■15歳、関東の高校で感じたアウェイ感
━━では、函館に住んでいた頃のお話を聞かせてください。生まれた時はどこに住んでいましたか?
鳥井:大川町です。5歳くらいまでは大川町に住んでいて藤幼稚園に通っていたんですけど、母が美原でコンビニを経営することになったので、赤川の方へ引っ越しました。小学校は附属です。
━━附属小へは自分の意思で行こうと思ったんですか?
鳥井:いや、兄と姉が附属だったので「3番目も附属だ」みたいな感じで。振り返ってみれば親の教育方針だったんですかね。でも、自分的には何の違和感も抱いていなくて、単純に兄姉と同じ学校に行けて嬉しいなって気持ちでした。
━━当時は、何をして遊んでいたとか覚えてますか?
鳥井:家に帰って、近い友達同士で遊んでましたね。友達の家に行ってゲームやったりとか。
あと、4年生か5年生からミニバスをやってました。僕、昔、すごく太ってたんですよ。もうパンパンで。でも、背は高かったので、友達のお母さんがうちの母に「鳥井くんバスケやらせてみない?」みたいなことを言ってくれて。それで、母が「あんた痩せた方がいいからやりなさいよ!」みたいな感じで始めたんですけど(笑)。
━━ずいぶんとストレートなお母さんですね(笑)。実際、ミニバスを始めてからは痩せました?
鳥井:ほんと、みるみるうちに痩せてましたね。それまでは学年の50メートル走で一番遅かったのに、一番速くなって。すごくわかりやすく効果が出ました(笑)。だから、学校の授業参観とかでも見に来た父母の方々に「鳥井くん、何したらあんなに痩せちゃうの?」みたいに言われたりして(笑)。
━━「ちゃんとご飯食べてるの?」みたいな(笑)。痩せるに伴って、バスケもかなり上達しましたか?
鳥井:小6の時で、168センチくらいあったので、センターのポジションをやってまして。中学に入ると身長が止まってしまったので、背はぐんぐん抜かれていきましたけど、一応、小中は函館選抜に呼んでもらってましたね。
━━函選! すごいじゃないですか! 附属中のバスケ部は強かったですもんね。
鳥井:池田先生というその界隈では有名な監督監督がいたので。ってか大丈夫ですか、こんなにローカルな話題で(笑)?
━━大丈夫です!もしかしたら池田先生や、教え子の方々も読んでくださってるかもしれませんし(笑)。中学生くらいってけっこう多感な時期だと思うんですが、当時、函館という街のことはどう思っていましたか?
鳥井:物足りなさはすごく感じていましたね。高校から東京に出てきてたんですが、一応進学を理由にってことだったんですけど、そんな大それたことは考えてなくて。とりあえず、早くこの街を出たいって気持ちがありました。
━━函館のどういった部分に物足りなさを感じていたのでしょう?
鳥井:流行り物とか、洋服とかが大好きだったので、そういった部分での物足りなさは感じていました。テレビや雑誌で見るものが函館には存在しないという。『あまちゃん』の登場人物でいうと、ユイちゃんや春子さんみたいな感じです。
━━『あまちゃん』好きなんですね(笑)。では、中学生にしてもう函館を出ようと思ってたわけですか。
鳥井:そうですね。ちょうど小学校5年生か6年生くらいの時に、兄と2人で東京に遊びに行ったことがあったんですよ。当時19、20くらいの兄に連れられて、渋谷と原宿と表参道みたいなところを見せられて。もう、刺激が強すぎるじゃないですか、函館の少年にとっては(笑)。
当時、キックボードが流行っていたんですけど、キックボードに乗って颯爽と原宿の街を行き来するキラキラした人たちを見て「なんだこれは! テレビの世界か!」みたいな。その印象がずっとあったので、自分も東京に行きたいと思っていました。
━━ということは、出る先としては東京一択といった感じで。
鳥井:そうですね。札幌とかはまったく考えてなかったですね。
━━函館では、高校卒業のタイミングで街を出る人が多いと思うんですけど、中学卒業のタイミングで出ようと思ったのは、やはり一刻も早くという気持ちがあったんですか?
鳥井:ひとつは、兄の影響ですかね。兄自身はラサール高校を出てから、札幌に浪人しに行ったんですけど、大学受験に苦戦しているのを見て、自分は大学受験したくないなぁと思っていたんです。そんな話を父にしたら「内部進学という手もあるぞ」というのを教えてくれて、「それだ!」と。父としては「末っ子を進学させたら、子育てはクリアだ!」という気持ちもあったのかもしれませんが(笑)。
それで、東京のいろんな高校を探してみたら、慶應義塾大学附属の高校には地域調整枠という、地方出身者しか受けられない枠があることを知って、そこを受験しました。
━━それで見事合格して、上京したと。15歳で親元を離れ、東京へ行くことに不安はありませんでしたか?
鳥井:東京の大学に通っていた姉と二人暮らしということもあったので、特に不安はなかったですね。期待の方が勝ってました。
━━親元を離れることに不安はなかったということですが、実際の学校生活はどうでしたか? いろんな地域から生徒が来るといっても函館からきた少年としてはけっこうアウェイな環境だったと思うんですけど。
鳥井:もー、ド・アウェイですね(笑)。
━━はるばる函館からやってきた少年に対して、周囲の反応はどんな感じでしたか?
鳥井:高校生ってまだまだ大人になりきれてないじゃないですか。函館弁が珍しいってのもあって、僕が一言でも話し始めようものなら「すごく訛ってるね!」とか言われましたね。容赦なく(笑)。なので、最初の4月、5月は、かなり無口でしたね。方言を突っ込まれるのが恐くて。
最初はみんなそうだと思うんですけど、自分が訛ってるという自覚がないじゃないですか。
━━わかります。僕も大学で東京に出てきた時に、心ある奴なのかない奴なのかわかんないですけど「君、訛ってるの気づいてる?」って聞かれて。「えぇー!」みたいな(笑)。
鳥井:ですよね(笑)! でも、大学って、まだいろんな地方から来る人が多いじゃないですか。だから、方言とかもいろいろあると思うんですけど、高校は大半が関東の人なんですよ。なので、まぁ珍しがられて…。すごく恥ずかしい思いをしましたね。
━━思春期真っ最中で、女の子にもモテたい時期ですもんね(笑)。
鳥井:ですね(笑)。「うわ、ダッサ!」って思われるのが恐くて、大人しくしてました。
━━そんな中でも高校時代に夢中になっていたことなどはありますか?
鳥井:高校でもバスケはしてたんですけど、大学受験がなかったので、本当に時間の使い方が自由だったんですよ。なので、週末は渋谷とか原宿とかに出ていって、函館にいた時に見たかったものを見に行ってましたね。洋服とか。
それで、自分が地方出身者だからこそ、世間では流行ってるのに地方ではまだないモノってわかるじゃないですか。なるべくそういうものを選ぶようにして、飽きたら、インターネットで販売したりしてましたね(笑)。そこで得た売上を自分の遊びたいお金としてまた使うみたいな。バイトとかは全然してなかったんですけど。
━━バイトっていうか、それはもう一種のビジネスですよね(笑)。単純に遊ぶお金が欲しかったんですか?
鳥井:お金が欲しかったというよりも、それ自体が楽しい感覚でした。自分で購入し見つけてきた物を、手放すタイミングで、綺麗に写真を撮り、うまく文章を書けば、値崩れすることなく売れるんだって気付いて。質問にうまく答えれば、さらに売れやすくなるし、かといって過剰に書きすぎて購入した人からクレームがくるのはよくないことだなぁとか考えたりしながら。そこで商売のイロハみたいなものを学んだような気もします。幼いながらに「こうすれば売れるんだ!」みたいなことを考えるのが楽しかったですね。
そのうちショップの店員さんとも仲良くなって、新しい商品を先に見せてもらったりしてて。「なるほど、次はこういうのが流行るのか」と(笑)。
━━商品の見せ方とか、市場の動きを独学で研究していたんですね。高校生くらいの時って、お店の店員さんと仲良くなるってのも楽しいですしね!
鳥井:ですね! なんだかとても輝いて見えますし、知らないこといっぱい知っているし、小さな優越感みたいなものを感じたりしてましたね。
今になって思えば、まんまと客商売にハマってたんだなとか思うんですけど(笑)。自分が一回カモになってるからこそ、売り手と買い手どちらの気持ちもわかるようにはなったかもしれません。良い意味でも悪い意味でもドハマりしていた時期なので、あの頃の経験はよかったかなぁと思います。
━━函館から出てきて色々な苦労はありつつ、やっぱり都会の生活は楽しいなぁって感じでしたか?
鳥井:そうですね。でも、やっぱり一方で寂しさみたいなものあって。地元の友人たちは一緒の高校行ったり、学校は違っても会って遊んだりするじゃないですか。当時僕ら、仲のいい連中でメーリスとか作ってたんですけど、そういうところにみんなの近況があがってきたりして。「誰と誰が付き合った」とか「あいつらがケンカした」とか、そういうやりとりを見ていて、なんかすげぇ楽しそうだなと。もし自分が函館を出てなかったら、そういう高校生活を送れたんだろうなぁとか思ったりはしていましたね。
しかも、高校生活って、函館の一番花形というか、小中とは面白さのレベルが違うじゃないですか。行動範囲も広がるし。街で誰より高校生が幅をきかせてたりするのを見て、自分もあんな風になるのかなとか思ってたりもしたので。その時代を体験できなかったという寂しさはありましたね。
━━逆に東京に出てきたからこそ得られたものというのもたくさんあったかと思うんですけども、例えば夏休みとかに函館へ帰ってきて、地元の友達と会う時とかって、話はかみ合いましたか?
鳥井:そこはちょっとせめぎ合いでしたね。どうオブラートに包んでいいかわからないところもあったんですけど、旧友が幼く見えたりとか、井の中の蛙みたいな感じがしたりってことはよくありましたね。そういう意味でも、いろんな葛藤を抱えていた時期だったと思います。
━━ちょっと時代は違いますけど、僕なんか高校生の時、教室でプロレスごっこしたり、学校行く前に釣りして遊んだりしてましたもん。渋谷や青山で服を売り買いしている高校生から見たら、完全に井の中のクソガキですよね(笑)。それで、大学はそのまま入試なしで進めるんだと思うんですけど、法学部を選んだ理由は何だったのでしょうか?
鳥井:もともと弁護士とか法律とかそういう方面に興味があったんです。というのも、ちょうど僕が起業家になりたいという漠然とした夢を抱くようになった頃に、ライブドア・ショックがあって。法律を知らないと、起業した時に絶対に痛い目に会うなと思ったんです。それがちょうど高校2年生の時で、経済学部とも迷ったんですけど、法学部法律学科を選びました。
━━ほんと、同じ年頃でプロレスごっこに興じていた自分が恥ずかしいです(笑)。実際、大学での勉強は満足のいくものでしたか?
鳥井:いやいや、僕も真面目なことばっかり考えてたわけじゃないですよ! もちろんバカなこともしてましたし(笑)。
法学部って、いわゆる六法と呼ばれる憲法とか民法とか刑法とか、基本的な法律を勉強するんですけど、当然他にも法律は山ほどあるんですよね。なので全部を網羅はできないんですけど、「法律ってこういう考え方をするんだ」というところを学べたと思っています。原理原則や、どういう価値判断のもとで法律がつくられてきたのかということを学べたのは、とても為になったなと思います。
そういうのって、自分でイチから本を読んで分かる話じゃないと思うんですよね。ひとりで憲法とか民法の本を読んでも、きっとよくわからないはずで…。一方、経済とか経営とかって意外と独学でなんとかなったりすると思うんですよ。自分が実際にやっていく中で覚えていくみたいな部分もあるでしょうし。
━━確かに、経営とかって、わかりやすい実例みたいなのが世の中にたくさんありますし、自分でも勉強できそうですけど、法律ってどこから始めていいのかわからないですよね。そういう意味では、法学部の経験は今の仕事にも活きていると感じますか?
鳥井:そうですね。「大学時代に学んだことと全然違うことしてるじゃん!」って言われることもあるんですけど、勉強してよかったなとは思います。今だと、ウェブ業界ではバイラルメディアの問題や、著作権の問題などが話題になっていますが、他人の権利は絶対に侵害しちゃいけないものなんだっていうのは、たぶん勉強しないと本当の意味では理解できないことだと思うんですよ。その価値観を養えただけでも、学生時代に法律を勉強しておいてよかったなと思います。