上京して20年目の春、僕は故郷の函館へ戻ることにした。
 
理由はいくつかあるのだが、一言で言えば「やりたい仕事と、住みたい場所を両方とも諦めないため」の決断だ。函館に拠点を移して、これからも文章の仕事をしていこうと思っている。
 
19歳の頃の僕に明確な目標はなく、あるのは都会に対する単純な憧れのみだった。そんな半端者だから、はっきりした目標を持って上京してきた人に会うと恥ずかしいような、後ろめたいような気持ちになったのを覚えている。
 
きっと当時の僕がダブルグッチーと出会っていたら、強がって自分を実物以上に大きく見せようとして、その後で自己嫌悪に苛まれていたに違いない。函館で結成され、ハイスクールマンザイで準優勝を果たし、お笑いで食べていくという夢を叶えるために上京した彼らには、同じ年齢だった頃の中途半端な自分を照らして影を浮き上がらせるような眩しさがあった。
 
コロナの影響で様々な業界・業務のリモート化が進み、場所を選ばずにできることが増えた。しかし、何かを目指す上で相応しい場所というのもやっぱりある。「芸人としてテレビで活躍したい」という目標を掲げるダブルグッチーのふたりが東京へやってきたのは、極めて自然な判断だったのだろう。
 
それはきっと時代や世の中の状況に左右されるような判断ではない。もっと強力な、「自分たちがやりたいことをやる」という決意によって選ばれた道だからだ。そういう揺るぎない姿は、見る者の背筋を正す。
 
大学生漫才コンビとなったダブルグッチーの木戸口育未さん水口勝心さんは、これまでどんな経験をしてきて、今はどのような未来を思い描いているのだろう。僕が東京から函館に戻る直前の2021年3月末、函館から上京してきて間もないふたりに話を伺った。
 
文章:阿部 光平、写真、Webデザイン:馬場雄介   公開日:2021年9月10日 
 
 
 

 
 


 
 
 
 

コロナ禍で狂った上京計画
 
 
 
 
 

 
ー木戸口さんと水口さんが函館から出てこられたのは、いつだったんですか?
 
木戸口:僕は2020年の11月です。4ヶ月前ですね。
 
水口:僕は2021年1月に出てきました。
 
ーおふたりとも大学進学で。
 
木戸口:そうですね。本当は2020年の4月に出てくる予定だったんですけど、コロナの影響で大学のスタートが遅れちゃったんですよ。でも、ずっと函館にいてもやることないし、それなら少しでも多く東京でライブに出たいなと思ったので、こっちに来ました。
 
水口:僕も大学がリモートになったのでしばらく函館にいたんですけど、木戸口と話して年明けすぐに出てくることにしました。
 
ー大学進学を機に上京しようってことは、前々から決めていたんですか?
 
木戸口:僕らは高校生の頃にコンビとしてお笑いをはじめたんですけど、本気でやるなら地元よりも東京だなという気持ちはありましたね。だから、どちらかというと、こっちに出てきたのはお笑いをやるためって感じです。
 
水口:やっぱり函館にはお笑いライブが少ないので、経験を積むためには東京だよなって。だから、言ってしまえば大学進学というのは東京でお笑いをやるための口実みたいな感じで…。
 
ーあぁ、それはすごくわかります。他にやりたいことがあるんだけど、それでは親を説得できないから、進学を盾に上京するっていう(笑)。
 
水口:そうですね、ほんとにそんな感じです(笑)。
 

 
ーコロナの影響で、予定していた4月には関東に出てこれなくなったわけですよね。そのときは、どんな気持ちでしたか?
 
木戸口:3月の終わりに、大学から「入学式を中止します」って連絡があったんですよ。そのときは1ヶ月くらい経てば元に戻るだろうと思ってたので、まぁ家族との時間を楽しもうって気持ちでしたね。
だけど、そこから「授業の開始は5月になります」となり、「今年度の前期はなしにします」みたいな感じでどんどん延びていって。結局いつまで経っても出ていけないので、「自分は何をしてんだろう」みたいな気持ちになって、けっこう塞ぎ込んでました。地元で友達に会っても、お笑いができてないという後ろめたさがあって。
 
ー周りの友達には「東京でお笑いやってくるわ!」みたいな話をしてたんですね。
 
木戸口:そうですね。周りもみんな「頑張ってこいよ!」って送り出してくれてて。
 
水口:3月にはNCVさんやFMいるかさんが、テレビ・ラジオの特別番組を組んでくれたんです。「いってらっしゃい、ダブルグッチー!」みたいな感じで。新聞各社さんも、そういう記事を出してくださって。
でも、夏くらいになると「まだいんのかい!」みたいな雰囲気になってきましたよね。
 
ーあははは(笑)。
 
木戸口:ちょっと長くいたら厄介者扱いですよ。
 
ー(笑)。
 
水口:そうやって盛大に送り出してもらった手前、やっぱり後ろめたい気持ちはありました。
 

 
ー大学がスタートできないと決まったのが3月末ということは、すでに一人暮らしの家は契約してたんじゃないですか?
 
木戸口:もう借りてたんで、家賃だけ払ってましたね。
 
ーわー、それはきついですね……。
 
水口:僕も家は借りてたんですけど、学校のマンションみたいなところだったので家賃は免除になりました。ただ、1年生のときだけキャンパスが遠かったので、通学用に車を買ってたんですよ。だけど、1年生の授業はリモートで終わってしまって、今年からは電車で通えるキャンパスになったので、買った車は今も実家の車庫で眠ってます。
 
ーやっぱり予定にズレが生じることで、いろんなところで思わぬ弊害が起きてたんですね。
 
水口:僕、本当は車で引っ越してくる予定だったんですよ。
 
ーえっ? 車に生活道具一式を積んで、自分で運転してくる予定だったんですか?
 
水口:はい。燃費の悪い中古の軽自動車で。
 
ーすごい! そんなスタイルで上京してくる学生、聞いたことないです(笑)。
 
木戸口:無茶苦茶な引越しですよ。
 
水口:そのために、ちゃんとETCもつけてたんですけどね。そのまま使わずじまいです。
 
 
 
 
 
 
小5の学級レクで結成された漫才コンビ
 
 
 

 
ーおふたりは高校生のときにコンビを組んだということですが、そもそもはどういう出会いだったんですか?
 
木戸口:最初は小学校1年生のときにクラスが一緒で。
 
ーえぇー! 小1からの知り合いなんですね。
 
水口:そうなんですよ。同じ北美原小学校で、1、2年と、5、6年のときにクラスが一緒でした。
 
ー当時から仲はよかったんですか?
 
水口:たまーに遊ぶくらいでしたね。
 
木戸口:毎日学校終わりに遊ぶような間柄ではなかったですけど、たまにクラスで掛け合いをしたりはしてて。
 
ー小学生の頃から漫才っぽいことをやってたんですか?
 
木戸口:小5のときに、担任の先生から「お前らダブルグッチーとして、学級レクで何かやれ!」って言われたんですよ。それが、そのままコンビ名になってるんですけど。
 
ーはぁー、そういう経緯だったんですね。
 
木戸口:「木戸口と水口でダブルグッチー」みたいな。そうやって小学校の頃についた名前で今までやってきてるんで、コンビ名に関しては後悔してるんですけどね。
 
ー(笑)。
 
水口:「もっといい名前あったよな」って。それは今でもたまに話してます。
 

 
ーじゃあ、ダブルグッチーは小学5年生のときの学級レクリエーションで結成されたんですね。先生から指名を受けたということは、おふたりはクラスの人気者って感じだったんですか?
 
木戸口:僕は小2の頃から、いろんな人とコンビを組んで学級レクで漫才をやってたんです。それで小5のときに初めて水口とやったんですけど、小学生にしてはちゃんとしたツッコミが返ってきて、すごいやりやすかったんですよね。
 
ー小2から漫才って、かなり早いですよね。何かきっかけがあったんですか?
 
木戸口:親がダウンタウンさんのファンで、僕も一緒に『ガキ使』とかを見てたんですよ。小2の頃には、M-1のDVDも全部借りてきて見てました。そういうのを見てるうちに自分でもやってみたいなと思うようになって、学級レクで漫才をやるようになったんです。
 
ーそのときは誰かのネタをコピーしてたんですか?
 
木戸口:いや、自分でネタを書いてました。
 
ーすげー!
 
木戸口:本当にもう拙いネタですけどね。
 

 
ー水口さんも、クラスのみんなをよく笑わせてるようなタイプだったんですか?
 
水口:いや、僕はもともとそういうタイプじゃなかったんですけど、小5のときに担任になった先生の影響で「面白い人間になりたい」って気持ちが芽生えたんですよね。
 
ーどんな先生だったのでしょうか?
 
水口:フランクで面白い先生だったんですよ。授業でも、いろんな生徒に話を振って、全体を盛り上げていくみたいな感じで。そういうのを見てて、自分もクラスを沸かせたいなって思うようになったんです。それからはもうガンガン前に出て、何でもやるみたいなキャラになりました。
 
木戸口:めちゃくちゃ張り切りタイプで、自ら進んで汚れ役とかもやってましたね。こいつが変なことをやって、僕がそれをいじるみたいな。そういうことをクラスでやってました。
 
水口:だからもう、いじられ歴としてはかなり長いですね。
 
ーいじられ歴(笑)。昔からそういうことをやってたんですね。水口さんは、好きな芸人さんとかいたんですか?
 
水口:僕はザ・ドリフターズさんが大好きだったんです。特に志村けんさんが好きでした。
 
ードリフターズって、全然世代じゃないですよね。
 
水口:そうなんですよ。でも、スペシャル番組とか、レンタルDVDで見てました。言葉ではなく、体を張った笑いが好きだったんですよね。
 

 
ー先ほど木戸口さんが、水口さんとやったときはちゃんとツッコミが返ってきたとおっしゃってましたけど、そのときのことは覚えてますか?
 
水口:いやぁ、正直あんまり記憶にないんですよね。たしか木戸口と一緒に出るはずだった友達がネタを覚えてきてなくて、急遽僕が出ることになったんじゃなかったかな。とにかく、アドリブでやったのは覚えてます。
 
ーいきなりアドリブで!
 
水口:でも、ツッコミといっても「なんでやねん!」みたいな感じですよ。
 
ーいいっすね(笑)。テレビで見たことのあるツッコミを。
 
水口:そうです、そうです。「なんでやねん!」「おかしいやろ!」「そこちゃうやんけ!」みたいな。
 
ーいい(笑)。
 
木戸口:ツッコミの人がなるべく使わないほうがいい、手垢にまみれたフレーズですね。
 
水口:当時はもうエセ関西弁を連発してましたね。何か言われるごとに「なんでやねん!」みたいな。
 
ーあははは! めちゃくちゃいい話だなぁ、それ。情景が浮かびます。
 
水口:そんな感じでも、形としてはなんとなく成立するじゃないですか。ボケに対してツッコミが入るという形が。それが楽しかったですね。
 
 
 
 
 
 
高1でラジオのレギュラー番組を持ったダブルグッチー
 
 

 
ー小学5年生ではじめて漫才をした後、ダブルグッチーとして定期的にネタを披露してたんですか?
 
木戸口:いや、中学校の頃はまったくですね。
 
水口:学校は一緒だったんですけど、クラスが別々だったので何もしてなかったです。ただ、同じ塾に通ってたので、そこで僕が木戸口にいじられるみたいなことは相変わらずやってました。
 
木戸口:でも、水口は中学でもグイグイ前に出てましたね。学校祭でカラオケに出て、軽くスベったりとかして。
 
ーあははは(笑)。
 
水口:スベったまで言わなくてもいいよ……。
 
木戸口:でも、前には出る感じでした。水口はずっと。
 

 
ーでは、ダブルグッチーは高校で再始動だったんですね。同じ高校に行こうって話はしてたんですか?
 
水口:いや、たまたま学力が同じくらいで(笑)。
 
ーははははは!
 
木戸口:ふたりとも推薦で稜北高校に入ったんですけど、水口が稜北に行くことを知って、「え、俺もなんだけど」みたいな感じでしたね。本当に偶然だったんですよ。
 
水口:しかも、その年の稜北は推薦枠が定員割れしてて、受かるのが確実だったんですよね。
 
ー(笑)。でも、そのお陰でダブルグッチーが復活できたんですね。再結成の話は、どちらから持ちかけたんですか?
 
水口:僕ですね。高校1年のときに、FMいるかのパーソナリティーを市民から選ぶっていうオーディションがあったんですよ。それに僕が木戸口を誘ったんです。最初は嫌がってて、何度か断られたんですけど、1回やってみようよって。
 
木戸口:高校生で思春期真っ只中だったので、「そういうのはちょっとな……」と思ってたんですよね。だけど、たしか夏休みの最終日が締め切り前日で、水口と話してて「じゃあ応募するだけしてみるか」ってなりました。だから、最初は水口のほうがやる気で、僕はそうでもなかったんです。
 

 
ーオーディションって、具体的にどういうことをしたんですか?
 
水口:1次審査はトークの音源を送るってやつで、ふたりで掛け合いをしたのを送ったら受かったんですよ。2次は生放送に出演して自己PRをするみたいな審査で、それもなんか受かっちゃって。結果的に、FMいるかで半年間ラジオ番組をやらせてもらえることになったんです。
 
ーいきなりラジオのレギュラー番組を持ったんですか? しかも、高校生で?
 
水口:そうなんですよ。ありがたいことに。
 
ー最初はあまり乗り気ではなかったということですが、木戸口さんはラジオのオーディションを機に、久々にふたりで掛け合いをしてみてどうでしたか?
 
木戸口:やっぱり楽しかったですね。僕は勉強もスポーツもできるほうじゃなかったので、そういう現実から目を背けるために何か得意なことだけに夢中になりたいという気持ちがあったんです。だから、他のことから逃げるためにも、ストイックにお笑いをやろうと思うようになりました。
 
ーお笑いだけに集中することで、自分のアイデンティティを形成したかったみたいなことですか?
 
木戸口:それですね、本当に。そのためにお笑いをやってました。
 
 
 
 
 
 
日本一の高校生コンビを決めるハイスクールマンザイ
 
 

 
ー高校2年生のときには、吉本興業主催の『ハイスクールマンザイ』に出場されたんですよね?
 
水口:そうですね。高校生のお笑い大会があると知って、出てみようと。最初は北海道東北ブロックの動画予選があって、2分のネタを送るんですけど、それはほとんどの参加者が通過できるんですよ。その後の準決勝で、ふるいにかけられるんです。
 
木戸口:準決勝までは割とみんないくんですけど、Twitterとか見てると、それだけで「お前らすげえな」って言われてる人たちもいて。でも、準決勝止まりでチヤホヤされてるのって、めちゃくちゃダサいじゃないですか。
 
水口:あんまそういうこと言うなよ。
 
ー(笑)。
 
木戸口:決勝までいくと『なんばグランド花月』で漫才ができるんですよ。そこまでいって初めて人から認めてもらえるレベルだと思ってたので、準決勝で落ちたらむしろ恥だなって。だから、高2のときはわからないなりに、毎日学校でネタ合わせしてました。
 
水口:人がいない廊下とかで、ひたすら壁に向かってやってましたね。昼休みと放課後は毎日。
 
木戸口:朝も早めに来てやってました。それくらいやらないと勝てないと思ってたので。
 

 
水口:北海道東北ブロックの準決勝は岩手県が会場だったので、朝早い新幹線に乗って緊張しながら行ったんですよね。MCが『とろサーモン』さんで、それにもめちゃくちゃ緊張して。
ここで勝てば北海道東北地方の代表ってことで決勝にいけるんですけど、正直言って僕は無理だと思ってました。でも、なんか通っちゃったんですよ。
 
ー「なんか通っちゃう」のパターン多いですね(笑)。木戸口さんは、絶対に通過する気持ちで挑んだとおっしゃってましたが、手応えはあったんですか?
 
木戸口:僕はゴリゴリにありましたね。FMいるかのオーディションも、ぶっちゃけ終わった瞬間に「これ通ったな」って思ってましたし。
 
ー毎回、水口さんとは手応えが違ってるのが面白いなぁ。
 
木戸口:ハイスクール漫才の準決勝も、僕は他のコンビの漫才を見ながら「これ、いったわ」って言ってたんですけど、水口は「そうか?」みたいな感じでしたね。でも、僕は手応えがありました。
 

 
ー各地域の代表が集結した決勝戦は、どんな感触でしたか?
 
木戸口:決勝は各地の代表8組が出るんですけど、やっぱり関西のレベルがやばいなと思いましたね。普通に掛け合いしてるだけなのにテンポも間もいいし、ボケとツッコミが本当に強い者同士で組んでるなという印象でした。だから、彼らと同じ戦い方をしても勝てないだろうなって。
 
ーそう感じた上で、どのような戦い方をしたのでしょう?
 
木戸口:やっぱり高校生って、元気なノリでくるんですよ。だけど、元気さで張り合ったら、北海道の人間が関西の人たちに勝てるわけないじゃないですか。
 
ーあぁ、その感覚はなんとなくわかる気がしますね(笑)。
 
木戸口:だから、その場から動かないで、ちょっと間を使いながらやるしゃべくり漫才をやったんです。
 
水口:すごいですよね。それを聞いて僕は、他人事みたいに「1年目の考え方じゃないな」と思ってました。
 
木戸口:高校生は、基本的にそういう感じで攻略できるんで。
 
水口:僕は何も考えてなかったけど、木戸口はひとりだけ「高校生っぽいやり方を外したほうがいい」とか言ってて、横で「すげーな、こいつ」と思ってましたね。しかも、その戦い方で準優勝できたので。
 
 
 
 
 
 
漫才をできる場所がないなら、自分たちで作る
 
 

 
ー初出場でいきなり準優勝っていうのは、すごい結果ですよね。しかも、翌年にはもう1度チャンスがあるわけじゃないですか。そこからの1年間は、どんな練習をされていたのでしょう?
 
木戸口:高2のときは、ひたすら壁に向かって練習してたんですけど、決勝で関西のコンビを見て「やっぱり舞台に立たないと勝負にならない」と思ったんですよね。
でも、函館には漫才の劇場がないので、『シエスタ ハコダテ』のGスクエアに2人でお願いしにいきました。「ここで漫才ライブをやらせてもらえないですか」って。
 
水口:そしたらありがたいことにやらせてもらえることになったんです。しかも、月一で。
 
ー自分たちで、立てる舞台を作るために動いてたんですね。やっぱり壁に向かってやるのと、お客さんの前でやるのでは、得るものが違いましたか?
 
木戸口:全然違いましたね。ウケると思ってやってるところが、まったくウケなかったりして。そういう反応を見ながらネタを改良していけたのは、すごく大きな経験になりました。
 
ー壁に向かってやってるときは、自分たちが面白いと思ってるものを突き詰める練習だったけど、お客さんの反応によって客観的にネタと向き合うことができたんですね。
 
水口:そうですね。ありがたいことにお客さんもたくさんで、毎回100人くらいは見に来てくださったんですよ。全部で8公演やったんですけど、トータルで約1000人に見てもらいました。
 

 
ーそうやって経験を積んだ上で挑んだ翌年のハイスクールマンザイは、どんな結果だったのでしょうか?
 
木戸口:初出場が準優勝だったので、次はもう優勝しかないという気持ちで出場しました。地方大会は順調に勝ち上がって、決勝まではいけたんですよね。だけど、決勝の結果は振るわなくて……。全然ダメでした。
 
ーそうだったんですね。その結果については、どのように分析しているのですか?
 
木戸口:まず優勝コンビの跳ね方がすごかったんですよ。そこにはやっぱり実力差を感じました。
 
水口:あと、出場順はくじ引きで決めるんですけど、僕が2年とも2番を引いちゃって……。やっぱり出順は後半のほうがいいんですよね。お客さんが温まってるし、審査員の方の印象にも残るので。だから、2番を引いたときはお互いに顔を合わせて、「終わったな、これ」、みたいな感じでしたね。
 
ー改善を繰り返してきて、ネタとしては1年でクオリティが上がったのに。
 
木戸口:そうですね、いろいろハマらなかったのもあるし、自分たちがまだ突き詰めきれてなかったってことだったと思います。
 

 
ー高校3年のときのハイスクールマンザイでは思うような結果が出ませんでしたが、その頃にはもう、お笑いの道に進もうと決めてたんですか?
 
木戸口:決めてましたね。それはもう高2のハイスクールマンザイに出たときから決めてました。あそこでウケちゃったことで勘違いしたというか、「他のことに比べたら、お笑いは頑張ればいけるかも」と思って。
 
水口:今見ると準優勝したときの漫才は、あまり声がのってないんですけど、1000人くらいお客さんの前でドッと笑いを浴びるって経験をして、「これはもうやめられないかも」って思いましたね。
 
木戸口:それまでは、「やっとやりたいことが見つかった」くらいの感じだったんですけど、準優勝したのを機にちゃんとお笑いと向き合おうって気持ちになりました。