■開拓史時代から8代続く実家の商店
━━まずは、今のお仕事や暮らしについて教えて下さい。
近藤:実家が乙部町で商店を経営しているので、平日はお店の手伝いをしつつ、家族のご飯を作ったり、家事をしています。週末は函館に借りているアトリエで、お料理教室を開いたり、イベントに出店したりといった感じですね。
━━近藤さんは、もともと東京でフードスタイリストとして活躍していたそうですが、当時から料理教室みたいなこともされていたんですか?
近藤:東京でもやってみたいなぁとは思ってたんですけど、自分の住んでる部屋は狭かったし、場所を借りるにもお金がかかったりという理由で実現には至っていませんでした。東京って、場所を持つのがすごく大変なんですよね。
━━家賃が高いので、家の他にもう一箇所拠点を持つというのは大変ですよね。その点、函館ではアトリエを持つのも不可能ではないと。
近藤:一応、実家の商店では社員として働いているので一定の収入があり、家賃や光熱費がかかるわけではないので、その分他に回すことができています。
━━ちなみにご実家はどういったお店なんですか?
近藤:田舎のコンビニみたいなお店ですね。お酒も売ってるし、文房具も売ってるし、日用品も売ってるみたいな。
━━そこはお父さんが始められたお店なんですか?
近藤:いや、父の代で8代ですね。
━━8代目! めちゃくちゃ歴史ある店じゃないですか!
近藤:もともと、土地を貸したり、お金を貸したりするお店だったらしんですけど。そういう形態で始まって、今は何でも売ってる商店になってます。
━━8代前って、開拓使とかの時代ですか!?
近藤:そうですね。北海道に入ってきた頃からだと思います。
━━先祖の方はどこから乙部に入ってきたのかわかってるんですか?
近藤:ルーツは岩手の方らしいです。
━━開拓史の時代に東北から入ってきて、乙部に拠点を構え、今でも続くお店を。
近藤:そうなんですよ。
━━乙部で暮らしていた幼少期の記憶で特に印象に残っていることなどはありますか?
近藤:小さい頃は、おじいちゃんもおばあちゃんだけじゃなく、曽祖父まで一緒に暮らしてたんです。大人に囲まれてる状態に慣れてたんで、保育園の時にいきなり子ども達の中に入ってビビってた記憶がありますね。子どもに不慣れで保育園に行くのが嫌だったっていう(笑)。
━━普通、逆ですよね(笑)。大人の顔を見て泣いちゃう子とかは多いじゃないですか。じゃなくて、同世代の子が苦手という(笑)。
近藤:みんなが何考えてるかわからないって感じでした。接し方がわからないみたいな(笑)。
━━変に大人びてるというか。やっぱり環境が人に与える影響力ってのは大きいんですね。その頃ってどんな遊びをしてましたか?
近藤:夏は海で遊んで、冬は何してたろう? とりあえず空地の雪山とかにジャンプして突っ込んだり、そんな感じだったと思います。
━━乙部町って小学校はいくつくらいあるんですか?
近藤:当時で5校あったのかな。私が通ってた乙部小学校の子達は、保育園から中学校までずっとメンバーが一緒という環境でしたね。
━━町の規模に対して、思いのほか学校数が多いなという印象なんですが、当時は子どもが多かったんでしょうか?
近藤:いや、私の学校は各学年2クラスでしたけど、他は全校生徒が10人とか、1人ってところもありましたね。山奥の方とかだと。今はもう無くなっちゃってるんですけど。
━━今はもう町内の小学校はひとつだけですか?
近藤:今は小学校は3校かな? 2つは閉校しました。乙部小学校も1クラスの学年がほとんどで、他の学校も1学年に2人とか3人とか。全校生徒が20人に満たないような状態ですね。
━━小学校が3つあるってのは人数的にというよりも、地理的に遠い子がいるからって理由なんですかね?
近藤:そうです。なるべく歩いて通えるところに学校を維持しようという感じです。