祖父が飼育していたことがきっかけで〝馬〟に興味を持つようになり、小学校2年生の時には〝競馬の騎手〟を夢見ていたという高橋佑輔さん。しかし、体格が大きかったために騎手の学校に入学することが叶わず、その夢を断念。それでも「馬に関係する仕事に就きたい」との想いから、調教師を目指して紋別の牧場に就職しました。しかし、そこで待っていたのは2度目の大きな挫折だったといいます。現在は、馬の仕事から離れ、五稜郭でバー『en counter』を経営する高橋さんに、挫折から立ち直るまでの道のりや、函館における商売の難しさ、東京進出の計画などを伺いました。
取材・文章:阿部 光平、撮影:妹尾 佳、イラスト:阿部 麻美 公開日:2016年2月3日
良くも悪くも注目される〝転校生〟という宿命
━━高橋さんは五稜郭で『en counter』というバーの経営をされているとのことですが、まずはバーテンダーになった経緯について聞かせてください。
高橋:もともとは競馬の騎手になりたかったんですよ。だけど、挫折して、バーテンダーを目指すことにしたんです。
━━競馬の騎手からバーテンダーって、すごいギャップですね! まったく接点のない業種じゃないですか。
高橋:そうですね。だけど、馬も好きだし、お酒も好きだったので、自分的には割と自然な流れだったというか(笑)。
━━なるほど! 〝好き〟は〝常識〟を超えるんですね(笑)。では、生まれたところから時系列でお話を聞かせていただきたいと思います。出身はどちらですか?
高橋:生まれたのは五稜郭病院ですね。その時は、神山の方に住んでました。
━━当時のことで覚えていることってあります?
高橋:脳神経外科の前でバスを待ってたという記憶くらいですねー。3歳の時には、父親の転勤で砂原に引っ越してしまったので。
父が銀行員だったので、転勤が多かったんですよ。一週間前に人事部から声がかかって、「来週移動だ!」みたいなこともありました(笑)。でも、結局、砂原には半年くらいしかいませんでしたね。
━━そんな無茶苦茶な転勤ってあるんですか!? 急に転勤を告げられて、慌てて荷造りをして、いざ引っ越したら、半年でまた引っ越しみたいな。
高橋:その時の砂原は本当に短かったですね(笑)。もちろん、もっと事前に転勤が通知されることもありましたけど。
━━それは、家族も大変ですね…。砂原からは、どこに引っ越したのでしょうか?
高橋:函館に戻ってきて、幼稚園にちょっと通って、小学校まで上がったんですけど、2年生からは大成町でした。大成はけっこう長くて、6年生までいましたね。
━━1年通って、せっかく小学校という環境に慣れたのに、また転校。その時の心境とか、状況って記憶にあります?
高橋:大成に行った時は「都会から転校生が来た!」って感じの空気でした(笑)。大成からすれば、函館はやっぱり都会なので。
━━そうですよねー。こういう言い方が正しいかはわかりませんが、〝田舎と都会〟では遊び方とかも違いました?
高橋:そうですね。函館では自転車レースとかやってましたけど、大成では、夏は海で泳いで、キャンプして、釣りに行ってという感じで、冬は近くに今金とかのスキー場があったんで、もっぱらスキーでした。
そこに僕はエアーガンとか、都会っぽいオモチャを持ち込んで遊んでましたね。大成にエアーガンを導入したのは、間違いなく僕だと思います(笑)。
━━「都会からの転校生が、ピストル持ってきたー!」みたいな(笑)。インパクトありますねー! 結構、羨望の眼差しで見られていた感じだったのでしょうか?
高橋:最初の頃はそういう感じだったと思います(笑)。
━━中学からは、どこに引っ越したんですか?
高橋:小学校を卒業して、次はまた砂原ですね。砂原中学校に進んで、そこに1年半いたんですけど。
━━「1年半」ってことは10月とかにまた転校ですか?
高橋:そうなんですよ…。しかも、修学旅行の一週間前に転校になりました(笑)。
━━えー! タイミングとしては最悪ですね…。
高橋:はい、それで転校から一週間後に、森中の修学旅行にいきました(笑)。
━━友達もいない中で?
高橋:はい、まったく誰も知らない中で(笑)。
━━(笑)。その修学旅行は楽しめたんですか?
高橋:いや、全然! なんか周りがすごい気を使ってくれてるのがわかって、それも違和感がありました。何よりも、砂原の友達と行きたかったですよねー。
━━そりゃあ、そうですよね。学生時代の一大イベントなのに…。ちなみに砂原中と森中って、規模としてはどちらが大きいんですか?
高橋:森中ですね。砂原は各学年2クラスで、森は5クラスありましたから。
━━小学生の時、函館から砂原に転校した際は「都会から転校生がきた!」っていう受け入れられ方だったじゃないですか? 反対に、田舎から都会というか、小さな学校から大きな学校へ転校した時の反応っていかがでした?
高橋:厳しかったですねー。転校初日に一個上の先輩に呼び出されました(笑)。「お前か。砂原から来たって奴は。」みたいな感じで(笑)。砂原と森って、割と近くだったんですけど、その分、仲も良くなかったんですよね。対立意識があるっていうか。そういうのもあって、初日から先輩に「あんま調子乗るんじゃねーぞ!」って言われて(笑)。
━━調子に乗るもなにも、まだ何もしてないのに(笑)。見た目が目立つような感じだったんですか?
高橋:いや、別にそんなことないですよ。その日は、家に帰って心の底から「砂原に戻りたい」って思いましたね(笑)。
━━転校初日から先輩に呼び出される、修学旅行の時には友達がいないという状況の中で、高橋さんはどんな学生生活を送っていたのでしょうか?
高橋:普通に楽しかったですよ! 友達もすぐにできたし。
転校は多かったけど、いろんな友達ができたので、今となってはよかったなとも思ってます。砂原の友達にしても、森の友達にしても未だに繋がってますし。
━━転校すると、それまでの友達とは疎遠になりがちじゃないですか。当時はSNSなんてモノもなかったですし。そういう関係性は、どのように維持してたのでしょう?
高橋:まぁ、普通に家電からで電話したりとかですね。近況報告みたいなことを、よくしてました。
━━それって簡単そうだけど、意外にできることじゃないですよね。中学では部活とかもされていたんですか?
高橋:砂原の時は野球部だったんですよ。じいちゃんが甲子園を見てて「お前が出たら嬉しいな」って言ってたので、野球やろうと思って。でも、野球部に入ってから甲子園って高校生の大会なんだってことを知って、「うわ、しくじったわ」ってなりましたね(笑)。
━━すごくピュアな勘違いですね(笑)。途中で辞めようとは思わなかったんですか?
高橋:辞めようと思ったんですけど、部員の数がギリギリだったので、「辞める」って言える空気じゃなかったんですよ。本当はサッカーをやりたかったのに(笑)。なので、森中に行ったタイミングでサッカー部に転向しました。
━━さっき砂原と森が近いって話があったんですけど、大会で対戦することとかもありますよね?
高橋:やってましたね。
━━砂原のサッカー部からしたら、「あいつ野球部だったのに、なんでサッカーやってんの!?」みたいな(笑)。
高橋:ホント、そんな感じでした(笑)。