持つ外との繋がりという役割がおざなりになっていると。
富樫:えぇ。家を建てるのって、まずは土地選びから始まるんですけど、僕は施主の方が買おうと思っている土地を調べ尽くすようにしています。こういう歴史があって、こういう人たちが昔は生活していて、今はこういうご近所さんがいるってところまで。その上で、どんな家がいいのかを考えるようにしています。
隣の家との距離感とかもあるんですけど、完全に閉じちゃうと、やっぱり辺鄙な家になっちゃうんですよ。だけど、外の景色との繋がりも考えながらやっていけば、街との繋がりがどんどんできていくような家ができるかなって思っていて。さっき話した和洋折衷の家も、建てる前からご近所さんとの付き合いを積極的にしています。
━━確かに、近所付き合いって長く続くものですからね。
富樫:そうなんですよ。だから、今回は土地を購入する前にあいさつへ行って、「こういうご近所さんがいるなら買いたい」ってことになったんですよね。最初の段階から、ご近所さんと付き合いをしていったので、餅まきをやったときも、すごくたくさんの人が集まりました。
━━建築家として富樫さんがやってることは、単純にデザインや設計を提案するだけではなく、街の景観や地域の人間関係までを考えながら、ひとつの建物を完成させていくということなんですね。普通、建築家ってそこまでするんですか?
富樫:うーん、そういう人もいるとは思いますけどね。自分だったら、家が完成して、住み始めたはいいけど、周囲との関係が上手くいかないと、常にカーテンを閉めてるような状態になりかねないですし。そんな生活は嫌だなと。だから、環境作りまで考えたいなとは思っています。
━━それはもう、家を建てるというよりも、その人の生活を土台から一緒に考えるような、そんな仕事なんですね。
富樫:ですねぇ。まぁ完璧にはできないないので、たまにご近所さんと揉めることもありますけど、なるべくそういうのは起きないように、その後も気持ち良く暮らせるような家を作りたいという意識は持っています。
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