多趣味な父と遊ぶ中で身についた独自の哲学と
尊敬できる師匠から学んだ職人としての志

志村弦さん(31)
 職業:家具職人
出身地:函館
現住所:函館
 函館→札幌→函館

 
 
小学校の頃から図工の授業が大好きだったという志村弦さん。有斗高校を卒業後は、家具職人を目指して札幌の専門学校へ進学するも、授業の内容に疑問を抱き、わずか1年で退学。実際に家具を作る仕事に就き、イチから職人としての技術や心得を学びました。現在は函館に戻り、念願の家具職人として働く一方、2児の父として子育てにも奮闘中。「嫌だという理由で物事を辞めない」や「子育ては親に頼らない」など、独自の信念を貫く志村さんに、函館での仕事や育児の環境について伺いました。

 
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2015年11月13日

 
 

 
 
 
 
 

生粋の職人から学んだ〝職人としての志〟

 
 
━━では、少し話を変えて札幌という街の印象について教えて下さい。初めて親元を離れ、違う街で生活するというのはどういう気持ちでした?
志村:楽しかったですよ。都会だし、何でもあるし。服とかも好きだったので。
 
━━家具の勉強をしたいと考えた時に、選択肢は札幌以外にもあったかと思うんですが、その中で札幌を選んだ理由は何だったのでしょうか?
志村:近場だったので(笑)。札幌が一番現実的というか、自分が入り込みやすそうだなという気持ちでした。東京だとちょっと、自分には違うかなってのが正直ありましたね(笑)。
 
━━学校以外の生活はいかがでしたか?
志村:開陽亭というご飯屋さんでアルバイトをしてました。そこで、たまたま昔家具屋さんで働いていたという人と出会って、学校を辞めたくらいの時に、その人から家具屋さんでの働き口を紹介してもらったんですよ。
 
━━じゃあ、学校辞めて、すぐに社会人に?
志村:そうですね。そのまま3年くらいはそこで働いてました。
 
━━具体的にはどのような仕事をしていたんですか?
志村:家具の製作と取り付けですね。忙しい時は寝る暇もないくらいの職場でした。
 
━━家具職人になりたくて札幌に出てきた身としては、理想的な職場だったのかなと思うんですが、なぜ3年で辞めてしまったのでしょう?
志村:函館に帰ろうと思ったんですよね。ちょっと寂しくなってきたというか。札幌に出てきて4年経つと、大学で出てきた人とかも卒業しちゃうじゃないですか。それで、友達も少なくなってきて。ちょっと自分も地元に帰りたいなって感じで。
 
━━地元に帰れば友達もいるし、仕事さえ探せれば函館でやっていきたいなと。
志村:そうですね。
 
━━そもそも、札幌行った時には、いつかは函館に戻りたいなって気持ちはあったんですか?
志村:ありました。自分で一人前に家具を作れるようになったら、帰りたいなって。

 

 

 

 

━━では、函館に帰ってきてから次の仕事を探したという感じですか? それとも戻ってくる前に仕事は決まっていたんでしょうか?
志村:23歳の時に地元へ帰ってきたんですけど、その時は何も決まってなかったですね。仕事を決めるまでに、友達から誘ってもらって個展をやったりとかしてました(笑)。
 
━━それは家具の?
志村:家具も展示してたんですけど、あとは絵ですね。好きで書いていた絵を見てくれたカフェのオーナーが「個展やらない?」って言ってくれて。
 
━━絵も描くんですね! 実際、お客さんからの反応はいかがでした?
志村:周りの人は「すごくイイね!」とか言ってくれたんですけど、自分的には、あまり良くなかったですね(笑)。それでやっぱり、ちゃんと家具作ろうと思って、仕事を探し始めました。個人的にも実家の車庫で家具を作ったりとかして。
 
━━それで働きだしたのが今の会社ですか?
志村:いや、その時は今の会社じゃなく。木型屋さんの仕事をしてました。
 
━━木型屋さんって何ですか?
志村:例えば、工具とかって、木型ってものがないと作れなんですよ。ペンチとか電気ドリルとかなんでもそうなんですけど、まず最初にそれと同じ形のものを木で作るんです。それを砂に埋め込んで、固めて、型を作るんですよ。その型に、溶かした鉄とかを流し込んで工具ができあがるんですよね。なので、あらゆるものを量産するための土台が木型ってものなんですよ。
 
━━へぇー、知らなかった。面白そうですね!
志村:そういう木型を作る会社が、函館に1軒だけあるんですよ。そこもまた知り合いで繋がってる人がいて、「もし興味あるなら行ってみない?」ってことで、すぐに行かせてもらうことにしました。
ありがたいことに、給料をもらいながらやらせてもらってたんですけど、全然もう凄すぎて
 
━━凄すぎて? どういうことですか?
志村:同じ木を扱う仕事でも、自分が今までやってきた家具とは全然違ってて。ちょっとなんて言っていいか(笑)。
 
━━今までやってきたこととは世界が違うってことですか?
志村:んー、なんて言ったらいいんだろう。とにかく難しいんですよね。何が難しいかっていうのを今まで聞かれたことがなかったので、言葉で説明するのは難しいんですけど
家具とかだと、箱っていうか、四角いものが多くて、丸い形を作ることがあんまりないんですよね。
 
━━ここは何センチにして、ここの角度は何度にしてというような。
志村:そうですね。家具ってそういう形が多いんですけど、木型はもっと感覚的なんですよね。そのくせ、家具よりも寸法がきちっとしていないとできないというか。
結局、製品の形って木型で決まっちゃうんですよ。ペットボトルなんかも、木型で作られてるんですけど、細部まで完璧に作り上げないといけないという本当にシビアな作業なんですよね。
 
━━それは自分がやりたい仕事ではなかったと。
志村:作るは作るでも、自分が作りたいものとは違うなと思って。結局は1年くらいで辞めたんですけど、そこで得たものは本当に大きくて。
 
━━具体的にはどんなものを得たのでしょう。
志村:まず、そこの社長が、モノ作りにすごくストイックな人で、話をしていてモノ作りに対する自分の意識が甘すぎるなと痛感させられました。
その人は、木型がやりたくて、飛び込みで修行してたらしいんですよ。修行の身ということで無報酬だったので、好きだったバイクとかを全部売って、それで機材を買ったりして。自分を追い込んで追い込んで、木型をやってるというか。仕事が終わっても遊びに行ったりもしないし。そういう姿勢を見て、自分も職人という仕事に対する意識が変わりましたね。
 
━━本当に職人気質な方だったんですね。辞めても繋がりはあるんですか?
志村:自分がもう少し職人として成長できたら会いに行きたいなと思ってるんですけど、まだ会えないです。ちゃんと独り立ちしてからですね。すごく会いたいんですけど。

 
 
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