悔いを残さない為に出かけた長期海外旅行
━━実際に、お直し屋で働いてみた感想はどうでしたか?
蒲生:まず「楽しいな!」と。今までに関わったことのない業種だったので、仕事を覚えること自体が楽しかったです。何より技術というのは、やればやるほど身につくものなので、段々と上手くなっていくのが楽しくて仕方なかったですね。
━━途中で嫌になったりとか、別の職種にすればよかったと思うことはありませんでしたか?
蒲生:それは仕事なので、嫌なこともありましたし、どうしても上手くいかないという技術面での壁に当たることもありました。けど、辞めようと思ったことは一度もなかったですね。それは、未だにないです。
ただ、食べていくためには給料が足りなかったので、夜は渋谷にあるHOME(※1)というクラブでアルバイトをするようになりました。
━━なぜ、アルバイト先としてクラブを選んだのでしょう?
蒲生:HOMEでは学生の頃からDJをしていて、スタッフの人にお直し屋で修行を始めたことを話すと「うちで働く?」と誘ってくれたんです。そこで働いているうちに、音楽をやっている様々な人と出会い、イベントの作り方とかブッキングの仕方も学びました。気づけば、クラブ遊びがライフワークになってましたね(笑)。
━━DJとしても活動していた中で、特に印象的だった出来事はありますか?
蒲生:DJ SCRATCHY(※2)というアーティストが来日した際に、ジャポニクス(※3)主催のイベントが開催されて、そこにDJとして参加させてもらえたことですね。実際に見たDJ SCRATCHYは、オシャレで紳士的だけど、DJは攻撃的で、むちゃくちゃカッコよかったです。
━━自分の夢であるお直し屋として修行を積みながら、DJとしても着実に活躍の場を広げていったと。そこから独立までには、どのような道筋を辿ったのでしょうか?
蒲生:お直し屋には約4年間勤めていました。僕はそもそも独立することを前提に修行をしていたので、いつかは辞めるつもりだったんです。社長も、最初から独立には賛同してくれていて、技術だけではなく営業などの勉強もさせてもらいました。
━━では、独立する準備が整ったから、辞めることになったと。
蒲生:そういうわけではないんです。実際、もっと学べることはあったと思います。ただ、その頃から函館に帰るという気持ちが強くなっていました。もちろん、独立を前提としてです。そういう計画をリアルに思い描いた時に、今のうちにやっておかなければいけないことがあると思ったんです。
━━「今のうちにやっておかなければいけないこと」とは何だったのでしょう?
蒲生:海外への長期旅行ですね。学生の頃からあちこち行ってたんですけど、独立して自由な時間がなくなってしまう前に、行きたいところへ行っておきたいという気持ちをずっと抱えていたんです。
━━まず最初に函館に帰ろうという想いがあって、その前に旅行へ行きたいという計画があり、それを逆算する形で仕事を辞めたと。
蒲生:そういうことですね。それで、中南米を中心とした旅に出たんです。その時に付き合っていた彼女と2人で。期間は約半年でした。
━━中南米をメインにしたのは、なぜですか?
蒲生:いろんな目的がありましたが、一番は音楽ですかね。彼女も僕も音楽が好きで、特に中南米の音楽が好きだったんです。
あとは、なるべく遠いところに行こうとも考えていました。十何時間も飛行機に乗るような旅をするなら、体力的にも今だろうと。
━━半年の旅で、最も良かった場所を教えてください。
蒲生:キューバは、とても良かったです。社会主義ということもあってか、他の国とは大きく異なる印象を受けました。
━━具体的には、どのような点で違いを感じましたか?
蒲生:勝手なイメージですけど、社会主義国って貧しいと思っていたんです。だけど、実際に現地の人と話している中で、どこの国よりも心豊かな人が多いなと感じました。
キューバの前にいたメキシコでは、貧富の差がとても激しく、田舎の方へ行けば行くほど殺伐とした雰囲気だったので、余計に。
しかも、ちょうど日本がアメリカとTPPを結ぶかどうかというニュースが話題になっている時で、アメリカと自由貿易協定を結んだことで貧富の差が拡大したメキシコの姿が、未来の日本に重なって見えたというか。反対に、アメリカとの国交を絶っているキューバの方が、みんな楽しそうに暮らしていることが、とても印象的でした。
━━念願の長期旅行が実現した後は、すぐ函館へ戻ることになったのですか?
蒲生:いや、函館に戻ったのは、帰国から約1年後でした。実は旅行の最後、彼女にプロポーズをしたんです。サプライズだったんですが、驚きながらもOKしてくれて。それで、函館に帰る計画を具体的に立て始めたという感じです。
引っ越しするためにも、独立するためにも、まずはお金が必要だということで、2人でひたすら貯金をしました。僕は名古屋へ出稼ぎに行ったんですが、仕事は辛いけど、未来に向かっている実感があったので気持ちは前向きでしたね。