■嫌いだった東京を離れ、一目惚れした函館へ


━━近藤さんは生まれも育ちも東京ということですが、どうして函館に移住しようと思われたんですか?
近藤:小さい頃からずっと東京という街に違和感があったんです。小学生の時に社会見学で、『夢の島(※1)』にあるゴミの清掃工場に行ったんですよ。巨大なゴミの埋め立て地なんですけど、そこを見た時に「東京の暮らしって成立してないなぁ」って感じたんです。東京の人がどんどんゴミを出して、それを処理するために海を埋めちゃうということに違和感を感じて。なんか「ここに居ちゃダメだな」って思ったんですよね。

━━小学生にして、東京の生活は循環してないという違和感を抱えていたと。
近藤:そうですね。あとは、体質的にアトピーで、林間学校とかに行くとスーッと心地よかったんですよ。そういうのもあって、「やっぱり東京はダメなんだ」ってのを身体で分かっていたという部分もありました。

━━水が合わない、空気が合わないっていう感じだったんですね。
近藤:はい。その頃から東京が嫌いで、ずっと離れたいなと思ってました。

━━東京を離れようと思った時に、選択肢はたくさんあったと思うんですけど、その中でなぜ函館を選んだのでしょうか?
近藤:当時、付き合っていたのが函館の女性で、結婚の挨拶をしに来て、その時に気に入っちゃったんですよね。それこそ空港に降り立った瞬間に「ここは自分に合いそうな街だなぁ」と思って、もう心の中で函館に住むことを決めていました。

━━まさに一目惚れですね。その時、函館は初めてだったんですか?
近藤:初めてですね。

━━具体的にはどういう部分に惹かれたんでしょう?
近藤:ん~、どうしてなのか分からないんですけど、とにかく、まあ良かったんでしょうね(笑)。雰囲気として。



━━実際に移住されたのは、いつくらいのことですか?
近藤:1年半ほど前です。それで今は谷地頭で『classic』というカフェを経営しています。

━━函館に来る前からカフェを経営したいという気持ちがあったんですか? それとも移住してからカフェを作ろうと?
近藤:ほぼ同時くらいですかね。函館に来る前は、東京の幡ヶ谷で自分のお店をやってたんですよ。広島風のお好み焼き屋だったんですけど。函館に移住しようと思ったのは、お店を始めて8、9年目くらいの時だったんですけど、もともとその店は10年で辞めるつもりだったんですよ。だから、そのタイミングで函館に移住して、お店を作ろうって思ったのは自然な流れでした。

━━近藤さんは85年生まれで、いま30歳ですよね。東京で10年お店を経営していたってことは、二十歳くらいから自分でお店をやられてたんですか?
近藤:そうですね。19の時に始めて、ほぼ10年くらいやりました。

━━19歳で自分のお店を持つってかなり早いと思うんですけど。
近藤:そうですね。最初は下北沢にお好み焼き屋さんで働いてたんですけど、そこがめちゃめちゃ忙しい店だったので一気に仕事を覚えて。「これはできる」って思えたので独立しました。

━━仕事は覚えたとしても、自分の店を持つって資金面も大変じゃないですか。そのあたりはどうやってクリアしたんですか?
近藤:そのお店は給料が良かったので、自分の店をオープンさせる前に200万円くらいは貯金がありました。それを元手にお金を借りようと思ったんですけど、どんな金融機関も「ボランティアじゃないんだよ」って感じで断られて(笑)。年齢的なところで、無理って言われちゃったんですよね。なので、最終的には身内から借りて、オープンに漕ぎ着けたという感じです。

━━なるほど。それでも10年近くやられてたってことは、お店としては軌道に乗ってたっていうことですよね。
近藤:そんな軌道には乗ってなかったですけどね(笑)。何とかやってたっていう感じです。

━━そうやって苦労して続けてきたお店を10年で終わらせようと思ってたというのは、どういった理由だったんですか?
近藤:19歳からずーっとそこしか知らないので、人間的にまずいかなぁと思って。もっと別の世界を見ようかなと思ったんです。結婚する前は、お店を辞めてバックパッカーにでもなろうかなと思ってたんですけど、結局は結婚を機に移住という形になりました。

━━市内にもいろんな場所がありますが、谷地頭でお店をやろうと思った決め手は何だったのでしょう?
近藤:まず単純に西部地区の雰囲気が好きなんです。ただ、函館で暮らしていく中で、西部地区が過疎化しているという実感があって、自分が好きな街が寂れていくのは悲しいし、こっちの方がもうちょっと賑やかになればいいかなーという気持ちで決めました。

━━自分のお店をやりたいという気持ちに加え、街を盛り上げたいといった思いもあったんですね。
近藤:「街を盛り上げる」とまではいかないんですけどね。
栃木にSHOZOCAFEっていうお店があって、そこの人が、「店ができれば、その道が栄える」っていう主義を掲げてお店を経営してるんですよ。実際、今、その場所は色んなお店が集まってSHOZOストリートみたいな感じになってて、この界隈もそういう風になればいいなと思ってます。

━━規模感はちょっと違いますけど、渋谷の公園通りも、元は何もない通りだったらしいですね。そこにパルコができたことで様々な店が集まるようになり、今や東京を代表するカルチャーの発信地になったと。
近藤:まさにそんな感じになるといいですね。

━━ちなみに、『classic』の近くには、他にもお店とかあるんですか?
近藤:『classic』は、昔っからの古い商店街の中にあるんですよ。一応ちっちゃな廉売とかもあるんですけど、あるのは生活に必要なものだけですね。


(※1)夢の島
東京都江東区にあるゴミの埋め立てで作られた人工島。ゴミ処分場の他にスポーツ施設や公園などがある。





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