■子育てのための帰郷と、日本教育の実情


━━オーストラリアではどんな生活をしていたんですか?
木村:向こうに行った年から、観光業の仕事をしてました。ケアンズって街に住んでたんですけど、そこに来る日本人観光客をグレートバリアリーフとかキュランダなんかの世界遺産へ案内するっていう。あとはサッカーもしてましたね(笑)。

━━やっぱりサッカーは切り離せないんですね(笑)。仕事は充実していましたか?
木村:もう、最高に楽しかったですね! こんなこと言うと嘘っぽく聞こえるかもしれないですけど、ハネムーンのカップルとか、家族連れの旅行者が、景色を見たり、ご飯を食べたりして喜んでいる姿を見ることが快感だったんですよ。
実際、ツアーは安いものじゃないんですけど、それだけの金額を払っているってことは、最高の思い出を作りたいに決まってるじゃないですか。だからこっちも一生懸命案内するし、そうすると相手も喜んでくれるんですよね。その喜びの瞬間に立ち会えるというのは、綺麗事じゃなく最高なんですよ!
暗い人の近くにいると暗くなっちゃうのと同じで、明るい人の近くにいると、こっちも明るい気持ちになれるんですよね。これは本当に。

━━そういう瞬間を共有できるというのが観光業の醍醐味なのかもしれませんね。
木村:ほんと、そうだと思います。さっき10年いることになったのは奥さんとの出会いがきっかけって言いましたけど、観光業との出会いも大きかったです。
楽しく働いているうちに、結婚して、子どもが生まれ、家を買って、気がつけば10年も経ってました。

━━家族がいて、持ち家があり、仕事も楽しいという環境だったにも関わらず、どうして日本に帰ろうと思ったんですか?
木村:日本の勉強をさせてあげたかったからです、子どもに。だから、仕事を辞めて、家も売って、帰国しました。

━━タイミングとしては、子どもが学校に入る前にって感じだったんですか?
木村:それもあるし、あとは自分が40歳になった時に帰ろうと思っても、厳しいだろうなって気持ちもありました。その年齢になったら、新たに就職するにしてもちょっと手遅れだろうと。

━━日本の教育を受けさせるにあたって、東京や札幌などの選択肢もあったかと思いますが、函館を選んだ決め手は何だったのでしょうか?
木村:単純に地元だからですね。経済的にも実家の近くにいた方が楽じゃないですか。金がないほど辛いことはないと思うので。
別にハイレベルな勉強をさせたいわけじゃなくて、単純に日本の学校の雰囲気を味わって欲しかったという気持ちです。部活動とかの、縦社会みたいなことも含めて。
ただ、ちょっと後悔している部分もありますね。

━━それはどういった部分ですか?
木村:やっぱり英語って大事だなと、改めて思って。蔦屋書店とかにも外国のお客さんがよく来てたんですけど、「なんて言ってるか分かんないんですー」ってスタッフが多くて。単純に「TAXI、TAXI」とか言ってるだけだったりするんですけど、「木村さん、英語で何言ってるかさっぱり分からないんですー」って感じなんですよね。
多分、英語で話しかけられること自体が珍しくて、それだけであわあわしちゃうというか。そういう状況を見てると、外国でどっぷり外人の中に浸からせておくってのも良かったんじゃないかなーって思うことがあります。
なので、日本の文化に触れながらも、英語は切り離さないような生活をしていきたいなとは思いますね。

━━木村さん自身は、好奇心と瞬発力で道を選んできた印象ですが、お子さんに対しては教育熱心なんですね。
木村:うん。困らせたくないから。

━━実際、お子さんに対して、こういう風に育って欲しいという想いはありますか?
木村:ありますよ。「こういう人間だからコイツはダメ」とか「こういう考えを持ってるからこれはダメ」とかじゃなく、ある程度の許容範囲が広くて、でも自分の信念は持ってるっていうような人間になってほしいなって。
自分にしても、他人の言動にしても、どれも正解はないじゃないですか。犯罪とかは別ですけど、ある程度のことは許せるような人というか。そういう人になってほしいですね。
あ、なんかごめんなさい。急にすげえ真面目な話とかしちゃって(笑)。

━━全然大丈夫です。こちらとしては最初から真面目な話を聞いているつもりなので(笑)。
木村:そっか(笑)。



━━10年ぶりに函館で生活してみた感想はいかがですか?
木村:寒い! あと、雪かきが辛いっすねー(笑)。

━━ケアンズは基本的に温かい街だから、余計にそう感じるのかもしれないですね。街が昔と比べて変わったなと感じる部分はありますか?
木村:ヤンキーが減ったことですかね(笑)。いや、本当に。この前も、港祭りに行ったんだけど、ヤンキーいなかったですね。昔ってすごかったでしょ、花火の後とかバイクがブンブンブーンって(笑)。

━━確かに(笑)。お祭りとはワンセットみたいな感じでしたよね。他に変わったと感じる部分はないですか(笑)?
木村:あるある! 今、桔梗町に住んでるんですけど、この辺りはかなり盛り上がってますね。子どももビックリするくらい多いし。昔は、五稜郭とか街中の方が活気あったのに、今はこっちの方が盛り上がってる感じがしますね。逆に五稜郭とか、駅前なんかは廃墟みたいに活気がなくて、それはそれでビックリしますけど。

━━なるほど。蔦屋書店ができたというのも盛り上がりの一因なんですかね?
木村:それはどうかわからないけど、蔦屋書店が地域に愛されてるって実感はあります。代表が心の奥底から地域のことを考えている人で、たまに挨拶回りに行くんですよ。「いつもすいません、うるさくて」って感じで。
イベントとかやる時は、ソフトドリンクの無料券とかを配りに行くんですけど、それもポストに入れるだけじゃダメで。ちゃんとピンポンを押して、顔を見て、話をして配ってくるんですけど、文句を言うような人はほとんどいないんですよね。それどころかみなさん「いつもありがとうございます」とか言ってくれるんですよ。これってすごいことだと思うんですよね。実際には、やかましかったりするのに。

━━地元に根付いた活動をしようとする蔦屋書店の姿勢を物語るエピソードですね。
木村:うん、いい勉強になりました。本当は最後までこの会社にいるつもりだったんですけどね。そもそも、俺、「ここの社長になりたい!」って言って入社したんですよ! 社長に向かって「あなたの座を目指してます!」って(笑)。冗談じゃなく、本気で。

━━野心むき出しですね(笑)。それで採用してくれた会社も懐が深いなと思います。では、なぜ辞めるという決断に至ったのでしょう?
木村:オーストラリアで働いていた時の上司が、沖縄で観光業を始めることになったんですよ。それの立ち上げに誘ってもらって。すごく悩んだけど、やっぱり観光業に携わりたいなという気持ちが強くて、沖縄に移住することにしました!

━━え、じゃあ今度は沖縄に移住するんですか?
木村:そうですね(笑)。帰国後、ネット系や文化系という知らない世界で仕事をして、いろいろ学ばせてもらったんですけど、その知識やスキルを持って、また観光業に戻れるのはすごく喜ばしいことですね。

━━木村さんの熱意をかって採用してくれた蔦屋書店の代表の方は、辞職に際して何と言ってました?
木村:「自分の理想に近づくためなら、それはいいんじゃないか? もし、そうじゃないんであれば、それはおかしいねって言いたいけど」と言ってくれました。

━━最後まで理解と愛のある方だったんですね。
木村:本当に感謝しています。

━━では、最後に今後のヴィジョンをお聞かせください。
木村:社長になることですね!

━━具体的にはどのような?
木村:大きな広場で、家族とかカップルとか、子どもとか、楽しんでる風景が好きなんですよね。そういう風景を、後ろに腕を組みながら眺めていないなぁって。

━━それと社長はどう繋がるんですか?
木村:社長になって、そういう場を作りたいなぁって。そういう風景を眺めていてお金をもらうためには社長しかないんですよ(笑)。

━━なるほど(笑)。観光でもいいし、店づくりでもいいし、とにかく人が楽しく過ごせる場所を作りたいと。それは沖縄で実践するつもりですか?
木村:沖縄は、ちょっとチャレンジングな仕事だし、他所者が地域に入っていくのは大変なことだとわかっているので、どうなるかわからないですけどね。ただまぁ、頑張ってきますよ!

━━また、函館に戻ってくるつもりはありますか?
木村:ん~、全然わからないですね(笑)。帰って来たくなったら帰ってきます!










函館蔦屋書店

「こんな田舎なのにたくさん人が来るし、まもなくオープンから2年が経つけど、文化の発信地点として頑張ってると思います」

函館山の夜景

「とにかく、キレイじゃないですか(笑)。何十年も、この街に人を呼び続けているというのもすごいと思います」

下海岸の匂い

「生まれ育った銭亀の潮の匂い。友達と釣りに行ったり、星を見たりと思い出がありすぎます。いろんな記憶が蘇る匂いですね」





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