移動を続けながら感覚の鮮度を研ぎ澄ます
ファッションを軸にした自由でブレない生き方

高橋恵理さん(28)
 職業:編集者
出身地:函館
現住所:東京
 函館→ミラノ→東京

 
 
多くの女性が憧れるファッションの世界。遺愛高校からイタリア・ミラノのファッションスクールへと進み、現在は雑誌編集者として活躍する高橋恵里さんは、そんな女性たちの憧れを実現したひとりです。函館で撮影された映画『海炭市叙景』でのアシスタントを機に、東京でスタイリストの仕事に従事。その後、雑誌編集者として、様々なファッション誌やブランドカタログを手がけてきました。今は海外移住を考えているという高橋さんに、函館の思い出と今後の展望を語っていただきました。


 

取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年6月16日

 
 

 
 
 
 
 

 転校、転校、また転校

 
━━まずはじめに、生まれた場所や幼少期のお話を聞かせてください。
高橋:生まれたのは函館です。たしか美原のあたりに住んでいたような。生まれてすぐ砂原に引っ越したので、その頃の函館の記憶はほとんどないんです。

━━転勤が多い家だったんですか?
高橋:そうですね。父親が銀行員だったので、2、3年に1回は渡島管内で転勤してましたね。生まれてすぐに砂原へ行ったけど、3歳くらいで函館に戻ってきて、花園幼稚園に通っていました。でも、5歳の時には、大成町に転勤といった感じで。

━━かなり頻繁なペースですね。引越しすることのストレスとかはありませんでしたか?
高橋:その頃は特に。小さかったので。大成にはけっこう長くいて、5歳から小学校4年生までを過ごしました。毎日学校帰りに海で遊んでましたね。お兄ちゃんとエアガン撃ったりして(笑)

━━大成は海が綺麗ですからね。でも、遊ぶのはエアガンだったんだ(笑)
高橋:もちろん海に入ったりもしてましたけどね。なぜかエアガンにハマってました(笑)。

━━小学校5年生からは、どこへ転校したのでしょう?
高橋:残りの小学校2年間は、また砂原でした。で、小学校卒業のタイミングで、今度は森町へ。そこで中学3年間を過ごしました。

━━中学校は転校せずに済んだわけですね。当時の森中学校は、何クラスくらいあったか覚えてますか?
高橋:4クラスですね。各クラス30人とか。規模としては函館市内の中学とあまり変わらない感じですかね。本当は2年生の時に、父が函館へ転勤になったんですけど、私は吹奏楽をやっていたこともあって、森に残ることにしました。濁川におばあちゃんが住んでいたので、そこから通うことにして。

━━中学生くらいになると友達と過ごす時間や、繋がりも濃密になってくるから、離れるのが余計に寂しくなりますもんね。
高橋:そうですね。ついに自分の意思で転校を回避しました(笑)。

━━中学卒業後は、どんな進路を選んだのでしょう?
高橋:遺愛高校の英語科に進学しました。最初から高校は函館に行くと決めていたので。

━━森中学校から函館の高校へ進む人は多いんですか? それと、なぜ遺愛高校の英語科を選択したのでしょう?
高橋:森から函館に出るのは半分くらいですかね。もう半分は地元の高校に進む感じでした。遺愛を選んだの決め手は制服ですね(笑)。セーラー服が着たかったので。

━━なんとも女子中学生らしい理由ですね(笑)。将来的に英語を使えるようになりたいという気持ちもあったんですか?
高橋:将来的にどうこうというのはなかったですね。もともと英語が好きだったので、単純に勉強したいなと思ったくらいで。

━━なるほど。高校3年間で特に力を入れたり、情熱を注いでいたことはありますか?
高橋:んー…。遊んでましたね(笑)。

━━遊びたい盛りですからね(笑)。ちなみに、当時は何して遊んでました?
高橋:何してたんだろ。たぶん、大したことはしてないですね(笑)。映画はよく行ってたかな。それと、クラブですね。CocoaとかSTONE LOVEとか。あとはバイトしてました。マクドナルドとか函太郎とか。朝市のきくよ食堂でも。

━━バイトは遊ぶためにという感じですか?
高橋:それもあるけど、服を買いたいというのが一番でしたね。自分でバイトして好きな服を買いたかったって感じです。お金貯めて、汽車に乗って一人で札幌とか行ってました。服を買うためだけに。

━━ファッションへの関心や、クラブ遊びなどが好きになった背景には、誰かからの影響があったのでしょうか?
高橋:全部、お兄ちゃんですね。2つ上にお兄ちゃんがいて、お兄ちゃんの友達とかと一緒に遊ぶことが多かったので。ライブハウスとかクラブにも、最初はお兄ちゃんたちと行ってたけど、そのうちに自分の友達と行くようになりました。悪いことは全部、お兄ちゃんに教わりましたね(笑)。

━━高校生くらいでも一緒に遊ぶということは、けっこう仲がよかったんですね。高橋さんにとって、お兄さんはどんな存在だったのでしょう?
高橋:憧れとかいうよりは、友達って感覚だったと思います。友達ぐるみで遊ぶことが多かったので。

━━今でも仲はいいですか?
高橋:いいけど、あまり話さなくなりましたね(笑)。ちょっと、だらしなかったりするから。真面目じゃないというか、「どうにかなるっしょ!」って感じが嫌で(笑)。でも、仲はいいです!
 

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