『jam』と『peeps hakodate』という、函館の人なら一度は見聞きしたことがあるだろう2つの地域情報誌を制作してきた吉田智士さん。現在編集長を務める『peeps hakodate』は、『日本タウン誌・フリーペーパー大賞2014』で最高賞の大賞に輝き、今ではローカルマガジンという枠を超え、全国的にも高い注目を集めています。
1996年から雑誌編集者としてのキャリアをスタートさせ、以後20年間に渡って函館の街や人を見つめてきた吉田さんは、誰よりも敏感に時代の変化を感じてきた方だといえるでしょう。そんな吉田さんに、知られざる『peeps hakodate』の誕生秘話や、函館に〝地域情報誌〟という文化を根付かせた『jam』の現場、いつまでもあるとは限らない〝今の函館の景色〟などについて伺いました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年7月15日
『peeps hakodate』創刊に秘められた2人の男の熱い約束
━━吉田さんは編集長という立場で、函館のローカルマガジン『peeps hakodate』を製作されているとのことですが、具体的にはどのような業務を担当されているのか教えて下さい。
吉田:本来、編集長というのは、出来上がってきた記事をチェックしたり、雑誌全体の設計をするというのが役割なんですけど、うちの場合は少し特殊というか、人数が少ないので、私自身も取材に出て記事を書いています。もちろん、全体の設計もするんですけど、企画の立ち上げから本の配布まで、全部に携わっているという感じですね。
━━『peeps hakodate』の編集部って何名くらいいるんですか?
吉田:今は、サポートも入れると8名なんですけど、書き手となると私を含めて4人です。それぞれがフリーランスで活動している人の集まりなんですけど。
━━フリーランスの方々と作られているんですね。それは意外でした。てっきり、編集部というカチッとしたチームがあるのかと。
吉田:基本的には『peeps hakodate』の製作に軸足を置いてもらってるんですけど、ディレクターやカメラマン、ライターの人は、それぞれフリーの人達です。私は前の会社で『jam』という函館のタウン誌を作ってたんですけど、会社としてああいう雑誌を作ってると、一定の枠から外れられなくて、発想が〝村的〟になってきちゃうんですよね。視野が狭くなって、ノリが決まってきちゃうというか。それがすごく嫌だったんですよ。その点、フリーランスの集団にしておくと、各々がいろんな人と付き合いがあるので、多種多様な情報が入ってくるんです。そういうところから企画が生まれたりすることもあるんですよね。
━━なるほど。『peeps hakodate』って毎月、特定のテーマを掲げているじゃないですか。今月は何を扱おうというテーマは、どのように決めているのでしょう?
吉田:雑誌のコンセプトは、〝普段あまり日の当たらない函館の文化や事象に光を当てる〟ということなんです。それが、過去のものではなく現在進行形として存在していて、それを維持するために人が動いているというのが、テーマを決めるときの大前提ですね。そのことを軸に、テーマとして相応しいかどうかを見極めていきます。もし、テーマとしていいものがあっても、現在進行形として存在していなければボツにします。それで成立させちゃったら、もう懐古主義でしかなくなるので。「あぁ、懐かしいね」で終わりたくないんですよ。
━━あくまで〝今の函館〟を伝えるという。
吉田:そうですね。
━━そういうテーマを考える上で意識、実践していることはありますか? 例えば、ネットで頻繁に情報収集をしているとか、街を歩くことを大切にしているとか。
吉田:メディアから何かをもらうってことはないんですけど、私の場合すごく幸いなのが、『peeps hakodate』って函館蔦屋書店が発行しているので、蔦屋が第二の職場みたいなものなんですよ。つまり、いつでも本が読めるんですよね。なので、本からネタを拾ったり、ヒント貰うってことはあります。中まではあんま見ないんですけど、表紙をザーっと眺めながら情報を拾ったりとか。
━━表紙からヒントを? 本の内容までは見ないんですか?
吉田:表紙から拾いますね。中まで見ちゃうと、どうしても「同じことは出来ない」って方向になりがちなんですよ。雑誌の中身って、東京とか、大きい都市で作ってるから成立するものだったりするじゃないですか。何においても。だから、内容まで細かく見ていくと、「函館の規模じゃ無理だ」ってなっちゃうんですよ。だけど、表紙だけ見てると、「このテーマいいな」とか、「この言葉ヒントになるな」みたいなことがあるんです。企画の内容っていうよりかは、ワードを拾ってる感じですかね。
━━それって、雑誌の表紙をザーっと眺めることで、イレギュラーな情報を求めてるってことなんですかね? やっぱり、自分で手に取りたくなる雑誌って偏っちゃうじゃないですか。普通、興味がない雑誌は手にしないですよね。そうやって接触する情報が偏るのを避けるために、中身ではなく表紙からヒントを探すということなんでしょうか?
吉田:それもありますね。これだけ長くやってると、手ぶらで考えて、思いつくことって決まってくるんですよ。癖もあるし、好みもあるので。このテーマだったら、この辺を取材すれば成り立つだろうってのが、わかっちゃうんです。自分の思い通りのものが出来たときの気持ちよさってのもありますけど、それ超えて自分が思いつかないようなテーマだったり、アイデアだったり、予測がつかない方にいった方が面白いなって感覚はありますね『peeps hakodate』は3年目なんですけど、『jam』から考えると、もう20年も函館の媒体を作り続けているので、気を抜くと昔やってきたことの焼き直しになっちゃうんですよ。そうならないように、もがいてるって感じですね(笑)。
━━『peeps hakodate』の創刊についてお訊きしたいんですが、吉田さんはどのような経緯で編集長に就任されたんですか?
吉田:えーと、2012年の12月に、前の会社を辞めたんですよ。きっかけは、『jam』がフリーマガジン化に舵を切ったことなんですけど、そうなるともう広告をとってこないと媒体として成立しないので、雑誌ってより、広告のファイルを作ってるような感じになっちゃうんですよね。
当時は共同経営者って立場になってたんですけど、もうひとりの彼と方針についてぶつかっちゃって、もう雑誌の仕事がほとほと嫌になっちゃったんですよ。それで、付き合いがあった人達に「もう戻ってきませんから」って挨拶回りまでして、雑誌作りとは全然関係のない仕事を始める準備をしてたんです。
それがちょうど蔦屋書店の開発準備室が立ち上がった頃で、そこにいた知り合いから「地方情報誌を作りたいって話があるんだけど」という連絡がきたんですよね。彼は、私が前の会社を辞めたばっかりだって状況を知ってたので。それで、口では「あぁ、面白そうですね」って言ったんです。口だけですけど(笑)。
━━もう、雑誌業界とは決別するつもりだったから、やる気はないと(笑)。
吉田:そうなんですよ。どうせ、蔦屋書店のインフォメーションとか、新作情報とかを掲載したPR誌だろうと思ったので、断るつもりだったんですけど、一回話しましょうってことになって。それで、打ち合わせに行ってみたら、どうやらあちらが作りたいと思っているのはPR誌ではなく、タウン誌だってことがわかったんです。私は『jam』の経験から地方タウン誌の実情を知っていたので、「函館みたいな地方でタウン誌を作るっていっても、結局広告集めするのが関の山で、自分達がやりたいことなんてできないですよ」って伝えたんです。そしたら、函館蔦屋書店の梅谷社長が「とりあえず、うちがある程度の資金的なサポートをする前提で、吉田さんが自分でやりたい雑誌ってのはどういうものか、やるやらないは別にして、空想の企画書でいいから書いてきてくれませんか?」って言うんですよ。私としては、「そんな都合のいい話はあり得ない」と思ってたんですけど、一応『jam』で出来なかったこととかをバーっと書いて、企画書を作ったんです。
━━具体的にはどういう内容の企画書だったんですか?
吉田:ほとんど、今の『peeps hakodate』の骨格ソノモノですね。函館の人の営みにスポットを当てるような。
それを見せたら、梅谷社長が「うちのコンセプトともすごく合ってるし、いいね!」って言いだして。それで、「全国的に前例がないから、企画として通るかわからないけど、本社に何とか話してみる」ってことになり、社長から「この企画を通すのに全力を傾けるから、決まったら100パーセントやってくれ」って言われたんですよ。「生活がしんどくても、就職しないでくれ」って(笑)。
━━男同士の熱い約束ですね(笑)。
吉田:そうなんですけど、内心はキツイですよね(笑)。返事がくるまで何ヶ月かかるのかもわからないし。
だけど、私が「これ、フリーマガジンですけど、広告営業する前提じゃないんですよ」って言ったら、梅谷社長が「うちは、この雑誌を作ることで儲けがなくてもいい。ただ文化の底上げになれば、それでいいんだ」って真剣に言うんですよ。広告メインのフリーマガジンを作るのが嫌で、雑誌業界から離れようと考えてた身としては、「この人、マジか?」って思いましたよね。その後、何度か会って話をしたんですけど、「この人は信じられる」と思って、話に乗っかることにしたんです。
━━フリーマガジンって広告収入があるからこそ、タダで配れるわけじゃないですか。そこを度外視にして、しかも、文化の底上げといった確固たる精神性を持ったフリーマガジンって、ちょっと他では聞いたことがないですね。
吉田:これはもう、奇跡だと思ってます。函館みたいな地方都市で、広告収益じゃなく、文化の底上げとして、日の当たらないものを取り上げるような雑誌を作れるっていうのは、これはもう奇跡ですよね。
だから、こんな話を断ったらバチがあたるなと思って(笑)。これで最後なら、全力で出来るかもなと思えたので、もう一回雑誌を作ろうって気持ちになったんです。