将来が決められない苦悩の中で出会った〝自立した生き方〟


━━1年間の浪人生活を経て、待ちに待った東京でのキャンパスライフはいかがでしたか?
苧坂:それが、まず一人暮らしじゃなかったんですよ(笑)。家の経済状況もあって、寮に入ったんです。そこが、もう男塾の世界観みたいな寮で、めちゃくちゃ上下関係が厳しかったんですよ。ロビーで喋ったりしてる時に先輩が来ると、立ち上がって「おはようございます!」とか、先輩が部屋に入って行く時に「失礼します!」って挨拶するみたいな(笑)。
あとは、寮歌ってのがあって、それを入って3日間で暗記しなきゃいけないんですよ。その後、発表会があって、噛んだり、歌詞を間違ったりすると、学ランを着た先輩にブチ切れられて、竹刀でぶっ叩かれるという(笑)。「お前ふざけてんのか!」って。その歌の練習で気絶する人とかもいましたからね、過呼吸になっちゃって。みんな受験勉強しかしてなかったから(笑)。

━━雑誌で読んだ「オシャレな男の一人暮らし」に憧れていた少年にとっては、厳しすぎる現実ですね(笑)。
苧坂:「俺の東京はこんなんじゃなかったはずだ!」って思ってましたね(笑)。でも、その寮で一緒だったやつらは今でも仲がいいです。学校はバラバラだったんですけど、まさに同じ釜の飯を食った仲で。あと、そこでの生活が、自分の人生に大きな影響を与えたってのは間違いないですね。

━━どんな影響を受けたのでしょう?
苧坂:世の中においては本当に無駄なんだけど、不必要じゃないものがあるっていう価値観を教わったというか。効率とかそういうものじゃなくて、人生の隙間に隠れてるちょっといやらしいものとか、そういうところに大事なものがあるんじゃないかって感じるようになったんですよね。

━━決められた場所だけ歩いていては見えなかったようなことに気づく視点とか、価値観を得たと。そのままいくと、今度は苧坂さんが竹刀を持って後輩達の指導にあたるポジションに就くわけですよね?
苧坂:そうなんですけど、僕は3年生になる時に、大学間の交換留学制度で京都に行くことになったんです。別に寮生活が嫌で逃げ出したわけではなく、純粋に京都で暮らしてみたいという想いがあったので。それで、1年間は京都で暮らしていました。

━━高校生の時に、東京か京都の大学に行きたいって思ってたのが一度に叶ったわけですね。京都の生活はいかがでしたか?
苧坂:そこで初めての一人暮らしを体験したんですよ。おんぼろのアパートでしたけど、最高でしたね。
前の寮が寮だったので、最初は寂しかったですけど。落ち込んだ時は隣の部屋に行けばあいつがいるって状態だったのが、もう誰もいないんで。一人暮らしってこういう感じなんだって思いましたね。

━━京都の1年間で特に印象的だった出来事はありますか?
苧坂:バイトですかね。ある日、友達から「バイトやんない? 今から面接らしいんだけど来れる?」って電話がきて、「今から!?」って思いつつも面接を受けに行って、カフェでバイトすることになったんですよ。そこの店長が、今の奥さんなんですけど。

━━店長と付き合うって、ドラマの設定みたい!
苧坂:あとは、映画サークル入ってたので、自主映画を撮ったりしてました。その結果、ほとんど学校には行かなくて、1年後に早稲田に戻ってからめちゃくちゃ怒られましたね。「君みたいなのがいると、後に続く学生までダメになるから!」って。反省文を書かされた上に、謝罪ビデオまで撮らされました(笑)。

━━さっきまで「若い人に背中を見せたい」って言ってた人とは思えない過去ですね(笑)。
苧坂:(笑)。結局、単位が取れてなかったり、休学したりで、大学には6年いたんですよ。その間は、将来のことで悩みっぱなしでした。



━━休学中は何をしていたんですか?
苧坂:ちょっと話が戻るんですけど、寮の時の友達ですごく映画が好きな人がいて、その人が映画俳優を目指してたんです。それで、また僕も「映画関係いいな。俺もそうしようかな」って思って(笑)。なので休学中は、ある映画監督の付き人をしてました。その時は本気で映画の世界にいこうって思ってたので。
だけど、実際にはその監督ではなく、家族のお世話をする日々だったんですよね。「俺のことはいいから、家族を頼むよ」って言われて。そこで、奥さんとか、僕と同世代の子どもとかに、いじめられまくって、もうボロカスでした。

━━要するに映画にはまったく関われなかったんですか?
苧坂:はい。これなら自主でやってく方がいいなって思って。そこで働くために休学したんですけど、結局3ヶ月くらいで辞めて、一緒に映画を撮ってた連中と作品を作ってました。
だけど、次第に周りの人が「これじゃあ食えないな」って就職していって、自分もどうしようかなと。映画はひとりじゃやれないので。その頃に、さっき話した『ルヴァン』というパン屋さんに連れて行ってもらって、すごくカッコ良く働いている人達の姿に感銘を受けたんです。バリバリやってるんだけど、自由な感じというか。ひとりひとりが独立して動いてて、組織に動かされてるのとは違う働き方をしてるなって。

━━悩んでる時に、真っ直ぐ自分の道を歩いている人を見ると、ガツンと響いちゃいますよね。
苧坂:うん、パン屋になりたいっていうよりは、そういう生き方したいって思ったんでしょうね。自分もそういう風に自立した生き方をしたいなって。

━━自立した生き方をするために函館に戻ってきて、tomboloをオープンさせてから7年。今では2人の娘さんがいらっしゃるとのことですが、父親としては今後どういう暮らしをしていきたいという想いはありますか?
苧坂:うちは娘2人なので、僕自身が父親としてどう生きていきたいかっていうよりかは、母親が自分のやりたいことをやってる姿を見てもらいたいですね。奥さんがデザインの仕事で独立していて、そうなると家事ができないという場面もあると思うんですけど、そういう部分でサポートはしたいと思っています。
僕は、お袋が自分のやりたいことをできずにいた姿を見てたんですよ。お袋は版画をやってたんですけど、親父のやってることの方がインパクトとして強いから、そっちの手伝いをするようになって。お袋自身は気にしてないって言ってますけど、子どもからすると、お母さんも好きなことやってほしかったなって気持ちがあったんですよね。
うちの奥さんは、どちらかというと家事よりも、自分のやりたいことをやってた方が人間として魅力があると思っているので、それを是非、娘達に見て育ってもらいたいですね。「女の子だからって、家事をやらなきゃいけないわけじゃない。おかんは好きなことやって生きてたぞ!」って。

━━周りに流されずに、我が道を行けと。
苧坂:はい。まぁ、周りに流されまくってた僕が言うのもアレですけどね(笑)。





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