幼稚園から中学校まで附属に通い、本人曰く「ガチガチの型の中で育った」という坂本沙也加さん。高校進学を機に〝自由〟を強く意識するようになり、親の期待と自分の希望の間で激しく揺れ動いたといいます。そんな彼女が選んだのは、幼少期からの夢に突き進むという道でした。浪人してまで大学進学にこだわり、今は東京の病院で念願だった看護師として活躍する坂本さん。函館に対する愛を胸に秘めつつ、今は海外で働くという目標に向かって邁進する彼女に、青春時代の〝苦悩〟と、それを乗り越えたからこそ得られた〝自由〟について語っていただきました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年9月4日
〝いい子〟だった小学生から一転。反抗期に突入した中学時代
━━では、一旦、時代を遡って、幼少期のお話を伺いします。函館ではどんな生活を送っていましたか?
坂本:幼稚園から、小学校、中学校と、ずっと附属に通ってました。
━━附属って幼稚園からあるんでしたっけ? 当然、入園試験もあったんですか?
坂本:そうですね。附属にいったのは、家が近かったというのと、あとはまぁ親の意向だったと思うんですが(笑)。内容までは覚えていないですが、入園試験もあって、合格した子と落ちた子の親同士が気まずくなるみたいなこともあったらしいです…。
幼稚園の頃のことはあまり覚えてませんが、中学校までだと3歳から15歳までをずっと同じメンバーで過ごすことになるので、かなり小さなコミュニティーで育ちました。
━━小学生の時は、どんなことをして遊んでましたか?
坂本:なぜか、遊んだ記憶がないんですよね。たぶん、友達がいなかったんだと思います(笑)。
あと、附属って友達と遊ぶとなると一大事なんですよ。親が出てくるレベルの。
━━どうして、そんなことに?
坂本:みんな函館市内の色々なところから通ってたので、遊ぶとなると電車とかバスとか親の車とか乗らなくちゃいけないんですよ。
私の家は、学校から歩いて5分のところだったんですけど、遠いところから通っている子も多かったので、物理的に遊べないという状況もあったと思います。友達と一緒に下校したって記憶もないですね。
━━それはかなり特殊な環境ですね。知らなかった。では、当時、夢中になっていたことはありますか?
坂本:習い事ばかりしてました。全部で7個か8個かな。英語、公文式、家庭教師、ピアノ、絵画、タップダンスとか色々やってましたね。
学校に友達がいないことを親が心配して「何か好きなことを見つけなさい」って感じで色んな習い事をさせてくれたんです。
━━それは、小学生ながら、かなり多忙なスケジュールが予想されますね(笑)。たくさんの習い事の中から、何か好きなことは見つかりましたか?
坂本:好きなことと言っていいかはわかりませんが、公文式は楽しかったです。2歳から15歳まで通ってて、特に国語が好きだったんですけど、中1の時には大学レベルの国語まで終わらせました。
━━えー! すごいですね、ソレ! アメリカだったら飛び級するレベルじゃないですか! というか、公文式って大学のレベルにまで対応してるんですね。最後はどんな勉強をするんですか?
坂本:とりあえず、できたのは国語だけで、数学とかは全然ダメでしたけどね。国語の最後は、教材とかではなく、古文を読んで「己の考えを述べよ」みたいな感じでした(笑)。そういうのばかり勉強してたので、小学生の頃から作文とか読書感想文とかがすごく得意で。だから夏休み明けは、私すごく輝いてました(笑)。
━━夏休みの読書感想文って、日本中の全小学生が嫌いだろうと思ってました(笑)。
坂本:公文式のおかげか、どんな本を読んで、どんなことを書けば高く評価されるかというポイントがわかっていたので、それを基準に書いてましたね。で、見事に表彰みたいな。我ながら、かわいくない小学生ですよね(笑)。
━━要領がいいというか、ちょっと斜に構えた感じだったんですね(笑)。それは、実力があるからこそのスタンスなんでしょうけど。函館に、そんな天才児がいたなんて知りませんでした(笑)。ちなみになんですけど、ご両親って何をされてる方なんですか?
坂本:たまに聞かれるんですけど、全然普通の会社員です。お母さんは主婦です。あとは2歳上にお姉ちゃんがいました。
━━お姉ちゃんから影響を受けたことって何かありました。
坂本:かなりあります。というか、憧れの存在でした。お姉ちゃんは、私なんかよりずっと頭が良くて、絵画がすごく得意で、コンクールで全国1位になっちゃうような人だったんです。
見た目もすごくかわいくて、近所では「あそこの家の〝長女〟はかわいい」とか言われてたくらいで(苦笑)。わたしが小学校に入学した時も、3年生にお姉ちゃんがいたので、お姉ちゃんの同級生たちが「坂本の妹はどれだ!?」って来たりしてました。「あぁ、あいつか … 」って感じで帰って行きましたけど(笑)。
━━まさに才色兼備といったお姉さんですね! 坂本さんの気持ちは単純に〝憧れ〟だったんですか? それとも〝反発心〟も入り混じってました?
坂本:「私も認められたい」って気持ちはあったんですけど、「お姉ちゃんは本当にすごい」というふうにも理解していて。「友達もたくさんいて、煌びやかなだな~」って、憧れの気持ちで見てました。
━━なるほど。では、中学時代はどのように過ごされていましたか?
坂本:今までは、いわゆる〝いい子〟だったんですけど、急に反抗期がやってきたんですよね。親に対しても、先生に対しても、なんか気に入らないというか。よくわからないけど、荒れてました(笑)。
━━覚えてる中で、これちょっと荒れてたなってエピソードはあります?
坂本:家の窓ガラスとかを割ってましたね(笑)!
━━えぇー! 公文式で大学レベルをクリアするような子が、いきなりガラスを割るんですか!? なぜ(笑)?
坂本:理由は覚えてないんですけど、親とケンカをして、カッとなってガラス割るみたいな(笑)。そのまま学校に行って、帰って来た時には窓も直ってたんですけど、心の中で「お母さんごめん」って思いながらも口に出しては謝れないみたいな(笑)。
━━なんか、その気持ちわかります(笑)。もう意固地になっちゃって。
坂本:まさにそんな感じですね(笑)。
━━そのまま中学校3年間は荒れ放題ですか(笑)?
坂本:その頃、生徒指導の先生に呼ばれたりしてて、その先生が男子バスケットボール部の顧問だったんですけど「お前、男バスのマネージャーやれ!」みたいな感じになったんですよ。今思うと、それが大きな転機になりました。
当時、附属の男子バスケットボール部はけっこう強くて、私の代には全国大会まで行ったんです。だから、中学3年間を集約すると「マネージャー頑張ったな!」って感じですね。ガラスを割り続けるような3年間ではなかったです(笑)。