花を愛で、パンクを貫く
批判も評価もひとりで受け止めるという孤高の精神

加藤 公章さん(34)
 職業:花屋
出身地:函館
現住所:函館
 函館→札幌→函館
 

 
 
 
海と山が遊び場だった小学生時代から一転、ギターを買ってもらったのをきっかけに中学時代からバンド活動にのめり込んでいったという加藤公章さん。その情熱は止まることを知らず、高専卒業後には札幌に拠点を移してバンド中心の生活を送っていたそうです。そこで生活を支えるために始めたのが、花屋のアルバイト。一見、バンドマンとは無縁の職業ですが、花屋で働くことで〝仕事〟に対する意識が大きく変わったといいます。バンドにすべてを注ぎ込んだ青春時代、そこで培われたパンクスピリッツが、どのように花屋と結びついていったのか、現在弁天町で『BOTAN』という花屋を経営している加藤さんに、その半生を語っていただきました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年9月18日

 
 

 
 
 
 
 
 

海と山が遊び場だった谷地頭での暮らし

 
 

 
━━最初に幼少期のお話を伺いたいんですが、ご出身はどちらですか?
加藤:生まれたのは函病で、小学校6年生までは谷地頭で育ちました。幼稚園は元町白百合幼稚園で、小2年までは谷地頭小学校だったんですけど、そのタイミングで青柳小学校と合併になったので、そちらへ編入しました。
 
━━合併する前の谷地頭小学校は各学年何クラスあったんですか?
加藤:2クラスですね。ただ、僕の下の学年は1クラスでした。合併後は3クラスになりましたね。あんまり変わってないんですけど。
 
━━生徒数が同じくらいの2校が合併したという感じだったんですね。谷地頭とか青柳のあたりというのは、市内でも海を身近に感じられる地域だったと思うんですけど、当時はどんな生活、遊びをしていましたか?
加藤:もうほんとに、山と海でばっかり遊んでましたね(笑)!立待岬までいく道周辺の山とか、千畳敷を探検したり、あとは海でゴムボートに乗ったりして遊んでましたね。
 
━━ゴムボート!? あの辺りって岩場ですよね? 危なそうなイメージが…。
加藤:当時いつも遊んでた友人が、ゴムボート買ってもらって、それに乗って漂流したり、流されちゃったり、そういう変な遊びしてましたね(笑)。今考えると危なっかしいですけど。
 
━━海が近いという環境ならではの遊びですね。他に何か印象的だった出来事や思い出はありますか?
加藤:周りの友達の影響なんですけど、塾に通ってました。宇賀の浦小学校の近くにあった『佐野塾』っていう小さな塾なんですけど。僕は自転車で通っていて、今までよりもちょっと外に出ていけるのが楽しくて。
 
━━それは勉強に興味があったんですか? それとも塾というコミュニティに興味があったという感じでしょうか?
加藤:勉強というより塾自体ですね。どんなもんなのかと。で、帰りにちょっと大門に寄り道したりするんですよね。すごく大人になった気分だったのを覚えています。
 
━━小学生とかだと、家と学校の周りが世界のすべてという感じですもんね。そこから少し外に出ることで大人びた気持ちになるというのは、とてもよくわかります。青柳小学校ということは、そのままいくと中学校は潮見中ですか?
加藤:そのはずだったんですけど、中学に入る時に、祖父の家のそばに引っ越すことになっちゃって。卒業間近に親から「あんたは潮見中学校には行かないんだよ」って言われて。かなりショックでしたね。なので、深堀中学校に通いました。

 
 
 

━━わかります。僕も親が転勤族だったので。転校を告げられるのってショックですよねぇ。では、友達がいない中で、始まった中学校生活はいかがでしたか?
加藤:まぁ、思い返せば、たぶん馴染んでなかったんじゃないかな~って思います(笑)。
 
━━周りは小学校から一緒に上がってきてる人たちが多い中で、急にひとりでポーンと放り込まれて、あまり馴染めなかったと。
加藤:馴染めなかったし、やっぱり今思うと西部地区の人間って独特ですよね。やっぱり親のタイプがまず違うのかなって。
 
━━〝親のタイプが違う〟というのは具体的にどういった部分ですか?
加藤:今、自分が親の世代になって改めて思うんですけど、西部地区ってこだわりとか地元愛がすごく強い人が自然と集まってくる土地だなぁって思うんですよね。
そこで生まれた子どもたちっていうのは、やっぱり個性があるというか、それが他の地域とちょっと違うんじゃないかと感じています。
 
━━市内の中でも住んでる場所によって多少毛色が違うと。それは確かにあるかもしれませんね。そういう馴染めない環境にありながら、中学生の時はどんなことをして過ごしていましたか?
加藤:バスケ部に入っていたので、普通に3年間、バスケットをしてましたね。
 
━━世代的にはやはり『スラムダンク』の影響ですか?
加藤:まさしくそうですね(笑)。小学校までは野球少年だったんですけど、『スラムダンク』を読んで「おれはバスケがしてぇ~!」ってなって(笑)。これは野球じゃないぞって思い、バスケ部に入りました。当時はみんな『スラムダンク』に憧れていたと思います。
 
━━深中のバスケ部は強かったんですか?
加藤:うーん。中位ですかね。全道はちょっと遠いなぁというくらいでした。
 
━━そういう中でも、バスケにはかなり情熱を注いでいたという感じですか?
加藤:いや。まぁ、そこそこって感じです(笑)。
 

第2回へ続く