■夢がないことに対する焦りと、オーストラリアで知った豊かな暮らし
━━先ほど「とにかく地元が大好き」というお話がありましたが、葭葉さんは生まれも育ちも大沼なんですか?
葭葉:そうですね18歳まで、ずっと大沼にいました。
━━小さい頃は、どんな日々を過ごしていましたか?
葭葉:本当に自然しかなかったので、おたまじゃくしを獲って遊んだり、草花でパーティグッズを作ってお花パーティをしたり、冬はスキーをして遊んでました。
親戚がみんな自営業だったので、いとこ全員がおばあちゃん家に預けられてたんですけど、オモチャがないので、肩たたきをマイクにしたり、火鉢の灰に絵を描いたり、薪割りで出たおが屑で団子を作ったり、新聞紙で洋服作ってファッションショーしたりしてたのを覚えてます。そこにあるもので工夫して遊ぶしかなかったんですけど、それが面白くて好きでしたね。今思うと、H.O.Wの仕事で各会場へ下見に行ったとき、「お、これは〇〇に使えるかも?」って閃くのは、当時の経験があるからかもしれません。
学校は、保育園から中学までずっと1クラスなんですけど、私はなんかボケーっとしてましたね。っていうか、みんなマイペースな子ばっかりなんですよ。
━━あー。なんか言われてみたら、大沼の子って確かにマイペースな人が多かったような気がします。あれは大沼の空気感だったんですかね。
葭葉:最近そうなんじゃないかと思ってます(笑)。なんかおっとりしてる人が多いですよね。
運動も好きだったので、本当はバスケとかしたかったんですけど、部活が卓球、吹奏楽、ソフトボールの三択で(笑)。あと、大沼中学校には『120キロマラソン』っていって、雪がない期間に120キロ走を達成しようっていう伝統行事があるんですよ。それは部活入ってるとか入ってないとか関係なくて、学校終わると、みんな毎日3キロ走るんです。なので、中学の時はとにかく走ってましたね(笑)。
━━120キロ!? めちゃくちゃハードですね!
葭葉:でも、その時の感覚は今でも体に染み付いているというか、「1キロは大体5分くらいだから、歩けば15分くらいで行けるかな」とかって。けっこう役立つんですよね、その感覚。
━━肉体感覚として、距離感を把握してるんだ。その物差しは便利ですねー! だけど、それってあとから気づくことですよね。
葭葉:本当にそうですね。当時は走りながら、「なんで走ってるんだろう?」と思ってましたもん(笑)。しかも、そのコースの一番キツイところに牛舎があって、息を止めながら走ったりしてて。
だけど、田んぼがあったり畑があったり、四季折々の変化が感じられる道なので、今思えば風情がある場所なんですけど。
━━「今思えば」ってのは、時間が経ったからというのもありますけど、土地を離れて違う環境で暮らしているからこその気づきかもしれませんね。高校からは函館市内に?
葭葉:西高に行きました。市内はめっちゃ都会だなと思って、ラッキーピエロ行ったり、棒二でプリクラ撮ったり、都会の遊びを満喫してましたね(笑)。クラスも一気に6つくらいになって、初めてクラス替えとかも経験して。
━━選択肢も一気に広がりますよね。
葭葉:そうですね、でも自主的に何かをやるってことはあまりなかったです。バレー部に入ってもすぐ辞めちゃったし、写真部もやってみたけどそこまでのめり込むでもなかったし、ライブハウスに行ってたのも友達についていくみたいな感じだったので。
━━その後の進路は?
葭葉:東京の大学に行きました。西高って専門学校に行く人が多いんですよね。自分のやりたいことが見つかってて、「これがやりたいから、ここに行く」みたいな人が。
そのとき、私は「やりたいことがない」というよりは、「いろいろやってみたい」って気持ちが大きくて、ここでひとつには選びきれないなぁと思ってました。ひとつの道を選んで後悔するのが嫌だったんですよ。「とりあえず東京にいけば、興味あることに辿り着けるかもな」って思っていたので、はじめはフリーターでもいいから東京に行こうと考えてました。ボケーっとしてたくせに好奇心が強かったというか(笑)。とにかく、「この田舎の外にはもっともっと広い世界、選択肢があって、それを見てから決めたい!」と思ってたんですよね。
そんな中で、両親が「大学もいい時間だよ。途中でやりたいことが見つかったら、辞めてもいいし」って言ってくれて。まぁ、高校を出てすぐに社会に出るってことに心配もあったんだと思うんですけど。そういうこともあって、東京の大学に行くことにしました。
━━東京の暮らしはいかがでしたか?
葭葉:はじめはけっこう退屈でしたね。函館の同級生達はみんな夢に向かって進んでるのに、大学にはそういう空気感がなくて。大学の同級生達は、具体的な夢というよりも「とりあえず大学」という人が多くて、みんな自由に過ごせる時間を楽しんでる感じでしたね。
高校を卒業してから大学に行くって言ったら、友達から「へぇ、勉強好きなんだね!?」って言われたことがあったんですよ。そういうわけじゃないのに、授業、バイト、サークルという生活の中で「私、何やってるんだろう?」っていう焦りが芽生えてきて、「早く夢を見つけて辞めたい!」って思ってました。
━━それで、途中で辞めたんですか?
葭葉:それが辞めなかったんですよね(笑)。しかも、未だに奨学金を払い続けているという(笑)。
━━その4年間のうちに、やりたいことに出会えなかったと。
葭葉:そうですねー。ただ大学に行ってありがたかったのが、長期留学プログラムというのがあって、それに参加して、オーストラリアに7ヶ月くらい留学してたんです。それはひとつの転機になりました。
━━どういった経験が転機になったのでしょう?
葭葉:シドニーに行ったんですけど、あっちの人のライフスタイルがすごく面白くて。自然環境とうまい距離感で生活しつつ、それでいて都会的な暮らしも近くにあるという。
私、それまでは都会に対する好奇心しかなくて、田舎は退屈なものだとしか見れてなかったし、自然環境に対しても「何もない」としか思ってなかったんですよね。だけど、向こうの人って、休みの日に果物とワインを持って公園に行って、寝転がって本を読んだりとか、それこそ外で結婚式が行われてたりとか、シドニーはビーチも多いんで海で過ごしたりとか、そういうのを見て、「自然の中では、こういう風な過ごし方があるんだ」というのを知ったんです。
ホームステイ先の家族も、仕事前にカフェでコーヒーを飲んでから出勤したり。そういう過ごし方がすごく無理なく心地よくて、素敵だなって。同時に、「こういう環境って、大沼にもあるじゃん!」って思ったんですよ。函館もすぐ近くに海があるし、すごくいい環境だったんだなーって、改めて感じました。
━━自然がある生活の魅力を再確認したんですね。
葭葉:自分の価値観が変わった瞬間ではありましたね。帰国してからは、過ごし方も変わって、休みの日に友達とお酒とおつまみを持って代々木公園でゴロゴロとピクニックして過ごしたり、自転車に乗ったりだとか、そういう過ごし方に豊かさを感じるようになりました。