■地方誌編集者として20年に渡って見つめてきた函館の〝街〟と〝人〟に関する変化
━━吉田さんが編集者として働き出したのが1996年だということは、『jam』と『peeps hakodate』という2つの媒体を通じて、これまで20年に渡って函館という街を見てきたことになりますよね。その20年間で感じた街の変化について聞かせてください。
吉田:タウン誌というものを作ってきた身としては、街の変化をけっこう最前線で見てきたという感覚があるんですよね。付き合うのは飲食店だったり、美容室だったり、服屋さんだったりするので、要は小売り業の前線を見てきたんですよ。その点からすると、20年前と今とでは違う街くらいの感覚があります。
90年代後半から2000年代の頭っていうのは、まだやっぱり街に元気があったし、お金も動いて、人も外に出てたんですよね。けっこう変なイベントとかもやってたりして。
━━何ですか? 変なイベントって(笑)。
吉田:私も色々とやったんですけど、当時は『ガロ』という漫画雑誌を集めて、それをひたすら朗読するみたいなアングラなイベントとか、格闘技の裏ビデオを見る会なんかがありました。
━━格闘技の裏ビデオって何ですか!?
吉田:格闘技とかプロレスにも裏ビデオってのがあるんですよ(笑)。一番有名なのが、前田日明とアンドレ・ザ・ジャイアントの試合で、プロレスなんですけど途中でガチになっちゃったんですよね。プロレスのガチ試合って、見てて面白くないんですよ。当時の観客って、やられたりやり返したりするのがプロレスだと思ってるから。今だったらリテラシーあるから、なんか不穏な雰囲気で面白いかもって思うんですけど。その試合っていうのは、色々と背景があったですけど、前田が前蹴りでアンドレの関節を壊しにいくっていう攻防が、20分くらいひたすら続くんですよ。これは、テレビでは放送できないぞってお蔵入りしちゃったのが、いわゆる格闘技の裏ビデオです(笑)。
━━確かに、それは裏ビデオですね(笑)。プロレス好きが集まって、そういう試合の上映会をやったりしてたんですね。
吉田:そうですね。他には、フィギュアを愛でながらお酒飲む〝フィギュアバー〟とかもありましたね(笑)。大門に。
━━今になると、逆に新しさを感じますけど(笑)。意外と需要ありそう。
吉田:大門に〝銀座13番街〟っていうとこがあって、そこにはかなりディープな店が軒を連ねてたんですよ。それが、90年代の終わりとかですね。メインもサブも含めて、カルチャーが元気な時代だったと思います。
こういう言い方をすると、蔦屋批判と思われちゃうかもしれないんですけど、今は大型施設が幅を利かせていて、それでもう事足りるみたいな感じになってるから、ニッチなイベントや店はいらないって人が多くなっていて、そういう商売も成り立たなくなってるんだと思います。
そういった時代を知ってるから、どうしても今の函館には物足りなさは感じちゃうんですよね。「昔と比べるな」と言われたら、身も蓋もないんですけど、その時代に街の前線で駆けずり回って、情報を集めてた人間からすると、どうしても「静かだなぁ」、「落ち着いちゃったなぁ」とは思いますね。
━━昔の方が、多様性が認められる社会だったんですかね? 特に商売においては。
吉田:やる側と、それを面白がる側っていう、2つの層がしっかりあったんですよ。だからこそ成り立っていたんだと思います。これは、函館に限らず他の地方都市も同様だったと思いますけど。
━━街では大きな変化があった一方で、吉田さんは編集者という仕事を通じて〝人〟に接する機会も多かったと思います。〝函館の人〟という観点から見た時に、90年代と今では違いなどは感じられますか?
吉田:スマートで賢い人ってのは、圧倒的に今の方が多いですよね。若い人とかに聞くと、自己啓発系とかビジネス系の本を読んでいる人が多くて、考え方とかも大人だなって。
別にそれを否定するつもりはないんですけど、無鉄砲だったり、いい意味で馬鹿な若者がいなくなっちゃいましたね。昔は、赤字覚悟で好きなことをやろうって人がたくさんいたんですよ。だけど、今の人は、そういうリスクを背負ったりはしないですよね、そこまではしないというか。
何かやりたいという想いを持った人って、たぶん函館を出て行っちゃうんだと思うんですよ。外に出て行って、想いを実現しようって。
━━あー、「自分がしたいことは、函館では受け入れられない」みたいな気持ちで。
吉田:もちろん、函館にいながら、自分の想いを実現しようって若者もいると思うんです。変なイベントとか、変わったお店のイメージとか、新しい雑誌を作りたいとか。でも、やったところで受け入れてくれる人そんなにいないだろうとか、お客さん来ないだろう、売れないだろうっていう考えが先に立っちゃって、頭の中で消しちゃうってことが、いっぱいあるんじゃないかなと思いますよね。
━━考えが保守的になっているというか。
吉田:考え方としては、真っ当なんですよ。「商売にならないからやらない」とか、「借金してまでやるのはちょっと…」っていうのは当たり前の感覚だし、正しい判断だとは思うんですけど、全部をその理屈で片づけちゃうと、やれることってないですよね。
商売にしたって、何かをやるってことには、少なからず博打要素があるんですよ。やってみなきゃわからないっていう。だけど、それを最初から避けていくと、やれることって限られるし、何も残らないと思うんですよね。
かといって、それを強いることはできないんですけどね。やれとか、やってほしいとか無責任なことは言えません。でも、街としてはそういうのがあった方が健全というか、文化があるなって感じますよね。
━━この20年で、なぜそういった考え方の変化が起きたと思われますか?
吉田:あのー、やっぱり、先人というか先輩達が、そういうことをやってたら真似すると思うんですよ。そういう先輩達がいなくなっちゃったというのが、ひとつの要因かなって気はします。
教育とかもしない私が言うのもアレなんですけど、やっぱりそういうのって、上の人がやってるのを見て下が真似するっていう構図だと思うんですよね。だから結局は、それぞれの世代が〝やり続ける〟ってのが大事なのかなって。
━━なるほど、先輩の存在か。確かに、憧れが人に及ぼす影響って大きいですよね。
吉田:何が罪かって無趣味、無関心っていうのが、一番やばいなって思いますね。パチンコにしか関心がないとか。函館の場合は多いと思うんですけど、休みの日はパチンコで、友達と会話するのもパチンコの台の話って人が。
私はパチンコやらないので、偏見かもしれないけど、そういった実情を見るとちょっと暗い気持ちになりますね。そういう人たちがいっぱいいても、そこからは何も生まれないよなって。
━━吉田さんはもう、函館に骨を埋めるつもりですか?
吉田:はい。もう、ここでいいです私は。
━━『peeps hakodate』のことを含め、今後どういうことをしていきたいという展望があれば教えて下さい。
吉田:幸い今は、好きなことやらせてもらってるんですね。大変なことは大変なんですけど。好きなことやってメシを食えてるってのはありがたいなと思います。
なおかつ、それが街に影響を、ちょっとでもいい影響を及ぼすものであり続けられたら、それが一番幸福なことなので、そういう媒体を裏方として作る人間でありたいと思いますね。
もっと表に出ろとか言われるんですけど、私が表に出る必要はないと思っているので、あくまで裏方として。たまに言われるんですよ、なんかこう、「選挙出ろ」とか(笑)。
━━表立って発言しろってことですか?
吉田:発言しろとか、もっと政治的なアピールしろとか、けっこう言われるんですけど、全然興味なくて。政治に興味がないわけじゃないんですけど、それをアピールするってことにはまったく興味がないんです。
いつも考えるのは、函館っていう街と自分の距離感なんですよ。雑誌作りという根本があって、それで何が出来るんだろうってことは考え続けています。正直な話、雑誌で地域活性化なんか出来ないですし、無理なんで。
本当に街を活性化させたり、何かを変えようとする人を雑誌で紹介して、それを見た誰かが「この人に会いたい」ってなって、その二人がうちの雑誌をきっかけに知り合って、何か大きな動きが生まれるっていうのはあり得るとは思うんですけど。私は、そういう橋渡し役を担えればいいなと思ってます。
━━まさに〝媒体〟になるということですね。
吉田:そうですね。変える力はないですけど、きっかけは作れると思っているので。
あんまり〝街づくり〟とかって言葉は好きじゃないんです。そこに、私はロジックを持っていないので。「街づくりって、じゃあ、お前どうしたいの?」って聞かれたときに、何も答えられないから。
〝街づくり〟ってより、函館が函館らしく在り続けるために、情報を発信するって意識が強いですね。
━━吉田さんが思う〝函館らしさ〟って、どういった部分ですか?
吉田:この街って、昔都会だったから、そういう遺伝子というか、血筋みたいのが残ってると思うんですよ。70代、80代の方に取材することが多いんですけど、やたらプライドが高いんですよね、函館に対して。というのも、彼らは、東北以北の大都会といわれた函館の、残り部分みたいなのを知ってるんですよ。実際に、そういう時代に生きていたから。函館には、そういう感覚のDNAみたいなのが、わずかながら残ってると思うんですよ。
札幌って、新しい街だから、あんまり歴史がないじゃないですか。札幌は札幌で良さがあると思うんだけど、札幌が函館に太刀打ちできないところって、歴史の積み重ねであったり、文化の積み重ねだと私は思っているんです。だから、そこの優位性みたいのは大事にしなきゃいけないし、もっとそういうところに目を向けてほしいですね。特に若い子には。
━━うんうんうん。
吉田:函館って、田舎じゃないですか。田舎にも、良い田舎と悪い田舎ってのがあって、函館ってすげえいい田舎だと思うんですよね。伸び代がある田舎なんですよ。だからいくらでもまだやりようがあると思うし、住んでる人が心底いい街だなって、外に向けて胸を張れる街って、実はそんなになかったりすると思うんです。客観的に見ても、全国的に人気のある街ですし。そういう街に住んでいられるっていうのは、これはもう幸せなことですよね。
そういうところを伝えたいってのが基本であって、さっきも言ったように街の活性化とかは考えてないです(笑)。活性化とかは、他に力のある方がいるので。そういう方達にお任せしたいですね。
━━『peeps hakodate』は〝ローカルマガジン〟を謳っていますが、地域との寄り添い方で最も意識しているのはどういった部分ですか?
吉田:『peeps hakodate』って、「函館って人が面白いんだ」みたいなところからスタートしてるんですよ。函館って人が財産だなって思ってて。なので、その生活感というか、営みに寄り添いたいという意識はありますね。
綺麗な函館なんていくらでも見せようがあるし、いろんなところが出してるじゃないですか。そうじゃなくて、そこに暮らす人の生活感が滲み出ているかというところを大切にしています。
上手くやってるように見える人でも意外にそうじゃなかったりするじゃないですか。技術屋としてはピカイチだけど、経営者としては3流みたいな(笑)。そういう部分まで伝えたいという気持ちは常にありますね。綺麗事で終わらせるのが一番シラケるので。
函館訛り
「函館訛りが好きですね。言葉。こんなに小さな街なのに、地域によって訛りの強さが違うじゃないですか。昔、湯の浜の友達の家へ行ったときに、親がすごい訛りの強い言葉で話してたのが印象的で。それから、函館訛りが好きになりましたね。函館の愛すべき要素のひとつかなって思います」
古い店
「函館の古い店って、もういつまであるかわからないんです。70代、80代の方が現役でやってて、後継者がいないって店がたくさんあるんですよ。老舗って、あって当たり前って思われがちなんですけど、今行かなきゃいつまで続くかわからない状況なんですよ。閉まることになってから嘆いても遅いので、それを守る手助けをするのも私達の仕事のひとつかなと思います」
路面電車の音
「DNA的なものなのか、電車の音を聞くと落ち着くんですよね。だから会社も、家も電車道路沿いなんですけど。朝は電車の音で割と起きたりとか、それくらいもう生活の一部ですね。ただ、交通局の話を聞いてると、無理してやってるんですよあの人達。あれは函館に必要なものだからって。じゃあその赤字に毎年耐えられるかっていったら、いつか限界を迎える日がくると思うんですよね」