大沼で出会ったハイレベルな人達とハイレベルな遊び


━━大学卒業後は、そのまま就職という流れですか?
葭葉:何となく企業説明会に行って、なんとなく就職するという流れに違和感を覚えつつも、「じゃあ何するの?」ってところには明確な答えが出せなかったので、「いいから、まずは社会人を経験してから言え!」と自分に言い聞かせて、リクルートに入社しました。
これも今思い出すと恥ずかしいんですけど、オーストラリアでいろんな国の人に出会ったことで、世界を知った気になってたのか、入社当日に先輩達を目の前にして「社会の荒波に揉まれるのを楽しみにしてます!」みたいな宣言をしちゃう新人でしたね(笑)。「やる気さえあれば、日本語通じるし何でもできるわ!」って思ってたんです。実際には、社会人になっていろいろできないことがあったんですけど、「ってことはできることがまだあるはずだ!」って前向きに考えて、めちゃくちゃ頑張って働いてました。
飛び込み訪問、取材、撮影、原稿製作、入金対応まで、いろんなことを経験させてもらえるのが楽しかったですね。結果的には、「土日も仕事したい!」と思うくらいだったんですよ。チームで目標を達成するという仕事に、遅れてきた青春を感じてたのかもしれません(笑)。勤めてたのは3年間だけだったんですけど。

━━それだけ仕事が楽しくて、充実感があるにも関わらず、どうして3年で退職したんですか?
葭葉:すごく満足しちゃったんですよね。結果も出て、表彰される機会もあって、「楽しくてもう満足です! もう次に行きたいです!」という感じで辞めたんです。

━━その時は、具体的な〝次〟が見えてたんですか?
葭葉:人口3000人の田舎から東京に出てきて、環境も変わり、たくさんの人と出会い、それによって自分の視野が広がっていくのが楽しくて仕方がなかったので、今度は多種多様な生き方があるということを発信したいと思うようになったんです。なので、メディアの世界に興味を持ち、映像の仕事をしたいなと思っていました。
ただ、その前に「休みなく働いてきたから、ちょっと地元に帰って免許でも取ろうかな」って思って、一時的に大沼へ帰ってきたんです。だけど、大沼で暮らす人達の生き方に魅せられて、東京に戻れなくなっちゃったんですよね。地元の人達の〝人としてのレベルの高さ〟にビックリしちゃって。

━━どういうところに〝人としてのレベルの高さ〟を感じたのでしょうか?
葭葉:みんな手に職があって、それがシンプルに生きることと直結してるんですよ。東京で生活をしてて、何かが壊れたりすると、googleで「◯◯ 修理」って検索して、どこで直せるのかなって調べるじゃないですか。だけど大沼では、「自転車がパンクしたらあの人に聞けばいいよ」とか、「この桶が壊れたらあそこのおじいちゃんがわかるから、教えてもらえるよ」とか。それぞれにみんな手で直せる職というか、特技があって。
そうやって助けてもらったときに、自分にはお返しできるものが何もないことに気づいたんです。「営業トークって役に立たない」って思って、なんかいろんな価値観がそこで崩れましたね。そこは、メディアとか広告とかなんて全然必要のない世界だったんですよ。

━━環境を含め、身の回りにあるものだけで生活が完結していて、しかもその暮らしがとても豊かに見えたんですね。
葭葉:そうです、そうです。毎回「大沼を盛り上げたい」という変な使命感を持って帰るんですけど、その度に落ち込んで戻ってくるんですよね。東京に出てすぐの頃は、「ここにはショッピングモールもないし、カラオケもない」というように、〝アレもない、コレもない〟という視点しかなかったし、オーストラリアから帰ってくると、今度は「この自然環境を活かして野外映画とかやればいいのに!」とか考えたりしてて。
でも、最終的には、「ここに暮らす人は、そういうものを必要と感じているのかな?」ってところに行き着くんです。そういうのは、あくまで本人達が考えることであって、たまに帰省する立場の自分が考えていることに違和感を感じてしまって、「あー、本当に、部外者が何やってんだろう…」という気持ちになってました。移住者促進といっても「来たい人は来るっしょ」という感じで。実際に、大沼は移住者に対する補助金とかがあるわけじゃないのに、移住者は増えてるんですよ。

━━函館もそうですけど、東京で培った経験やノウハウを、そのまま持っていって通用するような土地ではないって感覚はありますよね。
葭葉:そうですね。それは本当に難しいなと思いました。そこで暮らしながら自然と出てくるものなのだろうと。



━━結局、函館にはどれくらいの期間滞在していたんですか?
葭葉:3ヶ月のつもりが、1年いました(笑)。その間は、実家のレストランを手伝いながら、農場へおじゃましたり、漁についていったり、自転車に乗ったり、ベーコンや味噌、梅干し作ったりして過ごしました。
そこで、改めて知ったんですけど、人だけじゃなくて遊びのレベルもめっちゃ高いんですよ、大沼って(笑)。

━━〝遊びのレベル〟といいますと?
葭葉:例えば、実家では、冬になるとスノーシューを履いて、道具を持って日暮山に登るんです。そこで、椅子を広げてカフェオレを作って、朝日見ながら飲んで、それから仕事するという生活をしてるんですよ。

━━えー、素敵! それって葭葉さんの家だけの話ですか?
葭葉:いや、他にもそういう人がいるんですよね。あとは、大沼に『ハンモック島』というのがあって、そこで遊んでたら、友達の両親がカヌーに乗ってきて、「おー、何してるんですか?」って聞いたら「ちょっと遊びにきたー」みたいなことがあったり。他にも、高校のときにバイトしてたステーキハウスの人が、ランチ営業とディナー営業の間に、湖畔で夕日を見ながらシャンパンを飲んで過ごしてたとか。「みんな、こんな遊びしてたのかー」って驚きました。

━━そういう暮らし方って、ずっと昔からある文化なんですかね?
葭葉:世代的には、うちの親よりもひと回り上の世代くらいからだと思います。もともと避暑地として使われてきた歴史も関係してるのかなと。

━━そうかぁ。明治天皇が訪れたり、歴史ある避暑地なんですもんねー。大沼の暮らしって、函館とあまり変わらないと思ってましたけど、全然違うんですね。
葭葉:みんなそれぞれ大沼の好きな部分を持ってて、何十年も同じ景色を見てるのに、「いやぁ、今日の駒ヶ岳きれいだわ」とか言ってるんですよ。しかも、「いや、昨日の方がもっときれいだったんだよ」とかって話してて。「この人達、毎日こんな感動しながら生きてるんだろうか」って思ったら、すごく豊かな暮らしだなって感じました。

━━雪山に登ってコーヒーとか、ふらっとカヌーとか、それって若い人達もやってるんですか?
葭葉:それが、若い人ではいないんですよ。私の親世代とかですね。

━━どうしてなんですかね? そもそも若い世代で、地元に残ってる人がいないってことですか?
葭葉:中学は30人クラスだったんですけど、残ってるのは2人くらいですかね。しかも働いてる場所は函館という。どちらかというと、大沼の暮らしを面白がって、そういうのを実践してるのは移住者の人が多いですね。

━━日常にあるとわからないというか、外からの視点だからこそ見いだせる魅力なんですかね。一回離れて、地元に戻ってくる人は少ないんですか?
葭葉:観光地なので観光業に携わっていて、家の仕事を継ぐために戻ってくる人はいても、その暮らしに面白さを感じて戻ってきたって人は聞かないですね。





< PREV |   3  | NEXT >