鳥井弘文
さん(27)
職業:ブロガー・会社経営
出身地:函館
現住所:東京
函館→東京→北京→東京
人気ブログ『隠居系男子』を運営し、これからの暮らしを考えるウェブメディア『灯台もと暮らし』を運営する株式会社Waseiの代表を務める鳥井弘文さん。実はバリバリの函館出身者なんです。附属中学校を卒業後、慶應義塾湘南藤沢高等部へ進学。そこで待っていたのは、テレビの中で見たような華やかな街と、函館弁の少年に対する好奇の眼差しでした。訛りを指摘される恥ずかしさというのは、地方出身者なら誰しもが身に覚えのある経験ではないでしょうか。それから12年、北京での生活を経て、東京の第一線で活躍する鳥井さんに、15歳までの多感な時期を過ごした函館のことや、ブログを始めた経緯、これから考えている地元との関わり方など、様々なお話を伺いました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:馬場 雄介、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年10月2日
『灯台もと暮らし』ができるまで
━━鳥井さんはご自身で会社を経営されているということですが、最初にどんな会社なのか、業務の内容等を教えていただけますか?
鳥井:『灯台もと暮らし』(以下、もとくら)というメディアの運営が主軸事業です。「これからの暮らしを考えるウェブメディア」というコンセプトで、様々な地方にスポットを当てながら、そこで暮らす人々や土地の文化などを取材しています。
その他には、ウェブコンテンツの制作や、メーカーさんのオウンドメディアの編集を請け負うなどの受託制作、あとはイベントの開催・運営なども行っています。
━━会社を立ち上げたのは、いつ頃ですか?
鳥井:去年の9月末頃です。なので、もう少しで1年ですね。
今は社員4名+外注が1名というかたちなんですけど、最初は僕がひとりで登記して、会社を作り、そこで雇用させてもらったという感じですね。まぁ、メンバーとはもともと知り合いで、会社を立ち上げようという話はしてたんですけど、「設立の面倒臭いところは、全部お願いしまーす!」みたいな感じで、手続き関係は僕が引き受けました(笑)。
━━フレンドリーな関係性がうかがえますね(笑)。社員の方々とはどこで知り合われたのでしょうか?
鳥井:会社を始める前に、『 MATCHA 』【 http://mcha.jp 】という訪日外国人向けのウェブマガジンで、編集長をしてたんですけど、その時に一緒に働いていたメンバーです。
『 MATCHA 』の編集方針がガラッと変わるタイミングがあったんですが、僕としては今までやってきた編集方針を引き継ぎつつ、深堀りしたインタビューや店舗紹介の記事などを作りたいという欲求があって。そこで、新しくメディアを立ち上げようと思ってスタートさせたのが、今運営している『もとくら』です。
━━なるほど。では、前の職場からの仲間なんですね。そこで近い考え方の人たちが集まって『もとくら』ができあがったと。ちょっと聞きにくいんですけど、『MATCHA』を離れた理由は新しい編集方針に納得がいかなかったという感じですか?
鳥井:「音楽性の違いみたいな感じですか?」って、よく聞かれるんですけど、全然そういうわけじゃないんです(笑)。新しい方針は、「やっていくうちにそういうものも求められていくんじゃないかな?」という印象もあったので、11月くらいまでは『 MATCHA 』も『ともくら』と並行して関わっている感じでした。
━━『MATCHA』といえば、日本各地の魅力的な文化や観光スポットを紹介するようなメディアですが、そもそも〝地域〟や〝旅行〟に対する関心は高かったのでしょうか?
鳥井:僕、大学を出てから2年ほど北京に住んでいたんですよね。現地の IT ベンチャーで働いていたんですけども。その辺りから〝地域〟や〝旅行〟を意識するようになったのかなとは思います。
━━そこはどういった会社だったんですか? その会社に入ろうと思った動機なども教えてください。
鳥井:中国市場に進出してくる日経企業のウェブ制作とかを請け負う会社だったんですけど、僕が担当していたのは、中国版ツイッターといわれる『ウエイボー』の企業アカウント運営だとか、キャンペーン作成とか、いわゆるウェブマーケティングといわれる部分ですね。
動機としては、大学の時にずっと中国関係の本とかを読んでいて、その中で出会った1冊に大きな影響を受けてしまい、著者の方のもとで働いてみたいなと思ったんです。それでツイッターで著者の方を探して、「今度ぜひ会いたいです!」って連絡して、そのまま日本を出て、北京にある会社に行って、ここで働かせてください!みたいな(笑)。
━━飛び込みで入社したんですか(笑)?
鳥井:そうですね、向こうとしては「仕方ないなぁ」って感じでした(笑)。
━━なんとも大胆な就活ですね(笑)。ちなみに、そこまで大きな影響を受けたのは何という本だったのでしょう?
鳥井:山本達郎さんという方が書いた『中国巨大 EC サイト タオバオの正体』という新書本です。タオバオというのは、日本版楽天みたいな中国最大のショッピングサイトなんですけど、それが日本のショッピングサイトとどう違うのかといった内容でして。内容も良かったんですけど、いわゆるビジネス系の解説書なのに、最後には「自分が日本と中国の架け橋になりたい」みたいな結構熱い想いが綴られていて、そのギャップにもグッときちゃって。
それで山本さんのことを調べてみたら、たまたま大学の同じ学部学科の先輩だったんです。もともと北京に行きたいという気持ちもあり、この本との出会いに運命めいたものを感じてしまって、迷わず日本を出ました。
━━もともと北京に行きたいという気持ちがあったということですが、アメリカでもなく、イギリスでもなく、中国に目が向いていた理由は何だったのでしょう? 大学の学科が中国関連だったとかですか?
鳥井:大学では法律を学んでいたので、学科としては全然関係なくて。もともとは、父が中国に出張とかでよく行っていて、向こうの話を帰国するたびに聞いていたんですよね。
それがきっかけで2007年くらいに家族で北京旅行へ行ったんです。ちょうど北京オリンピック前の建設ラッシュ真っ最中だったので、すごく活気があって。でも、近代的な建物が並ぶ一方で、すごく汚い部分もあったりして。初めてに近い海外だったというのもあって、かなりカルチャーショックを受けました。その頃から、中国を意識するようになっていたんだと思います。
あとは、兄がアメリカに行っていたことも関係してたかもしれません。反発心じゃないですけど、「同じ道には進むまい」みたいな(笑)。
経済の話を聞いてると、「これからは中国が世界経済の中心になっていく」みたいな意見もあったので、一度自分の身を持って感じておきたいなという気持ちもありました。そういった様々な要素が相まって、欧米ではなく中国に目が向いていたんだと思います。
━━初めてに近い海外だったということですが、ちなみに初海外はどこだったんですか?
鳥井:グアムとかサイパンですね。あの『少年の船』って知ってます?
━━え! UHB少年の船ですか!? 北海道各地の子ども達が、デカい船にのってグアムへ行くやつですよね! 知ってるどころか、僕も小6の時に行ってました(笑)!
鳥井:わー、マジですか!奇遇!あれが始めて海外です。北海道の人にしかわからない話ですよね(笑)。
鳥井:『灯台もと暮らし』(以下、もとくら)というメディアの運営が主軸事業です。「これからの暮らしを考えるウェブメディア」というコンセプトで、様々な地方にスポットを当てながら、そこで暮らす人々や土地の文化などを取材しています。
その他には、ウェブコンテンツの制作や、メーカーさんのオウンドメディアの編集を請け負うなどの受託制作、あとはイベントの開催・運営なども行っています。
━━会社を立ち上げたのは、いつ頃ですか?
鳥井:去年の9月末頃です。なので、もう少しで1年ですね。
今は社員4名+外注が1名というかたちなんですけど、最初は僕がひとりで登記して、会社を作り、そこで雇用させてもらったという感じですね。まぁ、メンバーとはもともと知り合いで、会社を立ち上げようという話はしてたんですけど、「設立の面倒臭いところは、全部お願いしまーす!」みたいな感じで、手続き関係は僕が引き受けました(笑)。
━━フレンドリーな関係性がうかがえますね(笑)。社員の方々とはどこで知り合われたのでしょうか?
鳥井:会社を始める前に、『 MATCHA 』【 http://mcha.jp 】という訪日外国人向けのウェブマガジンで、編集長をしてたんですけど、その時に一緒に働いていたメンバーです。
『 MATCHA 』の編集方針がガラッと変わるタイミングがあったんですが、僕としては今までやってきた編集方針を引き継ぎつつ、深堀りしたインタビューや店舗紹介の記事などを作りたいという欲求があって。そこで、新しくメディアを立ち上げようと思ってスタートさせたのが、今運営している『もとくら』です。
━━なるほど。では、前の職場からの仲間なんですね。そこで近い考え方の人たちが集まって『もとくら』ができあがったと。ちょっと聞きにくいんですけど、『MATCHA』を離れた理由は新しい編集方針に納得がいかなかったという感じですか?
鳥井:「音楽性の違いみたいな感じですか?」って、よく聞かれるんですけど、全然そういうわけじゃないんです(笑)。新しい方針は、「やっていくうちにそういうものも求められていくんじゃないかな?」という印象もあったので、11月くらいまでは『 MATCHA 』も『ともくら』と並行して関わっている感じでした。
━━『MATCHA』といえば、日本各地の魅力的な文化や観光スポットを紹介するようなメディアですが、そもそも〝地域〟や〝旅行〟に対する関心は高かったのでしょうか?
鳥井:僕、大学を出てから2年ほど北京に住んでいたんですよね。現地の IT ベンチャーで働いていたんですけども。その辺りから〝地域〟や〝旅行〟を意識するようになったのかなとは思います。
━━そこはどういった会社だったんですか? その会社に入ろうと思った動機なども教えてください。
鳥井:中国市場に進出してくる日経企業のウェブ制作とかを請け負う会社だったんですけど、僕が担当していたのは、中国版ツイッターといわれる『ウエイボー』の企業アカウント運営だとか、キャンペーン作成とか、いわゆるウェブマーケティングといわれる部分ですね。
動機としては、大学の時にずっと中国関係の本とかを読んでいて、その中で出会った1冊に大きな影響を受けてしまい、著者の方のもとで働いてみたいなと思ったんです。それでツイッターで著者の方を探して、「今度ぜひ会いたいです!」って連絡して、そのまま日本を出て、北京にある会社に行って、ここで働かせてください!みたいな(笑)。
━━飛び込みで入社したんですか(笑)?
鳥井:そうですね、向こうとしては「仕方ないなぁ」って感じでした(笑)。
━━なんとも大胆な就活ですね(笑)。ちなみに、そこまで大きな影響を受けたのは何という本だったのでしょう?
鳥井:山本達郎さんという方が書いた『中国巨大 EC サイト タオバオの正体』という新書本です。タオバオというのは、日本版楽天みたいな中国最大のショッピングサイトなんですけど、それが日本のショッピングサイトとどう違うのかといった内容でして。内容も良かったんですけど、いわゆるビジネス系の解説書なのに、最後には「自分が日本と中国の架け橋になりたい」みたいな結構熱い想いが綴られていて、そのギャップにもグッときちゃって。
それで山本さんのことを調べてみたら、たまたま大学の同じ学部学科の先輩だったんです。もともと北京に行きたいという気持ちもあり、この本との出会いに運命めいたものを感じてしまって、迷わず日本を出ました。
━━もともと北京に行きたいという気持ちがあったということですが、アメリカでもなく、イギリスでもなく、中国に目が向いていた理由は何だったのでしょう? 大学の学科が中国関連だったとかですか?
鳥井:大学では法律を学んでいたので、学科としては全然関係なくて。もともとは、父が中国に出張とかでよく行っていて、向こうの話を帰国するたびに聞いていたんですよね。
それがきっかけで2007年くらいに家族で北京旅行へ行ったんです。ちょうど北京オリンピック前の建設ラッシュ真っ最中だったので、すごく活気があって。でも、近代的な建物が並ぶ一方で、すごく汚い部分もあったりして。初めてに近い海外だったというのもあって、かなりカルチャーショックを受けました。その頃から、中国を意識するようになっていたんだと思います。
あとは、兄がアメリカに行っていたことも関係してたかもしれません。反発心じゃないですけど、「同じ道には進むまい」みたいな(笑)。
経済の話を聞いてると、「これからは中国が世界経済の中心になっていく」みたいな意見もあったので、一度自分の身を持って感じておきたいなという気持ちもありました。そういった様々な要素が相まって、欧米ではなく中国に目が向いていたんだと思います。
━━初めてに近い海外だったということですが、ちなみに初海外はどこだったんですか?
鳥井:グアムとかサイパンですね。あの『少年の船』って知ってます?
━━え! UHB少年の船ですか!? 北海道各地の子ども達が、デカい船にのってグアムへ行くやつですよね! 知ってるどころか、僕も小6の時に行ってました(笑)!
鳥井:わー、マジですか!奇遇!あれが始めて海外です。北海道の人にしかわからない話ですよね(笑)。
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