国内外の都市との比較から見えてきた函館のポテンシャル


━━苧坂さんが、函館に移住されたのって何年前のことなんですか?
苧坂:6年前、2010年ですね。出身は兵庫県の養父市というとことです。日本昔話に出てくるような、ザ・田舎なんですよ。

━━小さい頃から、行動力のある女の子だったんですか?
苧坂:記憶はないですけど、3歳くらいの頃はすごい活発な子だったらしいです。すごく無鉄砲で、コンセント見つけてはピンセットを挿したりとか(笑)。
だけど、私の中では、いつも隅っこにいる子だったような記憶しかありませんね。すごく引っ込み思案で。でも、なぜか時々無謀なことに挑む子でした。いきなり、委員長に立候補してみたりとか(笑)。急に「今だ!」みたいに思うんですよね。普段から、そういうタイプじゃないから、大抵は選ばれないんですけど(笑)。

━━その突発的な行動力は、今にも繋がっている気がしますね(笑)。兵庫には、何才頃までいたんですか?
苧坂:村社会というか、すごく狭い世界だったので、小さい頃から閉ざされた感じがすごく嫌いで、早く出ていきたかったんですよ。だけど、親が保守的でなかなか出してもらえなくて。結局、高校卒業までは兵庫に住んでました。
本当は、高卒後の進路も東京に行きたかったんですけど、親が「東京なんて魔物の巣窟だ! 娘をひとり、そんなところに行かせるわけにはいかん!」みたいな考えだったので、大反対されて。それで、大阪にある美術の専門学校に進学しました。

━━大阪も十分に都会だったと思いますが、地元を離れてみての生活はいかがでしたか?
苧坂:行く前は知らなかったんですけど、大阪で住んでたところがすごく治安の悪いところで、自分のマンションで放火があったりとかしたんですよ(笑)。

━━ある意味、東京よりも魔物の巣窟じゃないですか…(笑)。
苧坂:バイト先の人に放火のことを話したら、「この辺じゃ普通だよ。普通、普通」って言われて。よくよく考えると、パトカーも救急車も消防車も毎日通ってるなって(笑)。それで、もう住んでるのが怖くなっちゃって、京都にいる友達のところへ遊びにいくようになったんです。もう、京都ののんびりした空気感がいいなぁと思って。
ちょうど、「専門学校で美術を習うってどうなんだろう?」と思い始めていた時期でもあったので、親に相談したら「学費も払えないから辞めたら?」って言われて(笑)。それで、自分で働くから学校は辞めるってことで、アルバイトをしながら京都で暮らすことになったんです。

━━立場も街も変わりましたが、京都での生活はどうでしたか?
苧坂:すごくよかったですね。小さな盆地の中に面白い店が点在していて、自転車で気軽に行けるし、みんな質が高くて。扱ってるものも、人も面白いですし、キャラが濃い人が多いですからね。ひとりと知り合ったら、数珠繋ぎで面白い人とたくさん知り合えるのが楽しかったです。
仕事は色々してたんですけど、デザイン事務所で働いている時に社長がカフェを始めるって言い出したんですよ。私としては、「デザイン業務が忙しいのに、何を言ってるの?」って感じだったんですけど、その会社が仕事のできない人をフェードアウト的に辞めさせていくようなところだったんですよね。目の前で辞めさせられていく人達を見てて、「次は私だ…」という危機感があったので、思い切って立候補したんですよ、カフェ事業のスタッフに。

━━でましたね、突発的な行動力!
苧坂:はい(笑)。何の経験もなかったんですけど、カフェ巡りをして、メニューを考えてくれる人と一緒に打ち合わせをして、店長として店に立つことになったんです。そこでまた色んな人と知り合って、京都生活がますます楽しくなりましたね。主人と知り合ったのも、そのカフェでした。



━━函館に移住するまでは、ずっと京都で暮らしてたんですか?
苧坂:カフェの仕事をして1年後には東京に移りました。最初は派遣のバイトをしてたんですけど、将来のことを考えると、このままでは危ないと思って、「私は何がしたいんだろう?」という自問自答を繰り返して、結局はデザインの仕事をしたいという気持ちに至ったんです。
それで、仕事をしながらスクールに通って、改めてWebデザインの勉強をしたんですよね。その後は、医療機器メーカーで社内ホームページを担当する仕事に就きました。東京には4、5年ほど住んでいたんですけど、東京で子どもを育てようとは思ってなかったので、妊娠を機に離れることにしたんです。
最初は京都に行こうと考えたんですけど、家族や親戚がいなかったのと、主人のパン屋の開業資金がなかったので、函館に移住することになりました。主人のお父さんとお母さんがギャラリーをやっていたので、そこを貸してもらえれることになって。

━━それまで、函館に来たことはあったんですか?
苧坂:1回も行ったことがなかったんですよ。失礼な話なんですけど、調べたこともなかったし、行こうと思ったこともなかったです。北海道って、富良野しか知らなかったので、ラベンダー畑のイメージしかなかったですね(笑)。

━━函館の風景とは、ずいぶん違いますよね(笑)。それだけ知らない土地に移住すること対して、不安はなかったんですか? 
苧坂:そういうのはまったくなかったですね。知ってる人は主人だけなんですけど、子どもも生まれたところだから、「主人と子どもがいれば、なんとかなるかな」みたいな気持ちで。
だけど、最初は、いつでも出ていくつもりでした。どこかいい土地が見つかったら、出て行こうと。

━━それは、道内に限らず?
苧坂:はい。もう世界中でっていう気持ちで。『tombolo』がオープンして、2年目にはフランスへ旅行に行ったんですよ。パンの研修を兼ねて。私は本気でパリに移住することも視野に入れて行ったんですけど、なんか街が近代化されていて魅力を感じなかったんです。フランスの田舎町にも行ったんですけど、道も汚いし、ごはんも特別美味しいわけでもないし、結局「函館の方が、ポテンシャルあるよなー」って。
京都にも改めて行ってみたんですけど、2、3年経つと、やっぱり状況も変わっていて。都市化が進んで、忙しない感じがしてダメでした。福岡県の糸島市に1ヶ月半くらいトライアルステイをしたこともあって、そこは景色も雰囲気も最高だったんですけど、主人が「極楽すぎて、ここにいたら働かなくなるわ」と言うので却下になりました(笑)。
結局、どこに行っても「あれ? なぜか函館の方がいいなぁ」ってなるんですよね。「なんかおかしいなー」って思いつつも(笑)。

━━「なんかおかしいなー」と感じたのは、実際に函館に来てみて「すごくいい!」という実感がなかったってことですよね?
苧坂:そうですね。なんとなく「いいなー」とは思ってたんですけど。その理由がわからなくて。「ここの眺めは最高だな!」って思うことはあっても、「それって何を基準に最高って思ってるんだろう?」みたいな。だけど、実際に色んなところへ行って、ひとつずつ比較してみると、函館が上位に上がってくるんですよ。

━━当時は、まだ見ぬ新天地に何を求めていたんですか?
苧坂:うーん、何でしょうね。自分達が楽しく暮らせる場所ですかね。

━━函館よりも、もっと楽しく暮らせる場所があるんじゃないかと。
苧坂:そうですね。なんか窮屈に感じていたんですよね。でも、今になると、その窮屈さって自分で作ってたんだなって思います。自分次第で、全然楽しく暮らせるわって。
ちょうどその頃、箱バルメンバーの富樫さんに「なんで函館が好きなの?」って聞いたら、「世界で一番カッコ良い街だから!」って即答されて。そこで、ようやく納得できたというか。「やっぱ函館だな!」って思えました。

━━では、新天地探しは一件落着というわけですね。
苧坂:ようやく落ち着きました(笑)。

━━デザインの制作過程の話と通じると思うんですけど、苧坂さんは、とことん可能性を探した上で答えに辿り着かないと納得できないんでしょうね。
苧坂:モヤモヤしてるのが本当に嫌なんですよね。どうしても聞いたり、探さないと気が済まなくて(笑)。





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