大沼の畔で、『Paard Musée(パド・ミュゼ)』という牧場を経営している宮本英樹さん。駒ケ岳を望む広大な敷地では、世界各地からやってきた馬と、北海道の在来馬である「どさんこ」が一緒に草を食み、大自然の中で人々と暮らしを共にしています。
生粋の開拓一家に生まれた宮本さんは、道東の置戸町で生まれ育ち、高度経済成長期の真っ只中で、自分が親しんできた自然やコミュニティーが破壊されていく様子を目の当たりにしてきたといいます。地元を出て世界中を放浪した後に、北海道へと戻り、〝エコ〟や〝暮らし〟という観点から道内各地で様々な交流事業を成功させてきた宮本さん。現役の開拓使として活躍する彼が、次に目指したのは〝懐かしい未来〟でした。〝21世紀の開拓〟というコンセプトを掲げ、新天地・大沼で持続可能な暮らしを体現している宮本さんに、失われつつある馬との暮らしや、エココミュニケーションと経済の在り方、函館の街に感じる〝チグハグ感〟などについて伺いました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年6月13日
エココミュニケーションを通じて、しっかり経済も動かしていくという意識
━━北海道に帰ってきてからは何をされていたんですか?
宮本:札幌で、新聞記者になったんですよ。堕落ですよね(笑)。
━━堕落? どういうことですか?
宮本:若い頃に社会を変えたいと思ったりすると、ジャーナリズムとかに走っちゃうわけですよ。でも、実際にはさ、商業ジャーナリズムなんて何にも変えれないわけ。しまいには、記事を書いても、誰も読んでないんじゃないかとか思っちゃって、絶望しちゃうと。
そういうのがあって、商業ジャーナリズムではなく、対面的に情報を出すような仕事をしたいっていう気持ちになったんですよね。エココミュニケーションとかを発信していきたいと。それを誰に伝えたいのかって考えたときに、ターゲットはやっぱり自分の親父なんですよね。地域を変えようとしたら、まず地域の人が変わらないといけないので。
結局は、うちの親父みたいな連中が、公共事業を引っ張ってきたり、大企業引っ張ってきたわけで、それがダメだったわけじゃないですか。だから、そういう人たちの考えを変えない限りは、地域も変わらないなと。そういう人たちに語り掛けるような仕事をしようと。
━━なるほど。自分がやるべきことは北海道にあると思い、自分が目の当たりにしてきたマイナスの変化を見直すところから地域を変えていこうと思ったわけですね。それで具体的には、どのような活動を始められたんですか?
宮本:もともとアウトドアや自然が好きだったから、北海道に自然学校を作ろうと思って、『ねおす』っていうNPO団体に参画しました。活動のテーマとしては、〝北海道の自然を守って、うまく活用しよう〟ってことなんだけど、そういうのも経済が動かないと社会に影響を及ぼせないんですよ。環境守るために、すごい貧乏な暮らしとかしても、結局、社会は動かないじゃないですか。そこで、どういうことを考えたかというと…。あのー、阿部さんってスキー行きます?
━━行きますよ。
宮本:スキー行ったらいろいろお金使いますよね。
━━そうですね。リフト代とか、コーヒー飲んだりとか。
宮本:リフトにいくら払います?
━━4000円とか、5000円くらいですかね。
宮本:一日券で5000円とか払いますよね。リフトってなんで動いてます?
━━ガソリン?
宮本:そう、重油で動いてます。あと、リフトを作るときって、どうしてると思います?
━━えー、山を切り拓いて、建材を運んでって感じですか。
宮本:そう。つまり、スキー客っていうのは、自然破壊と化石燃料に5000円を支払ってるわけなんですよ。それが持続的ですかって話で。
同じスキーでも、バックカントリーだったら木を切らなくていいじゃないですか。ただし、自分で登ったり、ガイドが必要になったりするわけですよ。だから、「同じ5000円を支払うなら、ガイドに払いませんか?」っていうアプローチで活動を始めたんですよね。
━━なるほど。エココミュニケーションを実現しつつ、経済も動かすと。
宮本:そういう感じで、子ども達のキャンプとか、いわゆる環境教育とかを企画して、まずは会員を集めました。都市部のエコとか、新しい暮らしに関心のある層を中心に。そうやって年間10万円使ってくれているお客さんが1000人いたら、1億のお金が動くわけですよ。
だけど、俺のやりたいことは、都会の人がエンドユーザーなのではなくて、ターゲットはあくまで自分の親父なので。意識を変えるのは。だから、今度はエコツアーっていって、エコな暮らしに関心のある人達を地方に連れて行って、様々な体験をすることで地域との交流を生み出すと。
こういう部分に経済活動の余地があるって話は、俺から直接親父に言ったところで、聞いてくれないわけですよ。「お前に言われたかねーよ」とかなって(笑)。ところが、他の誰かから「今、地産地消ってのが流行ってるんだよ」っていう話を聞くと、大体そっちになびくわけ。だから、交流を通じて、お客さんに言ってもらうようにしたんです。
━━なるほど。口コミという形態で新たな価値を伝えると。
宮本:生産者ってのは、真ん中に農協とか中間業者が入ってるから、消費者と直接交流するなんてことなんてなかったんですよね。特に当時、20年前なんかは。だから、お客さんから「お父さんが作ってる野菜美味しいね!」なんて言われたことは一度もないんですよ、彼らは。そういう環境下では、誇りが持てないわけです。自分達の仕事とか、自分達の地域に対して。
ところが、他所から人がやって来て、「いいところですね!」、「飯がうまいですね!」、「こんなもの作ってるんですね!」なんて言われると、いい意味で調子に乗ってくるわけです(笑)。「もっと農薬減らしたらいいですよ」とかって意見に対しても、「そうかな」とか思い始めるんですよね。
━━評価がないと、自分の立ち位置って見えないですからね。
宮本:そうなんですよ。そういう感じでエコツアーっていうか、都市部の人と自然の近くにいる人とを出会わすことで、新しい価値を作っていくというツアーをやってたんです。北海道にあるものを再評価しようという意図で。
結局は、北海道って原料生産地だから、きれいな自然と、農作物しかないんですよ。それに付加価値を付けて売るか、域外から観光でお金を持ってくるかっていう、どっちかしかないんですよね。
そのためには、やっぱり地元にある自然資源に気づかないといけないわけですよ。それって、よそ者の目じゃないとなかなか気づけないんですよね。
━━日常に埋没しちゃうと、価値が見えないですもんね
宮本:結局は、交流の中でしか見出せないものなんですよ。そこから資源の価値に再注目、再評価して、それを何か商材として売っていこうという試みだったんです。
━━そういうツアーは、今でも開催してるんですか?
宮本:今はもう、いろんなところが同じようなことをやり始めてるので、うちはやってないですね。やっぱり開拓者なんで、最初はやるけど、人がやり始めたことには興味がないんですよ。
━━道ができちゃったら、そこの道は勝手に歩いてくださいよと。
宮本:みんながやってくれれば、全然問題ないですね。
━━『ねおす』の活動が20年ほど前ということですが、その後はどんなお仕事をされていたのでしょうか?
宮本:『ねおす』の活動を続けていく中で、地元の方から「こいつは信用できる」とか「お前はいいやつだ」と言われる機会が増えてきたんです。「なんで?」って聞くと、「普通、コンサルってのは、地元に来て、いろいろ喋って、お金もらって、帰ってく。ところが、あんたは情報や価値を持ってきてくれる上に、ツアー料金まで払ってくれる」って言うわけですよ(笑)。それで、今度は地域側から、地域の人達が交流できるような場作りとか、受地側の整備をやってくれないかっていう依頼がくるようになって。
━━自治体から、そういう話がくるってことですか?
宮本:自治体とか、地域の人とかですね。
━━そういう依頼に対して、具体的にはどういった行程で仕事を進めていくのでしょう?
宮本:最初に請け負ったのは後志にある黒松内町で、まず作開小学校っていう廃校舎を、外からの人の受け入れと、地域の人が交流できる拠点にしようってことになって。そこで、ワークショップをしながら、地元の人と一緖に交流を軸にした地域全体のビジョンを考えて、コンセプトを決める。黒松内町だったら、ブナの北限っていう特性があったので、それを売りにしながら、コンセプトに則って、施設整備とか、受け入れるソフトとかを全体的にプロデュースしていくっていう流れですね。
当時、黒松内の交流人口はほとんどないに等しかったけど、今では道の駅だけでも20万人近い出入りが生まれています。
━━道の駅のピザとか、すごい有名になってますもんね。今、話を聞いてきた限り、宮本さんのビジネススキルって、誰かに教わったものではないじゃないですか。自分の経験から学んでるというか、実体験をもとに別の地域でも展開できるようなことを実践しているって感じなんですか?
宮本:うーん…そう。ただ、途中からは〝学び方を学んでる〟って感じですね。
━━学び方を学んでる?
宮本:最初からそうだったわけじゃないんだけど、だんだん色んな人から教えてもらったりとか、他人の力をうまく使って、仕事を実践するようになったって感じですね。それがまた自分の身になり、ノウハウになるっていうやり方を途中から模索してきたというか。
だから、経験としては学んでるんだけど、いろんな人が自分に教えてくれるような仕組みを作ったともいえますね。
━━経験から学ぶのを前提に、いろんな人が自分に新しいことを教えてくれるような動きを意識的にしているということですかね。
宮本:黒松内の後、登別に『ふぉれすと鉱山』っていうネイチャーセンターを作ったんですよ。そのときに意識したのは〝オープンソース型〟という考えで、Wikipediaとか、インターネットの世界みたいに中身を書き換えられるようにしたいと思ったんです。つまり、コンセプトとかモジュールはこっちで作るけど、中のソースは、利用者が書き換えられるっていうネイチャーセンター。そうやって永遠に回り続けられるシステムができて、しかも、実際に年間3万人くらいが出入りするようになったんですよ。
そういった成功体験を、自分の学びにしてるって感じですね。色んな人に携わってもらいつつ、自分の中のソースを誰かに書き換えてもらうっていうか。だから、ビジネススキルも誰かに書き換えてもらって、勝手にアップデートされていくような感覚ですね。自分が一生懸命成長しようとしてるってよりは、経験を経て自動的にアップデートされていくっていう。