周囲に流されがちだった学生時代を経て
父の背中に学んだ〝仕事も生活も自分で作る〟生き方

苧坂淳 さん(32)
 職業:パン屋オーナー
出身地:函館
現住所:函館
 函館→栃木→函館→東京→京都→函館

 
 
元町で天然酵母のパン店『tombolo』を経営する苧坂淳さん。東京や京都で学生生活を送る中で、興味関心に従って様々な経験を重ねてきましたが、なかなか将来の道を決められない時期が続いたといいます。そんな時に思い出したのは、ゼロから仕事を生み出し、自らの生活を作り上げていた陶芸家のお父さんのことでした。就職活動に見切りをつけ、自身も〝物作り〟で生きていこうという決意を固めた苧坂さんは、わずか1年の修行期間を経て独立。地元・函館に戻り、『tombolo』を開業しました。現在は、職人としてパンを焼きつつ、『箱バル不動産』のメンバーとして古民家の再生活動などにも携わっています。
学生時代は「自分がなかった」と語る苧坂さんに、パンを介して人と繋がるという店作りの工夫や、〝コダワリを突き詰めつつ、お金もしっかり稼ぐ〟という暮らしのスタンス、奥さんや娘さんに対するストレートな想いなどについて伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年10月12日

 
 

 
 
 
 
 

周囲の影響を強く受け、〝自分がなかった〟学生時代

 
━━生まれたのは函館で、幼少期は栃木で暮らしていたとのことでしたが、向こうではどういう生活をしていましたか?
苧坂:とにかく田んぼと山しかないところで、夏休みの印象が強いですね。夏は、とにかくミヤマクワガタを獲りまくってました。「あの木は幹にいるけど、こっちの木は根っこにいるぞ!」とか、みんな知ってるんですよね。あとは、川で石を拾ったりしてましたね。石を集めるのが好きだったんですよ。
栃木って蒟蒻芋が有名で、掘り起こすと土器とか化石とかが出てきたりするんです。そういうのが楽しくて、誕生日に採掘セットを買ってもらって遊んでましたねー。娯楽がないから、外で遊ぶしかない環境でした。
 
━━それが小学6年生までで、中学からは函館に移住したと。その時って親父さんの仕事の関係で引っ越したんですか?
苧坂:実はコレ、最近聞いたんですけど、益子焼って、そのネームブランドだけで割とやっていけちゃうらしんですよね。大きい陶器市とかでも、益子焼ってだけで売れたりとか。だけど、アーティスト人達って、新しい刺激を受けて作品にするみたいなところがあって、うちの親父は益子焼ってネームバリューに甘えちゃうのが嫌だったらしいんですよ。それで、母親の実家である函館に移住してきたみたいです。
 
━━作家として次のレベルに進むため、地域ブランドに頼らず勝負したいという想いがあったわけですね。
苧坂:たぶん、そうでしょうね。それから、函館に移り住んで、作陶を続けているという感じです。
 
━━益子の環境と比較して、函館ってどういう風に見えましたか?
苧坂:最初に越してきた時は、「すげぇ! タクシー走ってるわ!」って思いました(笑)。都会だなと。あとは、石畳だし、教会もあるし、外国みたいだなって。
でも、西中に行ったら行ったで、周りからは本州から来たってことで、都会の子だと思われてて、「こっち田舎だべー?」とか言われて。僕はもっと田舎から来たんだけど、そうは言えなくて、「まぁ、そうだねー。でも、いいとこじゃん!」みたいな感じで都会感を全面に出してました(笑)。 
 
━━確かに「本州から来た」って言われたら、自動的に「都会の子」って思っちゃうかも。道産子の島国意識なんですかね。
苧坂:最初の頃は気を張って、誰とも喋らずにひとりで帰ってたりしてたんですけど、周りの子が「いつもひとりで帰ってるよね、一緒に帰ろうぜ!」って声かけてくれて。いいやつばかりだったので、学校にはすぐ馴染めました。
ただ、方言の違いがやっぱりすごくて。栃木もU字工事みたいな方言なので、訛りは強いんですけど、函館は函館で全然違うから、けっこうわからないこともありました。先生が授業中に「はんかくさい」とか「あずましい」とか言ったりするんですけど、「ん?」みたいな。あと、掃除の時に「ゴミ投げといて」とか。「マジか!? 集めたのに投げんの?」みたいな(笑)。
 
━━「ゴミ投げる」って言われてびっくりした話って、北海道あるあるの代表例として語られますけど、それを実際に体験してる人には初めて会いました(笑)。
苧坂:本当に思いますからね、「はっ?」って(笑)。
 
 

 

 
 
━━高校は市内ですか?
苧坂:好きな子がいて、その子が東高に行くって言ってたので、僕も東高に行こうと思ってたんですよ。だけど、冬期講習の学力判定では全然無理な感じで。西校かなとも思ったんですけど、私服の学校がよかったので北高に行きました。だけど、西中から北高に行く人っていないんですよね。
 
━━遠いですもんね(笑)。当時は、将来の夢とかありました?
苧坂:高校にすごくオシャレな先輩がいて、その人がバンタンデザイン研究所っていうファッション系の専門学校に行くってのを知って。何となくその先輩に憧れて、「俺もそれにするわ!」って思ってました(笑)。
 
━━好きな人がいるから東高に行きたいとか、カッコイイ先輩に憧れてファッション系の専門学校に行こうとしたりとか、周りから強く影響を受けてた時期だったんですね。
苧坂:まさに〝自分がない〟時期ですね(笑)。でも、実際には大学に行ったんですよ。同級生が大学に行くって言ってて、僕としては「まだ勉強するの?」って感じだったんですけど、そいつが「バカ、大学行けば4年間遊べんだぞ!」って言ってて。それで、「俺も大学行くわ!」ってことになりました(笑)。
 
━━また流されましたね(笑)。
苧坂:はい(笑)。結局、一浪したんですけど、予備校には行かず、宅浪ってやつですね。何時に起きて、何時に飯食って、何時間勉強してって計画を自分で立てて、それを完遂することを1年間の目標として自分に課したんです。それでやっても受かんなかったらしゃーないって思って。それをやり遂げて合格できたのは、今でも自信に繋がっていますね。
 
━━大学からは東京ですか?
苧坂:そうですね。一人暮らしをしたかったので、函館は出ようと思ってて、東京か京都がいいなと。一回は大きな街で暮らさないという気持ちがあって。雑誌で「オシャレな男の一人暮らし」とかを見て、「絶対にこういう生活するぞ」って意気込んでました(笑)。

 
 
第4回へ