「古民家をもらって、カフェをオープンさせた」という嘘のような本当の話


━━今日、インタビューで伺っている『An deux HOUSE』も、箱バル不動産でリノベーションを手がけた物件ということですが、ここが完成するまでの経緯を教えてください。
苧坂:私、一般的にはパン屋の女将さんっていう風に思われていたので、なかなかデザインの仕事が入ってこなかったんですよね。だから、無理にでも独立しようと思って。そのためには、まず事務所だろうと思ったんです(笑)。

━━カタチから入ろうと(笑)。
苧坂:カッコイイ事務所があったら気合いが入るなと思って(笑)。それで、西部地区でカッコイイ物件を探してたんです。
その時から、この建物が気になってたんですけど、ある日、前を通りかかったら、すっごい爆音で高橋真梨子がかかってたんですよ。「高橋真梨子を聴くのって、どの世代の人だろう?」「どんな人が住んでるんだろう?」って、気になっちゃって。そしたら、ほんの少しだけドアが開いてたんですよ。

━━気になりますねぇ。
苧坂:それで、どうしようと思ったんですけど、ピンポンもなかったから、思い切って「こんにちはー!」って声をかけてみたんですよ。そしたら、アインシュタインみたいなおじいちゃんが出てきたんです。「高橋真梨子を聴いてたの、おじいちゃんだったんだー!」と思ってびっくりしたんですけど、建物の中に漆喰の壁と真鍮の手すりが伸びてるのが見えて、俄然興味が湧いて。
それで、おじいちゃんに「ちょっと中を見させてもらいたいんですけど」って言ってみたら、すんなり「いいよー」って上げてくれたんです。「えーっ、上げてくれるんだ!」と思いましたけど(笑)。それで、一緒に高橋真梨子を聴いたんですよね。

━━いきなりドアを開けて「家の中、見せてください!」って言う苧坂さんもですけど、それで「いいよー!」っ言ってくれるおじいちゃんもすごいですね(笑)。
苧坂:そうなんですよ(笑)。それで、おじいちゃんが音響好きな人で、自分で作った真空管アンプで音楽を聴いてたんです。その音がめちゃくちゃよくて。「めちゃめちゃ音がいいですね」とか、「すごいカッコいいですよねこのスピーカー」って話をしてたら、いろんな音楽を聴かせてくれたんですよね。たくさんCDがあったんですけど、アルゼンチンタンゴとかジャズとかAKB48まであったんです。すごい幅広くて、面白いおじいちゃんだなって。
それで、思い切って「ここ貸してください!」って言ったんですよ。

━━えー! 人が住んでる家に入っていって、「ここ貸してくれ!」って言ったんですか? 体のいい海賊みたいですね(笑)。
苧坂:ですよね(笑)。だけど、おじいちゃんは「あげるよ!」って言ってくれたんです。

━━えっ、家を?
苧坂:はい(笑)。私も「えー!?」と思って、「本気かなー?」って思いつつも、もう一回聞くのも怖いし、そのまま普通に話してたんです。そしたら、そこに偶然甥っ子さんが来て、おじいちゃんが「この人にね、この家あげようと思うんだよ」って言って(笑)。

━━甥っ子さんも、いきなりそんなこと言われてビックリしますよね。
苧坂:いや、甥っ子さんも「あ、いいねいいね!」みたいな(笑)。すごい軽い感じで。

━━うまい話すぎて、逆に怖くなってきた…(笑)。
苧坂:で、話を聞いたところ、どうやら建物自体を壊す予定だったらしいんですよね。甥っ子さんも、荷物の整理をしに来てたみたいで。
だけど、本当にもらえるのかもしれないって思った途端に、「私、本当に手に負えるのか?」みたいな不安も湧いてきて。だから、とりあえず、その日は「また音楽聴きに来ます!」って、電話番号だけ教えてもらって帰ったんです。本当に音がよかったし、もうちょっとおじいちゃんと話したいなと思って。

━━その後は、どういった展開になったんですか?
苧坂:おじいちゃんに出会ったのが10月半ばで、その1ヶ月後には、本当に書類の準備をしていこうって言ってくれて。色々と手続きが進んでいって、年内中には譲渡が終わったんです。
それで、「もう、やるしかないな」って思って。本格的にデザインの仕事をやりはじめました。今は、ここをジグザグ社の事務所としても、箱バルの事務局としても使えるように整備しているところです。



━━『An deux HOUSE』の1階はカフェになっていますが、この計画はどのようにして持ち上がったのでしょうか?
苧坂:建物を譲渡してもらえることになって、最初にイメージしたのは京都の『増田屋ビル』みたいなところで、古い建物にいろんなテナントが入るような場所にしたいなと思ったんです。
ただ、自分がやってみると、ここに来る人がみんな知り合いになっちゃうみたいな場所になっていって、これはこれでいいなって思って。ここがあることによって、「西部地区が賑わってきたね!」とか、「面白いことやってる人がいるよ!」みたいになればいいなって。
実際、西部地区は面白い店とかあるんですけど、繋がってないことで損してるという側面があるなと思っていて。感性は違うけど、そこに集うことによって、いろいろ情報交換ができて、賑わっていくのって、やっぱりカフェかなと思ったんです。

━━では、そういう考えのもとでテナントを募集したと。
苧坂:募集したというか、カフェをやりたい人が現れたんです。

━━また、不思議な話の予感が…(笑)。
苧坂:人が決まる前に、カフェの名前とかロゴを考えてたんですよ。店名は、おじいいちゃんが音響好きだったのもあって、ラジオが真空管からトランジスタになり、それによって音響機器が小さくなって、いろんなものが繋がって発展してきたという意味を込めて『Transistor CAFE』に決めました。一番アナログなところがおじいちゃんで、それで次世代に繋ぐという意味で。実際に、おじいちゃんが作った真空管アンプもお店で使わせてもらってるんですよ。
そうやって、人も決まってないのに、店名とロゴが先にできたんです。自分でやるわけでもないのに、「誰かカフェをやりたい人が来てほしいなぁ」って思いながら(笑)。
そしたら、数日後に東京からカフェをやりたいって人が来たんですよ! 『tombolo』に。

━━またまた、話がうまくいきすぎてて怖くなってきた…(笑)。
苧坂:その人は、東京ですごく人気のあるカフェの店長をされていたんですけど、始発で出勤して終電で帰るという生活だったらしいんですよ。仕事に生きがいは感じてるんだけど、自分の生活がまったくないという。
彼には、大沼で農場を経営されているお兄さんがいて、弟の体を心配して何気なく「函館に引っ越しておいでよ」って言ったらしいんですよね。それでスイッチが入ったのか、カフェを辞めるという話をして、そのまま函館に家を探しに来てたんです。函館でカフェをやりたいって。

━━すごいタイミングで、待ち人が現れましたね!
苧坂:そうなんですよ。話を聞いてて、「ナニナニ? 函館でカフェをやりたい?」と思って。「それなら、いい物件ありますよ!」って(笑)。

━━「店名も決まってるし、ロゴもできてるから、あとは人がいればできますよ!」と(笑)。
苧坂:そうそう(笑)。それで、店名のこととか、おじいちゃんのこととか色々話したんです。彼は、カフェっていう場所を存在させたいという想いがあって、店名とかにはあまりこだわりがなかったんですよね。それで、ちょうどおじいちゃんにも会えて、中を見せてもらうこともできたんです。建物の歴史を引き継いで、縁を繋ぐということも理解してもらった上でオープンしてくれそうな人だったので、「もう、この人しかいないな」って思って。その時が、ほぼ初対面だったんですけどね(笑)。
次の日には家を決めて東京に帰っちゃったので、たぶんお互いに「本当にカフェができるのかな?」って半信半疑だったと思うんですけど、その後、実際に引っ越してきて、内装工事を始めて、春のバル街に合わせてオープンしたんです。





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