「何もない場所」だからこそ広がる大きな可能性と
腕一本で食べていくという職人としての決意

蒲生貴之さん(28)
 職業:リペア業
出身地:函館
現住所:函館
 函館→東京→名古屋→函館

 
 技術で仕事をする〝職人〟に憧れ、『お直し屋』という職業に辿り着いた蒲生貴之さん。函館を出てから、東京、ロンドン、名古屋と様々な土地を渡り歩き、2014年の夏に地元へ帰ってきました。現在は自身が開業したお直し屋で洋服のリペアに取り組む傍ら、DJとして自主イベントを運営。2015年には待望の第一子も産まれ、家族3人で函館生活を満喫しています。そんな蒲生さんに〝これまで〟と〝これから〟のお話を伺いました。

 
 
 
 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年5月20日
 

 
 

 
 
 
 
 
 

熱血ラガーマンから、渋谷んクラブDJへ!

 
 

 
━━では、時代をグッと遡って、函館にいた頃のお話を聞かせてください。
蒲生:生まれたのは本通です。4年生まで本通小学校に通っていて、引越しの関係で5年生からは青柳小学校に転校しました。中学は、そのまま潮見で、高校は有斗に行きました。

━━学生時代にハマっていたことや、情熱を注いでたことはありましたか?
蒲生:情熱を注いだことと言えば、高校のラグビー部ですかね。友達の兄貴が陵北高校でラグビーをやっていて、高校に入る前の春休みに観に行ったんです。相手は、自分が入学することになっていた有斗高校でした。
最初は友達の付き合いで行ったんですけど、実際に観てみたらカッコよくて。中学まではバスケをやってたんですけど、高校ではラグビーをやることに決めました。

━━有斗高校といえば、ラグビーの強豪校だったと思うんですけど、最高成績はどのくらいでしたか?
蒲生:1年と3年の時に、南北海道で2位になったのが最高成績でした。とにかく高校3年間はラグビー一色でしたね。

━━その頃、卒業後の進路はどのように考えていました?
蒲生:ラグビーばかりしていましたが、かといってラグビーで進学しようという気持ちは全然なくて、とにかく東京に行きたいと思っていました。

━━東京へ行きたいという気持ちは、いつ頃、どこから芽生えてきたのでしょう?
蒲生:特に理由は覚えていないですけど、中学生の頃から何となく「函館出るんだろうなぁ」とは思ってました。先輩とかでも、東京に出て行く人が多かったので。なので、東京の大学へ進学したんですけど、何を学びたいというのは特になくて、とにかく東京へ行くための進学でしたね。

━━函館から出てきた18歳の少年の目に、東京の街はどのように映りましたか?
蒲生:単純に人が多いなぁと思いました(笑)。これだけでも、函館にはない風景だと。

━━確かに、そうですよね。新宿や渋谷あたりは、毎日が『港祭り』くらいの人出ですもんね(笑)。大学では、特に何を勉強したいという目標がなかったとのことですが、実際にはどんなキャンパスライフを送っていたのでしょう?
蒲生:大学にはあまり馴染めませんでしたね(笑)。ギャル男みたいな、チャラチャラした人が多かったので。バイト先の方が、気の合う連中が多かったので、そっちの友達と遊ぶことが多かったです。DJもやってたので、クラブにもよく行ってましたね。

━━DJは、どのようなきっかけで始めたのでしょう?
蒲生:高校生の頃からやってて、それも周囲の影響ですね。DJやってた人が多かったので。東京に出てからも帰省する度に、函館でレゲェやスカのイベントを開催したりしてました。
そこにたまたま、東京でレゲェやスカのDJをしている函館出身の人が遊びに来てて、「俺も東京でレゲエやスカのイベントやってるから遊びにこいよ」って誘ってくれたんです。で、実際に行ってみたら「スタッフやらない?」ってことになって。最初は雑用でしたけど。

━━DJ業界というのは、意外と体育会系なんですか?
蒲生:そうですね。ジャンルにもよると思いますけど、そういう傾向はありますね。まずは雑用や先輩の荷物持ちから始まって、その後はあまりお客さんが入らない早い時間帯で30分くらいのプレイ時間をもらったりとか。僕の場合は、最初に遊びに行ってから2ヶ月くらいで、ブースに立つ時間をもらえるようになりました。
 

 
 
 

 

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