■函館の友人との間に感じる特別な密度と、考え方のギャップ
━━仕事も決まり、晴れて都会暮らしがはじまったわけですが、都会での暮らしはいかがでしたか?
町屋:すげー苦しかったです。「仕事って、こんなに大変なの?」って感じで。オープニングのレストランだったのですごく忙しくて、朝9時から夜中2時くらいまで働く毎日でした。体重は10kgくらい痩せるし、ストレスでハゲるし、もう大変でしたね。結局、2年半で辞めて、その後はプー太郎になって、ぶらぶらしてました。
━━思い描いていた都会暮らしとは、ほど遠かったと。そこからは、どんな生活をしていたんですか?
町屋:そのレストランで働いてる時に、店のパンフレットの撮影があって、「お前、出れよ!」って話になったんです。その時はそれで終わったんですけど、ちょっとしてから、ウェディングプランナーの人に「頼みたい仕事があるんだけど」っていわれたんですよ。それで、ブライダルフェアのモデルをやることになって、その後、モデル事務所に所属することになったんです。それが23歳くらいのときで、そこからはバイトをしながらモデル業をやってました。
━━なるほど。モデル一本で、食べていくのはなかなか難しいんですね。
町屋:そうですね。いい時はもらえるんですけど、安定はしていないので、掛け持ちしないと食べてはいけないですね。ただ、仕事としてはすごく楽しくて。人前で表現するというのは、どこかで憧れていた仕事でもあったので。
━━目立つのが大好きだったんですもんね(笑)。
町屋:そうそうそう(笑)。それで、モデル業を続けていくと、「もっといろんな仕事がしたい」という欲が出てきて。当時の事務所の先輩には、モデルやりながら、舞台でお芝居をやってる人とかもいて、自分もやってみたいなって思うようになったんです。しかも、どうせやるなら東京でやりたいと思うようになったので、25歳になる手前くらいで、モデル事務所を辞めて、東京に出ることにしました。
━━東京に出てきてからは、どんな暮らしを?
町屋:まずバイトを見つけて、それから、とにかく所属事務所を決めなきゃってことで、履歴書を30通くらい送りました。そのうち返信があったのが3件で、その中から事務所を決めたんです。
━━なかなか順調な滑り出しですね。
町屋:それが、そうでもなくて。事務所に毎月2万円払って芝居のレッスン受けてたんですけど、くる仕事は全部エキストラばっかりで。ギャラもないような。「最初は、こういうものなのかな」って思って頑張ってたんですけど、そういう生活が2年半くらい続いて、「さすがにちょっとおかしいんじゃないか」って思うようになったんですよ。
その頃には、役者仲間みたいなのもいたんですけど、他の事務所の話を聞いてると、うちの事務所は健全じゃない気がして。レッスン料ばっかりかかって、実際にはステップアップになっていないという。それで、人の紹介で事務所を移籍することにしたんです。
━━実際、移籍してからは仕事が増えたんですか?
町屋:前の事務所よりは、遥かに増えましたね。数もそうだし、第一線の現場に送られることが多くなりました。
━━それで今に繋がると。一度は辞めようと思いつつも、情熱が再燃したというお話でしたが、今後、東京で役者をやっていくにあたって、具体的な展望などはありますか?
町屋:この仕事をやっていく限り、「売れたい」って目標は絶対にあります。具体的にいえば、函館で自分が主演の映画をやりたいって目標は昔から持ってるんです。『そこのみにて光輝く』とか、函館を舞台にした映画を見てると、心の底から「出たいな」って思いますね。悔しいくらいに。そういう作品に出て、函館の人に、自分の姿を見てもらいたいっていうのが、ひとつの夢です。
━━函館を離れて12年ということになりますが、今の函館についてはどのような感想を持っていますか?
町屋:地元に関していえば、何も変わってないですね。そういう部分には安心感を覚えます。
一方で、駅前とか行くと、僕がいた頃とは全然変わってて、シャッターも閉まりまくってるし、懐かしいっていうよりも寂しくなりますね。
━━今はどのくらいのペースで帰省しています?
町屋:2年に一回くらいですね。地元の連中と遊ぶのがほとんどです。やっぱ、地元の仲間って特別というか、もちろん東京の友達も好きなんですけど、一緒にバカやって、苦しんでっていう友達って、結束が強いんですよね。
━━今暮らしている東京については、どういうところに魅力を感じていますか? 反対に嫌いな部分などもあったら教えてください。
町屋:東京は、洗練されていて、何もかもが第一線って環境なので、そこにいるのは楽しいし、自分を磨けるし、そういう意味ではすごく魅力的な街ですね。その分、競争は激しいので、大変でもありますけど。
難しいのは、人間関係ですかね。俳優業をメインにしていると、そういう関連の知り合いが増えるんですけど、結局は同業者なので、どこか腹の探り合いみたいな感じもあるんですよ。お互い、個人商売なので、仲間ではあるけど競争相手みたいな。「聞きたいことあるなら聞けよ」って場面もあって、人間関係に高校生のときみたいな密度がないってのは感じますね。そういうところが辛いなって思うときはありますけど、それ以外の私生活に関しては別に不自由はないですし、特に嫌なところもありません。
━━もし、俳優を辞めるとしても、東京に住み続けますか?
町屋:はい。正直、函館に戻る気はないです。小中高の仲間って、会うと嬉しいんですけど、ちょっと残念になるときもあるんですよね。変わってないことが、成長してないように見えるときもあって。
僕からすると「お前ら何かやりたいこととかないの?」って思うんですよね。向こうからしてみれば、「お前、まだやってんのか?」「そろそろ落ち着けよ」みたいな感じもあるんでしょうけど。
もちろん自分の意見を押し付ける気はないんですけど、僕は常に向上していきたいという気持ちが強いので、そのためには東京の方がいいかなって思っています。生まれ故郷に対して冷たいかもしれないですけど、函館は、たまに帰るからおもしろいというか。暮らすというよりは、帰ったときに仲間と遊んで、心を豊かにする場所という感じですね。
あじたか
「五稜郭にあるご飯屋さん。高校の同級生のお父さんがやってる店なんですよ。美術館の近くなんですけど、ピカソラーメンとかゴッホ丼とか、メニューが面白くて。オススメは「風変わりカレー」です!」
湯の浜の海
「高校生の時は、学校帰りに泳いだりしてましたね。今も、帰ると必ず寄る場所です。東京に住んでると、海が近いってのが誇らしいことだなって感じます」
Pizzeria Lounge Sol
「兄貴が働いているお店です。働き始めたときに、一回行ってペペロンチーノを食べたんですけど、次に行ったときどれだけ進化してるのかが楽しみです!」