幼稚園から中学校まで附属に通い、本人曰く「ガチガチの型の中で育った」という坂本沙也加さん。高校進学を機に〝自由〟を強く意識するようになり、親の期待と自分の希望の間で激しく揺れ動いたといいます。そんな彼女が選んだのは、幼少期からの夢に突き進むという道でした。浪人してまで大学進学にこだわり、今は東京の病院で念願だった看護師として活躍する坂本さん。函館に対する愛を胸に秘めつつ、今は海外で働くという目標に向かって邁進する彼女に、青春時代の〝苦悩〟と、それを乗り越えたからこそ得られた〝自由〟について語っていただきました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年9月4日
2歳で決めた〝看護師になる〟という目標
━━まずは、現在のお仕事のことから教えて下さい。
坂本:都内にある国際系の病院で看護師をしています。
━━担当業務としては、どういった仕事に携わっているのでしょうか?
坂本:仕事の内容としては、患者さんの病状に合わせて何でもやる感じです(笑)。呼吸器科勤務だったら、呼吸器系しか扱わないんですけど、私の科は毎日違う症状の患者さんを担当しているので、呼吸器はもちろん、整形や小児科の患者さんも来るので、すべてできないといけない職場ですね。
今年が1年目なので、最初は先輩について仕事をしていましたが、今はひとりで動いています。
━━毎日、違う症状の違う患者さんを担当するというのはかなり大変そうですね。そもそも看護師になろうと思ったのは、どのようなきっかけですか?
坂本:昔から体が弱く、2歳の時に小児喘息にかかってしまって、入退院を繰り返していたんです。なので、小さい頃からずっと、大人になったらお母さんか看護師になるんだろうなぁと思っていました。
━━2歳の時に思い描いていた夢を実現したわけですね。今まで、その夢がブレることはありましたか?
坂本:幼稚園に通っていた3歳の時には、もう文集とかに「大きくなったら看護婦になる」って書いていて、気づいたらここまできてたって感じです(笑)。他の職業に就きたいなとか思ったことはないですね。
━━全国各地、数ある病院の中で、今の病院を選んだ決め手は何だったのでしょう?
坂本:いずれは外国で働きたいなという気持ちがあるので、国際系の病院を選びました。
━━具体的にどんな国で、どういった仕事をしたいというイメージはありますか?
坂本:ん~。研修でブラジルに行っていたこともあるので南米とか、あとはカンボジアとかに行きたいという気持ちはあります。看護師が必要とされてる場所に行きたいですね。
━━海外で高い技術を学びたいということではなく、単純に困っている地域に行きたいと。ちなみに、国際的に見て日本の医療レベルというのは、どう評価されているのでしょう?
坂本:医療のレベルは高いと思います。他の国に比べるとお金も出してるので、国際的なチームにも派遣もされやすいようです。
━━看護師として海外を目指す若者にとっては良い環境なんですね。通っていた看護学校も東京ですか?
坂本:私は看護学校ではなく、横浜市立大学の医学部看護学科を卒業しました。
━━ということは、6年間通ったということですか?
坂本:医学科は6年間なんですけど、看護科は4年ですね。
━━僕の周りにも看護師の友人がいるんですが、特に函館では大学ではなく、看護学校に通う人が多い気がするんですが。
坂本:そうですね。私も高校の同級生とかで看護師をしている友人もいるんですけど、看護学校を卒業した人がほとんどで、大学に行った人はすごく少ないですね。私は、高校を卒業して、一年間札幌の予備校に通って、そこから横浜の大学に行きました。周りの人には「函館に看護学校あるのに、なんで?」って聞かれました。
━━どうしても、その大学に行きたかったということですか?
坂本:いや、そういうわけではないんですけど。まず、最初に看護師になりたいという想いがあって、同時に海外で仕事をしたいという気持ちがあったんです。でも、ある時、自分の周りにいる看護師さんは海外には行ってないなと気が付いて。
それで、確か小学校5年生くらいの時だったと思うんですけど「海外で働いている看護師さんって、どこの学校を出てるんだろう?」っていうのをインターネットで調べてみたんです。そしたら、名門の看護大学を出た人が多くて。やっぱり、函館にいたら海外で働く看護師にはなれないなと思いました。
━━医療系の大学を卒業するのと、看護の専門学校を卒業するのとでは、取得できる資格も違ってくるんですか?
坂本:資格は一緒です。ただ、専門学校だと保健師とか助産師の資格はもらえません。大学だと総合的に資格を取ることができます。あとは、やっぱり語学の勉強ですかね。海外で働くためには語学力が必要で、大学だと医療だけでなく語学も学べるというメリットがあります。