■知られざるラ・サール高校の寮生活
━━額賀さんは、生まれも育ちも西部地区なんですか?
額賀:生まれたのは、母方の実家がある柏の病院なんですよ。いわゆる里帰り出産ってやつですね。それで、当時は父親が北海道医療大学の口腔外科に勤めていたので、札幌に住んでいました。
━━そうなんですね。札幌にいた頃のことで何か覚えていることはありますか?
額賀:いゃあー、ほっとんど無いですね(笑)。4歳までしかいなかったので。
━━そのあとは、函館に?
額賀:そうです、そうです。父親が実家の医院に務めることになったので、5歳で函館に来て、白百合幼稚園に通っていました。その頃から、西部地区に住んでいて、小学校は青柳小学校でしたね。
━━青柳小学校は、弥生小学校などと統合合併するという計画になっているようですが、当時は何クラスくらいあったか覚えていますか?
額賀:4クラスでしたね。合併に伴って、校舎もなくなっちゃうみたいなので、そこはちょっと寂しいですね。
━━そうかー。校舎がなくなっちゃうのは寂しいですよね。
額賀:まぁ弥生の方が校舎が新しいんで、仕方ないんでしょうけど。
━━この辺りで育った子どもは、やっぱり海が遊び場って感じだったんですか?
額賀:夏は、もっぱら海でした。室内で遊んでた記憶はあまりないですね。あとは、5歳からラグビースクールに通っていたので、毎週日曜日は根崎のグラウンドでラグビーをしてました。
━━お父さんがラグビーをやられたてとか。そういうきっかけですか?
額賀:そうですね。父親がラグビースクールの先生だったんですよ。なので、兄弟はみんなラグビーをやらされていました(笑)。
━━男3兄弟ですもんね(笑)。自分の親に習うのって、気恥ずかしさみたいなのはなかったですか?
額賀:ラグビースクールって、学年別にコーチがいたので、直接習ったことはないんですよ。だけど、最初は通うのが嫌でしたね。別にラグビーが嫌いだったわけじゃないんですけど、日曜日に、朝早くから出ていくのが嫌で。
━━せっかくの休みですからねー。
額賀:でも、小4くらいになると遠征とかがあるので、その辺りから楽しくなっていったような記憶があります。
━━では、中学校でもラグビーを?
額賀:潮見中にはラグビー部がなかったので、サッカー部に入ってたんですけど、日曜日はラグビースクールに行ってました。中学の時は、ほとんどスポーツばっかりやってましたね。
━━中学卒業後は、どういう進路に進んだのでしょうか?
額賀:高校はラ・サールに行きました。ラグビースクールの同級生で、ラ・サールに行くという人が多かったので。
ラグビーやるなら有斗って選択肢もあったんですけど、小学生の頃から一緒にやってるメンバーとラグビーを続けたいという気持ちが強かったので。
━━ラ・サールでの学生生活はいかがでしたか?
額賀:ラグビーを頑張るために寮に入ったんですよ。家が遠かったので。その寮生活が、かなり衝撃的でしたねー。
━━どういう部分に衝撃を受けたんですか?
額賀:1年生はもう、100人部屋なんですよ(笑)。
━━えっ!? 100人?
額賀:大きな部屋に2段ベッドがズラーっと並んでて、1年生はそこで寝泊まりするんですよ。2年生で4人部屋、3年生で2人部屋って感じになるんですけど。
━━1年生の時は、パーソナルスペースがベッドしかないってことですか?
額賀:ベッドも、パーソナルスペースにはなってないですけどね。2段ベッドなんで(笑)。
━━じゃあ、学校終わって、部活して、寮に帰ってきて、みんなでご飯食べて、2段ベッドで寝ると。
額賀:寮に帰ってきてからは、自習時間があるんです。
━━えーーっ!? 強制的な自習の時間ですか?
額賀:食事が終わって、点呼があって、実習室に入れられるんですよ(笑)。別に、決まった課題があるわけではないんですけど、上の学年の人がひとりついて、自習の時間って感じになります。
━━さすが、ラ・サールの寮! それは初めて聞きました。じゃあもう、ほとんど学校の敷地内で生活が完結する感じですね。つかぬ事をお伺いしますが、男子校で、しかも寮生活ってなると、女の子と出会う機会も圧倒的に少ないじゃないですか。高校生って恋愛に対しても多感な時期だと思うんですけど、ラ・サールの寮生って、どうやって彼女とか作るんですか?
額賀:友達の紹介とかしかないですよねー(笑)。部活をやってるラ・サールの寮生にとっては、友達の紹介っていうのが、女子と知り合う唯一の方法だったと思います(笑)。
━━いやぁ、知られざるラ・サール生の苦悩ですね(笑)
額賀:僕は高3になって寮を出たんですけど、そこから、ようやくみんなと同じような高校生活を送れるようになりました。元から成績は良くはなかったですけど、高3なってからまた一気に悪くなりましたね(笑)。
━━いろいろと解放されちゃったんですね(笑)。肝心の部活の方はいかがでしたか?
額賀:ラ・サールとして、全道大会とかに行くことはできなかったんですけど、個人としては北海道選抜に呼んでもらったりもしていました。それで、一応、慶応大学からラグビー推薦の話ももらってたんですけど、高校の事情でダメになっちゃって。
━━当時は、ラグビー選手になりたいって気持ちだったんですか?
額賀:ラグビーで食っていきたいって気持ちはなかったですけど、強い大学でラグビーやりたいっていう思いはありましたね。だけど、その推薦の話がなくなってしまったので、実家の歯医者を継ごうという気持ちになりました。それで、東京歯科大学を受験したんです。
━━道内にも歯科系の大学はあると思うんですけど。敢えて関東の学校を選んだ理由はなんだったのでしょう?
額賀:父の母校だったんですよ。一応、北海道医療大学も考えてはいたんですけど、倍率がすごく高かったんですね。ずっと勉強していなかったことを考えると、ちょっと難易度が高くても、倍率が低い学校の方が可能性はあるのかなと思って。志望校が決まってからの3ヶ月くらいは、人生で一番勉強しました。今までとあまりに変わったので、親は心配していましたけど(笑)。