■ラグビー選手としての意外な出発点
━━では、函館にいた頃のお話を聞かせてください。生まれた時はどの辺りに住んでいましたか?
西川:本通ですね。今はもうないらいしんですけど、本通の大谷幼稚園に行ってました。小学校も本通ですね。
━━当時からスポーツ少年だったんですか?
西川:ゲームとかもしてましたけど、家に帰ってからグラウンドに集まって野球とかサッカーとかしてましたね。
━━ラグビーと出会ったのは、いつ頃だったんですか?
西川:僕が小学生だった頃に、姉が高校でラグビー部のマネージャーをしてたんですよ。姉が「ラグビー楽しいよ!」ってのを親にも言ってて、それで僕がラグビースクールに連れていかれたって流れですね。自分の意思とは関係なく(笑)。
━━なんとも複雑な出会いですね(笑)。
西川:それが小学校2年生の時だったんですけど、5年生になる時に辞めちゃいました。
━━どういった理由で辞めたんですか?
西川:もともと自分の意思で始めたわけじゃなかったし、周りでラグビーやってる友達もいなかったので。あとは仲の良い友達が野球を始めだしたってのもあって、僕も野球に転向しました。
━━ずっとラグビー一筋ってわけではなかったんですね。本中って人数が多いから、レギュラー争いとかも熾烈だったんじゃないですか?
西川:そうですね。僕は、ベンチ入りできるかどうかギリギリのラインだったんですけど、スコアを書けることとかをめっちゃアピールして、どうにかメンバーに入れてもらってましたね(笑)。
━━プレー以外の部分でアピールして(笑)。その結果、成績はどうだったんですか?
西川:函館市で優勝して、渡島大会までいったのが最高成績です。勝てば全道大会ってとこまでいったんですけど、上磯中に負けて終わりました。
━━高校はどちらに?
西川:北高ですね。
━━北高を選んだ決め手は何だったのでしょう?
西川:本当は家から近い東高に行きたかったんですけど、学力的に難しかったので。北高もギリギリだったんですけど、稜北は遠いし、函工は男が多いから嫌だなと思って、頑張って北高を目指しました。
━━家からの距離と、ある程度女子がいるってのが決め手だったんですね(笑)。高校も野球部ですか?
西川:野球を続けるかどうか迷ったんですけど、ラグビーと出会うきっかけとなった姉が、もともとは北高ラグビー部のマネージャーだったんですよ。だから、ラグビーもいいかなと思ってて。
それで野球部とラグビー部の見学に行こうと思ってたんですけど、ラグビー部を見に行ったら入部届を書かされて「明日から来てね!」って(笑)。
━━なんか、ラグビー部っぽい強引なエピソードですね(笑)。
西川:恐くて断れなかったんで、「はい、やります!」って言いました(笑)。
━━小学生の時と同じように、また自分以外の意思が介入したんですね(笑)。
西川:ですね(笑)。でも、今思えばそれで人生が変わったというか、現在に繋がる土台ができたので、良かったのかなと。
━━北高のラグビー部は強かったんですか?
西川:僕が1年生の時は強くて全道大会までいってました。2年の時は有斗と稜北が強かったんですけど、3年の時はうちが強かったですね。全道大会で準決勝までいきました。
━━全道の準決勝ってすごいですね! もう一歩で花園じゃないですか!
西川:そうですね。僕としては、もちろん花園へ行きたかったんですけど、個人的には北海道選抜に選ばれたいという気持ちもあって。北海道選抜になると、「ALL HOKKAIDO」って書かれたウィンドブレーカーかバックがもらえるんですよ。僕らが1年生の時の3年生が、それを持ってて、ずっと憧れてましたね。
実際に北海道選抜の夢は叶わなかったんですけど、函館選抜で出場した試合を流通経済大学のコーチがたまたま見に来てて。そこで声をかけられて、ラグビーで大学へ行くことになったんです。
━━へー! もともと、高校卒業後もラグビーをやっていきたいと思っていたんですか?
西川:いや、そういう気持ちはなかったですね。北海道はラグビーのレベルが低かったんで、関東で通用するとは思ってなかったんですよ。なので、どこからも声がかからなかったらチャレンジしようとは思ってなかったですね。
━━ということは、卒業後は進学か就職をしようと?
西川:札幌の大学とか行こうかなと思ってました。とりあえず、函館からは出ようと思って、学校を探したりとかはしてましたね。
━━函館を出ようと思ったのは、どうしてだったのでしょう?
西川:函館に残っている友達が周りにいなかったからですかね。親から離れて一人暮らししたいとか、都会に出たいという気持ちもありました。