■「常にリーダーでいたい」という、目立ちたがり屋の学生時代
━━有斗高校ではラグビー部に所属していたということですが、幼少期のことについて聞かせてください。
町屋:生まれたのは、たしか柏木町にある美馬産婦人科ってとこですね。それで、上湯の川の団地に住んでいました。小学校も上湯の川です。
━━当時は、どんな少年でしたか?
町屋:イキがってましたね(笑)。とにかく、目立ちたがり屋で、常にセンターにいたいみたいな。サッカーをやってたんですけど、「俺は絶対に10番!」みたいな子でした(笑)。今考えると、恥ずかしいですけど。
━━かなり自己主張が強い子だったんですね(笑)。そういう言動の根本には何があったんですか。女の子にモテたいなのか、クラスの人気者になりたいなのか。
町屋:実際、ある程度はモテてたんですけど(笑)。とにかく常に仕切りたいとか、リーダーでいたいっていう気持ちが強かったんだと思います。
━━当時から、体格も良かったんですか?
町屋:いや、ぜんぜん。めちゃくちゃ小さかったですね。中1のときは150cmくらいしかなかったんですけど、中3のおわりくらいから急に伸びて。今は182cmあります。
━━中学時代には、思い出深い記憶などありますか?
町屋:メインはサッカー部ですね。学校生活では、いわゆるヤンチャグループに属していたんですけど、いつも一歩下がって見てました。そういうグループに属してはいるものの、ちょっとビビってたというか、ワルになりきれないみたいな。兄貴がヤンチャだったので、親からは「あなただけは!」って言われてましたね(笑)。
━━有斗高校に進もうと思った決め手はなんだったのでしょうか?
町屋:学力的にそこしか行けなかったんですよ(笑)。兄貴が有斗だったので、親からは「あんたは公立行ってちょうだい! 兄弟そろって私立は無理!」っていわれてて、とりあえず商業を受けたんですけどダメで。結局、有斗しか受からなくて、親には「本当にすいません」と(笑)。
━━中学までサッカー部だったのが、高校からラグビー部に転向したのは、どんな理由だったんですか?
町屋:それは、兄貴の影響ですね。僕が入学したときに、兄貴が3年で、「ラグビー部の見学に来いよ!」っていわれたんです。当時、有斗のラグビー部には鬼監督がいて、「よし。お前、明日から来い。」ってなって、そこからはもう半強制的にって感じで(笑)。
━━有斗のラグビー部ってむちゃくちゃ強かったですよね?
町屋:強かったです。花園の常連校でした。ただ、僕らの代は全国まで行けていないんですよ。一個上の代が、全道で札幌山の手高校に負けて、自分らの代でリベンジだったんですけど、準決勝で山の手に負けたんです。そこからは、そこからはもう札幌山の手の時代でしたね。あれは、今思い出しても悔しいです。
━━試合には常に出場されてたんですか?
町屋:最初はぜんぜんレギュラーとれなかったんですよ。細いし、足遅いし、ぜんぜん使えないって感じで。だからボール拾いばっかりだったんですけど、そんなのは自分の性に合わないので、練習して、なんとかレギュラーを勝ち取って、最終的には選抜にも呼んでもらえました。
僕、何を始めるにしても、最初ぜんぜんできないんですよ。はじめから器用にこなす人もいるじゃないですか。僕は、本当にいつもぜんぜんダメで、できるようになるまでにすごく時間がかかるんですよ。今もスピーディに結果を出さないと勝ち残れない世界にいるので、そういう部分は課題ですね。
━━努力でまかなえる部分と、まかなえない部分ってありますからね。では、高校卒業後はどのような進路に?
町屋:親には「何やりたいかわからないけど、とりあえず東京に行く」っていったんですけど、もう少し考えなさいってことになって。
━━その時には、俳優になりたという気持ちは持っていなかったんですか?
町屋:俳優とかは考えてなかったですね。小学校の時に、ジャニーズJr.になりたいと思ったことはありましたけど(笑)。録画したミュージックステーションを見ながら、バックダンサーのジャニーズJr.がカッコ良いなーって思って。その頃から、都会に対する憧れはあったと思います。
ただ、高校卒業後は田家町にあるビジネスアカデミー専門学校に進学しました。そこに行って何かを見つけようと思って。
━━ビジネスアカデミー専門学校ってどんな勉強をするんですか?
町屋:学部が3つくらいあるんですけど、僕はホテル業とか接客業、観光業の学科でした。卒業後は、いよいよ函館を出たいと思って、札幌のレストランに就職したんです。東京に本社があって、札幌でも東京と同じ給料で働けるという求人で、「ここいいじゃん!」ってノリで。